其の参(加筆修正版)

 紗理奈は懐かしい光景を見た。まだ自分とさと美が小学生で、今は隣町で一人暮らしをしているお婆ちゃんが一緒に暮らしていた時のことだ。ココが初めて病気になって、さと美は付きっ切りでココから離れようとしなかった。


 それでも「お婆ちゃんが見ているからよ。学校に行きな」っとさと美を自分と一緒に学校に行かせた。その時だった。お婆ちゃんに言われたのだ。いつの間にか忘れていた、お婆ちゃんからの言葉を。


「さと美を守ってあげな。あんた、お姉ちゃんだろ? 妹を守るのはお姉ちゃんのおめぇだ。そして、おめぇ達を守るのは、お母さん。そして、お前達三人を守るのは、おれだ」


 その時は、ただ解ったと安易に答えてしまったが、こんなにも守ることが大変なことだなんて思っていなかった。お婆ちゃんの姿がどんどん遠退いて行く。後ろを振り向くと真っ暗い夜空よりもさらにどす黒い暗闇がそこにあった。


「私、死んだんだ」


 そう口に出した。すると自分の言葉に呼応する声が聞こえてきた。


「黒木さん」


 反響する声が瑠美だと解り拳を強く握った。本当に、本当に自分は終わってしまったのだと思った。そして、今、今ここで言うべきだと思った。聞こえるはずはないのだけれども。


「オージュリエット瑠美ちゃん、ごめんね。私死んじゃったよ。私ね、瑠美ちゃんのこと――」


「黒木さん!」


 ハッと目を覚ますと瑠美が泣きそうな顔で自分を見ていた。


「……瑠美……ちゃん?」


「黒木さん! 良かった……本当に……良かった……」


 瑠美は目を覚ました紗理奈を見るとポロポロと泣き出した。涙を拭くために眼鏡を外した目は少し赤く腫れていて、もしかしたらずっと泣いていたのかもしれない。最初、今自分が何処にいるのか見当がつかなかったが、見覚えのある天井を見て解った。ここは


「宮部先輩から連絡をもらって、すぐ飛んできたの。ちょっと待ってて。今宮部先輩を呼んでくるから」


 瑠美は急いではじめの部屋から出て行った。一人になった紗理奈はまずゆっくりと両手で腹部を触ってみた。服越しの障った感触でデカい絆創膏のような物が貼られていることが解った。着ている服も変わっていて、どうやら薄手の着物のようだった。


 あれは夢だったのだろうかとも考えたが、絶対にそんなわけがない。少し気分が悪いし身体は異様に怠い。金縛りにはあっていないが、とても動ける状態ではない。


「良かった。薬が効いたんだね」


 声のするほうへ顔を向けると、はじめが開けっ放しだった扉の前に立っていた。その表情は目を覚ました紗理奈を見て安堵していた。その後ろには美鬼が金魚の糞の如く引っ付いていて、いつも着ている目立つ虎柄の帯に、今日は黒を基調とした桃色の花柄の着物だった。


「良かったでありんす。間に合ったか」


 っと言って美鬼が近づいてベッドの脇へ来て、俗に言う女の子座り、もしくはアヒル座りをした。それから瑠美も次いで部屋に入ったが、はじめは部屋に入らずに


「じゃあ美鬼ちゃん、ちゃんと見てあげてね」


 っと言って、美鬼は


「合点承知の助!」


 っと返事を聞くとドアを閉めた。美鬼はベッドまで近づくと紗理奈の掛け毛布を掴んで、まるでなかなか起きて来ない子供の毛布を取るお母さんの如くバサッと勢い良く剥ぎ取った。


