魔女と子竜
猫目 青
巡り逢う
幼い子竜の耳朶を叩くのは、母竜の悲鳴と彼女が地面に倒れる轟音だった。卵から生まれて数日後、眼の開いた子竜が視たものは地面に倒れ伏した母と、その母の体に穂先を突き刺す槍を持った僧服の男たちだった。
脆弱なはずの鉄の槍は竜の鱗を易々と突き破り、母の体に傷を穿っていく。子竜は目の前の惨状に大きく眼を見開き、悲痛な叫びをあげることしかできなかった。
閉じられていた母竜の眼が薄らと開き、子竜へと向けられる。血に汚れた牙を動かし、彼女は我が子に語りかける。
――お逃げなさい。我が子よと。
彼女は天をも引き裂かん雄叫びを上げ、体を起こす。自身にたかっていた人間どもを尻尾でなぎ倒し、地面に伏した彼らを威嚇する。
後方に控えていた甲冑の騎士たちが、母に向かって槍を投げつける。母の胸に幾重もの槍が突き刺さり、母は苦悶に呻く。だが、母は大きく翼を動かし騎士たちへと襲いかかっていった。
その刹那、母は子竜に眼を向けた。優しく細められた眼は子竜に再度語りかける。
――逃げて、生きなさいと。
悲鳴が子竜の喉から放たれる。起きあがった僧兵たちが子竜へと殺到する。子竜は小さな翼を羽ばたかせ、彼らの腕から逃れた。
ぐんぐんと上昇していく子竜の視界に、炎を吐く母の姿が映り込む。炎は僧兵たちに襲いかかり、火だるまとなった彼らは地面をのたうち回る。
そんな母に馬に乗った騎士たちが襲いかかっていく。巨大な盾で母の炎を防ぎながら、彼らは手に持つ刃で母の体を傷つけていく。
母が鳴く。悲痛に満ちた鳴き声を発しながら、母は子竜に叫ぶ。
――逃げなさい。逃げなさいと。
母の蒼い眼は、上空にいる子竜をしっかりと見つめていた。
子竜は母に叫ぶ。
母を守れぬ悔しさと、母を想う気持ちをその叫びに託して。
――必ず。助けに来る。
そう母に鳴いて、子竜はその場を飛び去って行った。
次に目が覚めたとき子竜の眼に映ったのは、苔に覆われた大樹と黒く変色した片前足だった。体を動かそうとしても、足に力が入らない。特に黒くなった前足からは、《感覚》そのものが消失していた。驚きに子竜は口を開く。だが、喉からは掠れた音が漏れるばかりだ。
無理もない。子竜の喉にはぱっくりと傷が穿たれていたのだから。もしかしたらもう、彼は鳴くことすらできないのかもしれない。
耳に響くのは自身の鱗を叩く雨音だけ。その雨音が響くたび体が冷えていくのを子竜は感じていた。
それでも彼はもがき続けえる。母を助けに行かなくてはいけない。
母が死んでしまう――
霧が辺りに立ち込め子竜の視界を遮っていく。
そのときだ。雨音以外の物音がしたのは。
それは下草を掻き分ける足音だった。忍び足のそれは子竜にそっと近づいてくる。
朦朧とする意識の中、子竜は自身に近づいてくるそれを見つめた。
そして、ただただ眼を見開いた。
子竜の視界に鮮烈なる赤が浮かびあがる。それは炎を想わせる女の長髪だった。その長髪を黒のローブの下に隠し、人の女は緑の眼を子竜に向ける。美しい柳眉の下に穿たれた双眸は、黒く変色した子竜の前足へと向けられた。
「あぁ、これは死ぬな……」
凛とした女の声が子竜の耳朶を叩く。子竜はその声に大きく眼を見開き、体を起こした。
死にたくないと思った。死んではいけない。
母を助けに行かなくては――
喉から血を滴らせながら、口を開ける。だが、口からは掠れる音が出るばかりだ。女は首を傾げ、そっと子竜の側にしゃがみ込んだ。
そして一言、彼に告げる。
「生きたいか? お前」
女の言葉に、子竜は力強く頷いた。
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