其の捌

 敦の見つめている視線よりも、瑠美から見つめられている視線の方が辛かった。それがどんな風に自分を見ているのか、それを考えると辛かった。

 紗理奈は自分の両手を見つめた。自分が人間ではないということを今まで考えたことなどなかった。魔法少女に憧れていた小さな時期はあったが、人間以外の存在であることを妄想したことなど一度もない。


「あ、あの……わ、私……」


 声を出そうとした瞬間に息が上手く出来ず「あ……あぁ……あ」と繰り返し、胸の高鳴りは増していき、鳴動が回りに聞こえていると錯覚するほど頭に響いていた。

 目を閉じて深く息を吸っても、身体の震えも、鼓動の高鳴りも調整することが出来なかった。


「もしかして、知らなかったのかい?  自分が人間じゃないって」


 青葉は首を傾げながら紗理奈に聞いてみても、彼女は小刻みに震えているだけだった。そして、そっと震えていた両手を誰かが握ってくれた。顔を上げれば、瑠美が紗理奈の両手を握ってくれていた。


「大丈夫よ黒木さん、怖がらないで」


 彼女のその言葉だけで涙が溢れてしまった。涙で視界が揺らめいて不思議な世界に迷い込んだようだった。彼女は続けて


「落ち着いて。あなたは少し驚いているだけ。何も怖がることはないわ。あなたはあなたのままよ」


「瑠美ちゃん……私……」


 紗理奈は言葉にできない「あぁぁぁぁぁ!」っと泣きじゃくり彼女に抱きついた。瑠美は紗理奈の背中を軽く擦りながら


「何も心配することないのよ。何もね。突然のことで動揺しているの。だから落ち着いて息を吸って」


「でも……私……人間じゃ……ないって……私……何となく解った……お婆ちゃんの話した……お爺ちゃんの話で……私……私……」


「良く聞いて黒木さん、残酷な真実かもしれない。それを他人から言われたことが、一番のショックかもしれない。でもね、そんなことどうでも良くない?」


 紗理奈は瑠美の目を見て


「……どういうこと?」


「そんなことは関係ないよ。だって、私達、友達でしょ? あなただから、私は友達なんだよ」


 紗理奈の止まらない涙を瑠美はポケットから取り出したハンカチで拭いた。整理できない感情で涙は止まるどころか余計に溢れた気がした。


「瑠美ちゃん!」


 また瑠美を抱きしめ、思いっ切り叫んで泣いた。瑠美が天使のように思えたことは何度もあった。彼女の優しさのおかげで、暗闇に捕らわれそうになった心が天に昇り、光の中にいるように感じた。瑠美は立ち上がって青葉を見た。


「黒木さんはあなた達を傷つける存在じゃない。彼女は知らなかっただけなの」


 青葉はハンカチで涙を拭く紗理奈を見て


「まあ、そうみたいだね」


「お願い! 天地様のことを教えて!」


 青葉はまた首を傾げて


「天地様の何を知りたいの?」


「天地様は何者なの? あなたと同じ天狗なの?」


 青葉は面倒くさいなと言った苦い顔になり、羽団扇を持っていない左手で頭を掻いて


「そんなこと知ってどうするんだよ」


「大事なことなの! あなたが木の葉天狗なら、天地様は大天狗なんでしょ? そうでしょ?」


  青葉は答えに迷っているようで、瞳をキョロキョロさせていた。視線を敦に合わせると彼は青葉を見ていた。そして


「青葉君、教えてくれ。天地様は大天狗なのか?」


「まあ、良いか、そうだよ。天地様は大天狗だ」


 瑠美は小声で「やった」っと呟いた。紗理奈はそれが聞こえて、何のことだろうと首を傾げた。瑠美は青葉に


「天地様は前と変わらない? それとも何かおかしいと感じる?」


「どういう意味? 全然解んないよ」


 青葉は質問の意図を理解していないようで、眉を眉間に寄せた。少し苛立っているようにも思えるのだが、瑠美は物怖じなどせず


「今この町で様々な人や妖怪変化が、三つ目の妖怪変化に操られているの! もしかして、天地様も、その三つ目に操られているんじゃない?」


 青葉は今まで見せていた幼さの残る顔つきから一変して、大人びた顔つきになった。


「あいつは、他者を操れる能力を持っているの?」


「えぇ。三つ目は何かを企んでる。今の天地様は、本当に今までと同じ天地様なの?」


 青葉は考える混んでいるように顎を羽団扇で隠しながら森の方を見た。掘削で削れた地層の見えるようになってしまった山へと続く森は、痛々しいと感じさせる。瑠美はさらに続けて


