宮殿潜入(4)

 シャルルとアトスは、リュクサンブール宮殿から徒歩で十分ぐらいのある建物の前に立っていた。日付はすでに変わり、十一月十一日になっている。


「この建物の中に、宮殿へと続く隠し通路があるらしいが……」


 シャルルが、ランタンで見取り図を照らしながら、困惑げに言った。


「誰かの家みたいだぞ。窓から明かりが見える」

「太后様に雇われた剣士が住んでいて、隠し通路を守っているのか? それとも、一般人の家? もし後者だった場合、私たちが闖入したら一般市民を驚かすことになるぞ。どうする、シャルル」


「普通にあいさつをして入ればいい」


 不意に後ろから声がして、シャルルとアトスはぎくりとした。剣の柄を握って二人が振り返ると、何とロシュフォールがそこにいた。


「黒マント!」

「すでに名前は教えたはずだぞ。ロシュフォールと呼べ」


 相変わらずの無愛想でそう言うと、ロシュフォールはシャルルとアトスを押しのけ、屋敷のドアを叩いた。


「フィリップ・ド・シャンパーニュ。ロシュフォールだ。開けてくれ」


 すると、屋敷内から「はい」という若い男の声がして、ドアが開いた。


「これはロシュフォール伯爵。ご無沙汰しております」


 二十代後半ぐらいの男性が、ロシュフォールに慇懃にあいさつをする。彼がフィリップという人物らしい。


「例の通路を使わせてもらう」

「…………」


 フィリップは、目を大きく見開いてしばらく黙っていたが、やがて、


「分かりました。どうぞ」


 と、ロシュフォールとシャルル、アトスを屋内に入れた。


 フィリップの私室と思わしき部屋に入ると、たくさんの描きかけの絵があり、シャルルは(この人は画家だったのか)と驚いた。


 フィリップは、机の下にしゃがみこみ、ドンドンドンと床を三回叩いた。すると、床の板が簡単に外れ、シャルルが覗き込むとそこには地下へと続く階段があったのである。


「では、行くぞ」

「命令するな。俺たちは、黒マントの従者じゃない」

「ロシュフォールと呼べ」


 ロシュフォール、シャルル、アトスの順で地下階段を降りていく。フィリップは、暗い表情で、彼らが地下の闇に消えていくのをじっと見つめていた。「お許しください、太后様」と呟きながら。


 フィリップ・ド・シャンパーニュ。かつてマリー太后の保護を受け、リュクサンブール宮殿の装飾を手がけた画家の一人である。


 芸術家には、自分の才能を最大限に発揮させてくれる保護者が必要だった。かつて太后はフィリップを気に入り、宮殿のそば近くに屋敷を与えた。そして、変事が起きたときに宮殿から脱出するための隠し通路の出口をフィリップの部屋につくらせたのである。だが、宮殿の完成後、太后はフィリップの存在をすっかり忘れてしまい、仕事を彼に与えなくなった。そんなフィリップに手を差し伸べたのがリシュリューである。


 リシュリューは、「私の新しい屋敷の内装を君に任せたい」とフィリップに持ちかけた。太后と対立する人物の庇護を受けることに最初は戸惑いを感じたフィリップだが、彼にも養うべき家族がいる。フィリップは、後にパレ・カルディナル(枢機卿の宮殿)と呼ばれることになる巨大な屋敷の装飾を引き受けることを決めたのである。だから、いまではリシュリューこそがフィリップの保護者だった。


「お許しください、太后様」


 フィリップは、もう一度呟き、嘆息した。







 シャルルたちは、ランタンの光を頼りに地下道を歩いていく。シャルルは小声でロシュフォールに話しかけた。


「お前、枢機卿に怒られて、謹慎中だと聞いたぞ」

「このような非常時に、屋敷に引きこもっていられるか」

「つまり、独断で来たのか。しかし、お前は何の理由で宮殿に忍び込む?」


 シャルルたちはシャルロットを救出することが目的だが、ロシュフォールが宮殿に潜入しようとするのはなぜなのか。


「太后様の動向を探るためだ。夜になって、リュクサンブール宮殿を見張っていた護衛士からの報告がぱったりと絶えた。枢機卿は新しく別の護衛士たちを送り込んだが、どうも悪い予感がする。太后様は明らかに宮殿の警備を強化した」

「悪い予感って、何か心当たりでもあるのか?」

「バスティーユ牢獄にいたはずのジュサックが、何者かの助けによって脱獄した」

「何だと?」







 シャルルとアトスが、ロシュフォールの言葉に驚いていたちょうど同時刻。


 脱獄者ジュサックは、リュクサンブール宮殿の庭内で、刃をかつての仲間に突きつけていた。マリー太后の様子を探ろうとして、勇敢にも宮殿に潜入した護衛士三人である。


「じゅ、ジュサック。お前が、なぜ?」


 負傷して右腕が使えなくなった中年の護衛士が、悲しそうにジュサックに言う。彼は昔、護衛隊に入ったばかりのジュサックを指導したことがある恩人だった。


「俺はまだ戦い足りないんだ。もっとぞくぞくするような喧嘩がしたい。それなのに、死んでたまるか」


 リシュリューの命令でバスティーユ牢獄に入れられたジュサックは、斬首されるときをただ待つしかなかった。そんな彼の運命を変えたのが、マリー太后である。自分の宮殿の裏手で起きた乱闘騒ぎを太后はしっかり把握していて、ジュサックという荒くれの護衛士が護衛隊を除籍され、バスティーユ牢獄に放り込まれたことも知っていたのである。


 以前からジュサックという殺人狂の剣士の噂を聞いていたマリー太后は、この危険な男を自分の番犬にしようと考え、牢獄から脱出する手助けをしたのだ。


「悪いな、先輩。俺とあんたは、いまはただの敵同士なんだ」


 ジュサックは冷然と言い放つと、かつての先輩と仲間たちの命を淡々と奪っていった。この三人は弱い、面白くないと不満に思いながら。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る