限りなく現実に似た空想
由良木 加子
誰かの舞台で
私が中学に上がったとき、父が失踪した。
いつも通り会社に向かい、それっきり帰らなかった。
その日父の姿を見たのは、最寄り駅途中の交差点ですれ違った数名だけだったという。
母のお腹には、宿ったばかりの命があった。
一回り歳の離れた妹は、父親似だった。
母は、私たちを育てるため昼夜問わず働いていたため、私は半分母親のような気持ちで、妹の世話をした。
あれは妹が3歳になる頃だろうか。
父の遺影を見つめたまま、じっと立っていた。
どうしたのだろうと近づくと、
「パパは、カントクさんが連れていっちゃったんだね」と言った。
私はその言葉の意味を理解できなかったが、妹の、憐みを含んだ低温の目に少し恐ろしさを感じ、聞き返すことができなかった。
妹には、頑固な面があった。他の選択肢などはじめからないというふうに、絶対に曲げられない徹底的な頑固さが。
ある日、妹の保育園へ迎えに行き、その帰りに駅前のスーパーに行こうとした。それまでも、保育園の帰りに何度か一緒にそのスーパーへ行ったことがあるのだが、何故かこの日は、このまま家に帰ると言ってきかない。行く行かないの押し問答の末、妹はついに道路に座り込み、手足をばたつかせながら、異常なまでに泣いた。
私は困り果て、観念してそのまま家に帰ることにした。
家に着きテレビをつけると、夕方のニュースが騒がしい。
映し出された映像に、私は全身の血の気が引いた。
『〇〇駅で通り魔事件発生。死傷者は十数名…』
まさに行くはずだった駅前の通りが、惨劇の現場となっていたのである。
「ほらね、言う通り」
妹は無邪気にそう言った後、お気に入りの人形で遊び始めた。
私はテレビのリモコンを持ったまま、しばらく呆然として動けなかった。
妹は、霊感が強いのかもしれない。
子どものうちは霊感が強いとよく言うし、実際私も小さい頃、亡くなったおじいちゃんがいると嬉しそうにはしゃいで、両親を驚かせたと母から聞いたことがある。
小さい頃は霊感が強い、そういう家系なのかと自分を納得させた。
小学校に入学するころになると、たまに見せる頑固さは相変わらずだったが、あの事件のときのように泣きわめくことは無くなっていた。むしろ行動に迷いがなく、あらかじめどこかで教わったように振る舞い、いうなれば普段は手のかからない子だった。
小学校一年目の最後の学期も、もうすぐ終わろうとしていた。
いつものように、夜勤明けで帰ってきた母を迎え、妹が先に学校へ向かう準備をしていた。
「今日は帰りが遅くなるけど、心配しないでね」と、玄関でランドセルを背負いながら妹が言った。
「放課後誰かと遊んでくるの?」
「ううん。でも、カントクさんの言う通りにしなきゃ。いってきまーす!」
いつものように元気よく駆け出していった妹を見ながら、言いようのない不安が襲った。
その日私は、体調不良と偽ってアルバイト先に連絡を入れ、家に帰った。いつもなら、妹が帰っている時間だ。20分経っても、30分経っても、帰ってくる気配はない。
母はもう仕事に出かけていて、私は一人、家で時計と玄関を交互に見ていた。
妹は、朝なんと言っていた?
「カントクさんの言う通りにしなきゃ。」
カントクさん。カントクさんって誰なんだろう。
カントクさん。ずっと前にも、妹の口から聞いたことがある気がする…
その瞬間、私はあの時の目を思い出した。
父の遺影に向けられた、妹のあの目。
「パパは、カントクさんが連れていっちゃったんだね」
そうだ、あの時確かに、妹はカントクさんと言っていた。
これまでに感じたことのない恐怖を抱え、私は家を飛び出した。
小学校、駅前、公園、妹が行きそうな場所を探し回った。
日は沈みかけ、街の輪郭が曖昧になる。
妹は一体どこにいるんだろう。
日は沈み、街灯も点き始めた。
駅前の通りから外れた寂れた商店街。
人影はなく、街灯もあちこち切れている。
薄明るいその道端に、人の気配がした。妹の、気配がした。
目を凝らして走っていくと、子どもが倒れている。妹が、倒れている。
駆け寄って抱き起す。ひき逃げにでもあったのだろうか、ひどい怪我を負っている。
でも意識はある。早く救急車を呼ばなくては。
「お姉ちゃん、だめだよ。カントクさんの言う通りにしなきゃ…」
苦しそうに、妹が訴える。
「何言ってるの!?すぐに救急車呼ぶからね!!」
「だめだよ…外されちゃうよ…」
妹の言っていることが分からない。一体何のことを言っているのだろう。
その時、商店街の街灯が煌々と光った。あまりの眩しさに目がくらむ。
誰かがこちらに近づいてくる。逆光で顔は見えないが、大柄の男のようだ。
「はいはい、だめだよ俺の言う通りにしないと。君の妹は、ここで事故死するシナリオなの。困るよ、勝手に変えられちゃ。」
「君にはもう舞台から外れてもらわないとね。また台本書き換えなきゃ。」
無遠慮なその男は、面倒くさそうに鉛筆で頭を掻きながら、私たちに近づいてきた。
「はい、お姉さん、聞こえなかった?もう君のお役目は終了。早く舞台から下がって」
男の後をついてきた女性が、私の腕を掴んで連れていく。
「だから言ったじゃない。監督さんの言う通りにしないと。」
妹の声が聞こえた気がした。
翌朝、ひき逃げ事故にあい一命を取りとめた女の子と、その姉が同じ日に失踪したというニュースが流れた。
すでに、新しい台本通りに世界は進んでいる。
私は舞台から降ろされた。
父も、すでに舞台から降ろされていたのだ。
あの「監督」に。
私の父は、あの日、何を間違えたのだろう。
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