「ほれぇー! 脱げ生娘」


「ほわぁ!?」


「脱げと言うとるんじゃいボケーい!」


「あーれー」


 怪力で軽々と身体を起こされ、


 着物の帯を掴まれ、


 クルクルと回され、


 肌着を引きちぎられ、


 あっという間に素っ裸にされてしまった。瑠美はそれを見てクスッと笑っていた。

 嫁入り前の清らかな身体を瑠美に見られて、少しだけ興奮してきた……いや……何を考えているのだろう……。


「ふん! さっきも思ったが華奢な、いやぁ、貧相な身体でありんすなぁ。ぬし、胸が無さ過ぎじゃ。これで嫁に行けるのか? これじゃ子が乳を飲めんぞぉ」


 美鬼からの辛辣な、いや、素直な感想? に紗理奈は顔をトマトのように真っ赤になってしまった。


「いっやぁぁぁぁぁーそれ以上言わないでぇー! すっごく気にしてるのぉー!」


「く、黒木さん……ぷっぷはははは――」


 美鬼からは憐みの眼差しを、瑠美からは嘲笑のような眼差しで本気で泣きそうだ。


「どれどれ、腹を見せんしゃい」


 あの太い刀が刺さった腹部の所には白い紙のような物が貼ってあり、美鬼は馬鹿力で引き剥がした。


「いったあぁぁぁぁぁぁい!」


「んーん、だいじょぶじゃな。完璧に塞がっとるでありんす。これなら内臓も回復してるじゃろ」


 美鬼の言葉を聞いた瑠美がホッとした表情になって


「美鬼さん、ありがとうございます」


 っと口にすると、美鬼は今まで見せたことがない恥ずかしそうな表情になった。


「まぁ、わっちにできることをしたまでじゃけん。良かったばい。あと、これを飲むでありんす」


 顔を背けながら美鬼が着物の裾から取り出してきたのは、コーラみたいな黒い飲み物が半分ほど入ったコップだった。


「あの……これは何?」


「大量に出血したんじゃ。今立ってるのもやっとじゃろ? それで血を増やすんじゃ。はよう飲むでありんす」


 紗理奈はクンクンと一応匂いを嗅いでみたが無臭でだったので、覚悟を決めて勢いよく飲んだ。


「うわぁぁぁぁぁ! 苦―い! な、何これ!? お、おうぇー」


「良薬は口に苦し。それで身体がだりぃのが治ったじゃろ?」


 確かに先ほどまで怠かった感覚がなくなり身体がスッキリと軽くなったようだった。


「あ、あの! ありがとうございます!」


 紗理奈からお礼を聞いた美鬼は


「感謝するなら、その娘に言えば良い。そやつが旦那様に連絡しておらんかったら、わっちらはぬしの所には行かなんだ。良き友を持っているな……羨ましい……」


 美鬼の最後の言葉は何か含みがあるように聞こえたが、紗理奈は素直に瑠美を見つめた。自分が無事でいることを心配してくれた一生の友達。愛しの君。


「何かあったらいけないと思って、宮部先輩に黒木さんの家に行って欲しいって頼んだの。先輩は優しいからすぐに行ってくれた。そしたら……」


 瑠美は言葉を詰まらせて涙ぐんで


「宮部先輩から連絡を貰った時は、もう黒木さんに会えなくなると思って怖かった……もう! 何してるの! 一人で勝手にいなくなったりしないで! 私はあなたを守るって言ったのに! 約束を破っちゃうとこだったじゃない!」


 そう言いながら紗理奈を強く抱きしめた。瑠美に抱きしめられるのが、とても嬉しくて、嬉しくて――。


「生娘、そんなことより、はよう服着るでやんす」


 それからまた先ほどの着物に着替えると美鬼がはじめを呼んでくれた。はじめはとても安堵した表情で彼も自分をかなり心配していたのだと思った。


「美鬼ちゃんの薬剤が効いたんだね。紗理奈ちゃんの家に駆けつけた時、僕は自分の――」


「あ! さと美は!? 妹はどうなったんですか? さと美は無事ですか!?」


 紗理奈の勢いに押されて、はじめは少し驚いたが、徐々に表情を緩ませた。


「大丈夫。家に入って妹さんの無事は確認したよ」


「良かった……ホントに……良かった……妹は起きてましたか?」


「妹さんはソファーで寝ていたよ」


「あの、妹は何かに、多分妖怪変化に勝手に口を動かされてたんです! 本当に大丈夫ですか!?」


「勝手に口をって?」


 はじめは紗理奈の言っていることが解らずに首を傾げたが、瑠美が口を開いた。


「それって、もしかして口寄せみたいなものじゃないかな?」


 紗理奈は米粒ほどにそういった知識が皆無であるため常套句で返事をするしかなかった。


「瑠美ちゃん、口寄せって何?」


「知識の箪笥に入ってるのだと、死者、または霊の言葉を口に出すことだよ。推測だけど妹さんに口寄せさせたのは妖怪変化だと思う」


「どうして妹が? 宮部先輩! さと美は、妹はホントに大丈夫なんですか?」


「紗理奈ちゃん落ち着いて。美鬼ちゃんが家に入っても妖気の痕跡はなかったんだ。それに今は涼花さんが紗理奈ちゃんの家の周辺を見張ってる。それよりも詳しく話してくれないかい? 何があったんだい?」