「三つ目はパレードと関係しているの」


「パレード? パレードって何?」


「えっと……そうだ! 夏の日に、百を超す妖怪変化がこの町に溢れたのは知ってる?」


「もしかして、権藤夫婦の夜行のこと?」


「夜行? そう! その権藤夫婦の夜行のこと! その夫婦の息子が、恐らく三つ目なの!」


「え!? お姉ちゃん、それはホントなの?」


「ええ、間違いない。三つ目は両親の仇、復讐の為にこの町にやってきたの!」


 青葉は暗い面持ちで眉間には似つかわしくない皺を寄せていた。そして、何かを決意したように


「ちょっと待ってね。僕一人で決められることじゃないから、他のみんなにもこの事を話して決めるよ」


 そう言うと青葉は懐から横笛を取り出して勢い良く吹いた。横笛の音色が辺りに響き渡り、森の木々がざわめき始めると木の葉が吹き荒れた。

 横笛の音色が止むと強い風が吹き荒れ木の葉が回転しながら押し寄せてきた。それは小さな台風が移動しているように見えた。小さな台風は四つあり、それは真っ直ぐ青葉の元に向かって行った。敦は息を呑んで


「凄い……」


 っと呟いた。そして、木の葉が地面に落ち始めた瞬間、そこには青葉と同じ白装束の衣装を着た四人の男の子がいた。彼らは青葉を囲むように立っていた。一番背の高い男の子が青葉に向かって


「どうしたの青葉? それにこの人間達と……あれは何?」


黒葉こくよう、大丈夫、何も害はない」


 幼稚園児にも見えるほど一番背の低い男の子も青葉に


「青葉、こいつらをやっつけるの? それともあれだけ?」


 っと紗理奈を指差した。紗理奈はまた涙が込み上げて来そうになった。しかし、青葉が


「違うよ黄葉おうは。集まってもらったのは天地様のことについてなんだよ」


 その発言に太っている男の子が


「天地様のことって何だよ。おれは食事してたんだぞ! くだらないことだったら怒るからな!」


「落ち着けよ白葉はくは、重要なことだから人間達の前でも僕らを呼んだと思うんだ。そうだろ?」


 白葉と呼ばれた太っている子を宥めたのは、他の四人が持っていない幾つもの輪っかの付いた杖を持っている男の子だった。


紅葉くれはありがとう、そうなんだよ。天地様に会いに来た、あの三つ目のことなんだ」


「どういうこと?」


 黒葉はそう言うと他の三人と顔を見合わせた。顔を合わせた彼らは首を傾げたり、両手を上げたりしていた。


「実はね、あの三つ目は僕達に隠していたことがあるんだ」


 紅葉がそれに対して


「それは何だい?」


「あいつは、権藤夫婦の子供なんだよ」


 権藤夫婦の話題が出た途端に白葉が「やべぇよ、関わりたくねぇよ」と口にしたのを皮切りに黄葉が「すっげぇ怖かったよなあのおばさん」黒葉が「いやおれなんて死ぬかと思ったよ」など雑談を始めてしまった。

 青葉は困っているようで「ちょっと、最後まで聞いてよ」と言うが三人の立ち話は止まることがなかった。それを見かねた紅葉が杖を振り上げて地面に叩き突けた。

 その瞬間に強烈な風が紅葉の周囲へ吹き荒れ、地面が大きく揺れた。話をしていた三人は衣服や髪が風で乱れ、怯えながら紅葉を見た。


「少しは静かにしろ! 青葉の話を最後まで聞け! 次無駄口叩いた奴はゲンコツだからな!」


 三人は紅葉に「ごめんなさい」と言って青葉にも「ごめんな」と頭を下げた。青葉は困り眉になり鼻で勢いの良い息を漏らして


「まぁ良いよ、じゃあ話の続きね。あの三つ目はお父さんとお母さんの復讐をしようとしてるんだよ」


 紅葉は神妙な面持ちで


「それは本当なのか? あいつは本当に権藤夫婦の息子なのか?」


「この人達の話だとそうらしい」


「それを信じろって? 冗談は他所でやってくれよ。人間二人とあれの話を信じろってのか? 馬鹿も休み休みにしろよ。だからお前はまだ木の葉天狗なんだよ。僕を見ろよ。今では立派な烏天狗だぞ」


「紅葉! そんなこと今はどうでも良いんだ! あの三つ目はこの町にいる人間や妖怪変化を操っているんだよ! もしかしたら、天地様はあいつに操られているかもしれないんだ!」


 その発言に紅葉を含めた四人は固まってしまった。そして、黄葉が口を開いて


「もしかして、あの権藤のおばさんと同じ力を持ってるの?」


「多分ね。僕だって最初は信じてなかったよ。でも三つ目が権藤夫婦の子供なら、親の力を受け継いでる。天地様が……僕らの天地様が操られているかもしれない!」


「そんなわけないだろ! 天地様がそんな簡単に――」


「だっておかしいじゃないか! 僕達に町まで行かせて工事する機械を壊させたり、こないだみたいに人を襲わせるなんておかしいよ!」


 青葉の言葉に紅葉は思う所があるようで他の三人の顔色を見た。三人も何か思う所があるようで「まさか……」「でも……」「確かに……」などと口に出していた。


「……ちょっと、四人で話すから、青葉は待っててくれ」


「解ったよ」


 紗理奈達の解らない領域の話ばかりが進んでいるで理解に苦しむ。瑠美は解っていて発言していることなのだろうかとふと思った。当てずっぽうで言っているようにも思えたのだが、お父さんが警察官だったこともあり、勘が鋭いのかもしれないという答えを出した。

 紅葉と他の三人は話し合いながら時折紗理奈のことを見ていた。目が合う度に軽蔑されているような感じがして嫌だった。そんな紗理奈とは対照的に敦は子供の様なキラキラした目になって


「思い出したよ。青葉君とあの四人、俺が迷子になった時に一緒に遊んだ子達だ」


 瑠美は紗理奈に寄り添って介抱していた。紗理奈は彼女から借りたハンカチを握りしめてそっと匂いを嗅いだ。

 瑠美の家に行った時に嗅いだ彼女の匂いに包まれたハンカチの匂いを嗅いでいると気持ちが和らいでようやく落ち着いてきた。瑠美を見ると話し合いをしているを紅葉達を祈るように見つめていた。

 四人が話しいる間に青葉はピョンピョンと飛び跳ねて敦の元にやって来た。ニッコリと無邪気な笑顔で白い歯を出して


「敦君、今まで何処にいたの?」


 敦は青葉と目線を合わせるためにしゃがみ込んで話を始めた。


「俺はね、親父からの暴力から逃げる為に、隣町に行っちまったんだよ。ごめんね。ホントは俺……もう一度遊びたかった」


「僕もだよ」


「俺のこと、どうして解ったんだ? もうガキの頃の面影なんて――」


「解るよ。一度遊んだ子の匂いは忘れない。僕らは鼻が良いんだよ。敦君は今でも昔と同じ、優しい匂いがするよ」


「そうか……優しい匂いね……そうなのかな?」


 敦は俯いてしまったが、青葉は覗き込んで顔を見た。


「だって敦君、お母さんのこと大好きだったよね? お父さんからお母さんを守りたいって言ってたよね? 僕はその時思ったんだ。友達の君の為に僕が出来ることは何かなって。だから、僕はね、君を守ろうと思って、お母さんに暗示をかけたんだよ」


「暗示?」


「うん、でも、暗示って言葉じゃないか。僕は君のお母さんに勇気を上げたんだ。お父さんから逃げる勇気をね」


「まさか……だから急に、親戚を頼って隣町に?」


「君が大人になれて良かったよ」


 敦は涙目になりながら


「ありがとう……青葉君……」


 二人の会話を聞いていたのか、白葉が青葉に向かって話し出した。


「だからそれでお前は烏天狗になれなかったんだろ! 天地様が勝手に人間に暗示をかけるなんて酷いことをしたって怒ってさ」


 それを聞いた敦は瑠美を見て


「烏天狗って?」


「烏天狗は、木の葉天狗よりも位の高い天狗です。より多くの知識を大天狗から与えられ、重宝される、簡単に言えば一人前の天狗のことです」


 瑠美の話を聞いた敦は青葉に向き直って


「青葉君! 俺達の為なんかに! どうして?」


「さっきも言ったでしょ? 友達だから、出来ることをしたんだよ」


 その言葉に敦は溜まっていた涙が頬を伝って流れた。そして


「ありがとう……ごめんね……」


 青葉は深く頭を下げた敦の頭を撫でた。地面に落ちる涙は小雨のように降り注いでいた。紗理奈も二人の話を聞いて、また涙が込み上げてきたが、瑠美はただ紅葉達をじっと凝視したままだった。そして、紅葉達の話が終わったようで四人を見た。紅葉が


「青葉、これはみんなで決めたことだ。解ってくれ」


「うん、大丈夫」


 紅葉は後ろにいる三人の顔を見てから、また青葉達に向き直り


「天地様の所に行くぞ」


 その言葉に青葉は飛び跳ねて喜びを露わにして


「ありがと紅葉! みんなもありがと! 早く行こう!」


「私達も連れて行って!」


 その言葉に天狗達はその声の主である瑠美を見た。瑠美は拳を握りしめなら


「お願い! 私達も一緒に天地様の所に連れて行って!」


 だが、紅葉は


「人間を連れて行くことなどできない! お前らに何ができるっていうんだ!」


 紅葉が声を出した瞬間に風が吹き荒れたが、それでも瑠美は一歩も引くことはなく


「私にはこれがあるもの」


 そう言って瑠美が鞄から取り出したのは缶詰だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る