「上手く話せるかなぁ。あのぉ――」


 四人でテーブルを囲んで紗理奈の話を聞いた。一応、紗理奈は事の経緯を事細かに説明したが、果たして伝わったのだろうか? 話を聞いた妖怪変化の解説者である瑠美が見解を述べ始めた。


「人ぐらいの大きな猫の噂はやっぱり本当だったんだね。多分、猫達は猫又だと思う。尻尾が二つなのがその証拠だね。あと黒木さんの妹さんに乗り移ったのは、その猫又だと思う。猫又は神通力を使えるから、それで口寄せをさせたって感じかな?」


 瑠美は続けて


「刀を自在に操る妖怪変化は解んないなぁ。刀を自在に操るってだけでも相当な妖力を持っていると思うけど、知識の箪笥の中にいないなんて……そんなはずないんだけど……宮部先輩は解りますか?」


「あ、あぁ、ごめん。僕は妖怪変化の種類とか詳しくなくて……美鬼ちゃんは解る?」


「わっちも皆目見当も付きんせん。強いて言うなら、そのような力を持っているのは狐か狸くらいしか思い浮かびませんが、それならあの女狐が絡んでると思います! 今度こそ息の根を止めましょう旦那様!」


 はじめは美鬼の話を聞いて眉間に皺を寄せた。鼻先を指で擦りながら何かを思い出している、もしくは考えているようだった。


「でも、あの時妖狐は解ったはずだよ。あれだけの……いや、多くの犠牲を出したんだから、またこの町に帰ってくるのは考え難い気がする。京狐さんの言葉を信じるなら、もうこの町に妖狐は来ないはずだしね」


「あの女狐を信じるのでありんすか旦那様!」


「僕は僕の信じたい人達を信じる。でも、一番信じてるのは、美鬼ちゃんだよ」


「はうー! 旦那様! 抱いて下さいまし!」


 はじめは、美鬼に抱きつかれても全く動じることなく話を続けた。


「気になるのは、猫又とその刀を操る奴が争っていたって所だね。それで何となくは解ったことがある」


「そうですね。私もそう思います」


「旦那様のお考えは、わっちには手に取るように解りんす」


 はじめの言葉から他の皆は理解したようだが、紗理奈にはチンプンカンプンで答えに辿り着くことが出来ない。


「え!? みんな何が解ったの!? 私全然解んないんだけど――」


 マイラブラブリーエンジェル瑠美が紗理奈を温かい目で見つめてきた。もしかして小馬鹿にされているのだろうか?


「えぇと黒木さん、刀を操る妖怪変化、んー……長いから通称を刀って呼ぶね。刀は最近起きている猫殺しの犯人だってことだよ」


 紗理奈はようやく合点した。しかし、疑問も出てきた。


「あぁーなるほどね! でもさ、何で刀は猫を殺すの? 刀に狙われる理由が何かあるのかな? あと一番重要なのは何でまた私なの!? ねぇ!」


 それに対して美鬼が


「ぬしは美味しそうじゃ。人を喰わんわっちでさえ、ぬしなら食べても良いと思っとるでありんす」


 っとその発言をした直後、即座に慌てて、はじめの右腕に縋り


「旦那様! 今のは冗談でございます! ごめんなさい! お許しを! わっちを嫌いにならないでください!」


 急いで否定し始めた。美鬼はその美しい瞳から涙が零れ落ちそうになっていた。はじめが右手を美鬼の頭にゆっくり置いて撫で始めた。それからはじめは、まるで熱があるか確かめるようにおでこを合わせた。


「旦那様……」


「大丈夫だよ美鬼ちゃん。僕が一番、君のことを解ってるから――」


「旦那様……」


 紗理奈と瑠美はどう反応すれば良いのか全く解らなかったが、とりあえず視線をずらした。その先の時計を見た紗理奈は驚愕した。


「あああああああああー!」


 三人は突然の紗理奈の叫びに驚いてしまった。それを聞きつけてドタバタと足音が聞こえた。


「どうしたの!? 何かあったの!?」


 ドアを勢い良く開けて麗が駆けつけてきた。そして、その後ろには


「何々? 面白いことでも起きたの?」


 おっとりした口調で凜も駆けつけてくれた。何だか大事になってしまったが、重大なことである。


「もう九時過ぎてるぅぅぅぅぅぅ! お母さんが帰ってるかもぉぉぉぉぉぉぉぉ! 怒られるぅぅぅぅー! どうしようどうしよう! 帰って来てたら最悪だぁー!」


 紗理奈の突発的な発言に全員が唖然となった。そして、瑠美が呆れた顔になって冷たい視線をくれた。ありがとうございます。ご褒美です。


「死にかけたのに、それって、もう呆れちゃう。黒木さんらしい。ふふふ」


 美鬼以外の全員が呆れた顔で笑っていた。はじめは一呼吸おいてから


「えっとね、本当に帰るの? ここにいた方が絶対安全だよ」


「それは解ります……けど、私、妹が、家族に何かあったら心配で……心配で……」


 その言葉に、はじめは少し考え始めたが、瑠美は紗理奈をそっと握ってくれた。


「私、今日は黒木さんの家に泊まる。良い、かな?」


「マイラバンバン……じゃなかった瑠美ちゃん! ありがとう! 一人は怖いから一緒に誰かいて欲しかったのー。でも、大丈夫なの? お家の人心配しない?」


「大丈夫だよ。ママは理解があるから。それに言ったでしょ? 私が黒木さんを守るって。ただね――」


「ただ?」


「着替えを持ってきてないから、貸してくれる?」


「私の服を瑠美ちゃんが! 瑠美ちゃん! 尊死!」


「黒木さん、何言ってるの?」


 瑠美は紗理奈の言っていることが本当に解っていないようだったが、その表情は朗らかで笑っていた。しかし、はじめは訝しげな表情だった。


「えっと、ならさ二人共、今日はここに泊まって。ここの部屋を使って良いよ。僕は美鬼ちゃんの部屋で寝るから」


「はうー! 旦那様! 一緒の布団ですかえ!? わっち、今日は色んな意味で危険日でありんす! 今宵は旦那様と狂い咲きでありんすな!」


「……いや……あの……前みたく、別々の布団で寝よう、ね?」


 ぬか喜びになってしまったので、美鬼は相当落ち込んでいる様子で、まるでこの世の終わりが訪れた表情になっている。魂が抜けたような、そんな顔だったが、それはそれで可愛い。

 それにしても、毎回見る度に何となくだが、美鬼の雰囲気が違う気がする。前見た時はミディアムくらいだった髪が、今は肩より下まであるし、顔つきも大人びている気がする。


「……それでも良いでありんす。こないだのように一緒のお部屋で寝ていただけるなら、わっちは幸せでありんす」


 はじめと美鬼は友達以上恋人未満なのかとふと思った。少しだけでも二人のことを知りたいと興味を持った。


「あ! そうだ!」


 四人の話を聞いていた麗は何を思いついたようでニヤニヤしながら凜に耳打ちして、それを聞いた凜は菩薩様の如く後光が差していた。そして、麗は


「すっごく良い考え浮かんじゃった。美鬼ちゃんが紗理奈ちゃん家に泊まれば良いじゃん。速攻解決! やったぜ私!」


 っと自信満々に言ったのだが、その言葉に一番ショックを受けているのはもちろん美鬼であった。


「姉様……そんな……わっち……旦那様と離れるなんて……考えられませぬ! 嫌じゃあぁぁぁー!」


 駄々をこねる美鬼に凜が近づき耳元に手を添えて話し始めたのだが


「美鬼ちゃん、これは千載一遇のチャンスよ」


 っとまるでわざと全員に聞こえる声を出していた。美鬼は首を傾げて凜を見た。


「へ!? どういうことでありますか、お義母様?」


「あのね、紗理奈ちゃんと瑠美ちゃんと、恋バナ、してきたら?」


「こ、恋バナ!? でありんすか!?」


「そうよ。だってね、美鬼ちゃんは五十年以上生きているけど、恋に関しては全く知識がないでしょう? この子達ならはじめと歳が近いし、恋のお悩み相談できるわよー」


 はじめにも聞こえているはずだが、知らない振りをして優しく見守っているようだった。それよりも今結構重要な発言があった。五十年以上生きている!?


「で、でも……わっち……」


「少し離れて相手を見ることも大切なことよ。常に一緒にいるだけが全てじゃないわ。どうかな美鬼ちゃん?」


「お義母様」


 凜に続けて麗も加勢を始めた。


「人と人との繋がりも大切だよ美鬼ちゃん。それに自分では気付かないことも、他人だからこそ解ることがあるの」


「姉様……旦那様……わっち……」


 美鬼の心情を察することはできないが、はじめの心情なら何となく察する事ができる。自分以外にも目を向けて欲しいのだと思った。


「行っておいで美鬼ちゃん。僕は美鬼ちゃんに、人間の友達を作って欲しい。そう、思うんだ」


「解りやした。生娘共! 今夜は寝かさねぇでありんす!」


 美鬼の言葉に瑠美が紗理奈に、小声で耳打ちしてきた。


「今夜はきっと長い夜になるね」

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