幼き老魔女の祈り
道草家守
幼き老魔女の祈り
赤が散る。火の花弁が舞い踊る。
あたしの指先から、髪の一筋から、あふれる魔力がそうさせる。
舞台は街一つ。
彩りは木と石と肉の焼ける匂い。音楽は逃げ惑う人間どもの悲鳴。
あたしが軽やかに一歩踏み出すたびに、すべてが赤に飲み込まれる。
恨むなら自分の王をうらめ、あたしを年端もいかない少女と侮った天罰だ。
まあ、あおったのはあたしではあるけれど。
だってあたしが欲しいなんてのたまうんだもの。
この世の災厄、魔女だと言ったのに。
ああ、人間がおびえる表情が心地良い。まき散らされる憎悪が好ましい。
くすくす、くすくす。笑みがこぼしながら、すべてをこの身に受け入れる。
幼い四肢に力が行き渡り、また炎が生まれる。
さあ、すべてを燃やし尽くそう。
と、ぽつりと、こっちを見る小さな人影を見つけた。
この街ではありふれた、家畜よりも価値のない、浮浪児の子供。
ちょっと触れただけで折れてしまいそうな体はあたしよりも薄っぺらくて、男の子だとわかる。
垢とすすにまみれた顔には絶望と怨嗟はいっぺんもなく、その黒々とした瞳は、まっすぐあたしを見ていて。
「……めがみさま」
「あなた、おかしなことを言う子ね」
この世の災厄である魔女に向かって、よりにもよって女神とは。
けれど、その子供があたしよりも小さくて、その瞳に宿るのが、純粋な賞賛しかないように思えたから。
ただの気まぐれだったのだ。
「ねえ、あなた、あたしの非常食になりなさい」
あたしの、炎をまとう手を、その子供はためらいなく取ったのだから。
*
あたしは魔女だ。
この世界で、悠久の時を生きる、人の形をした災厄。
一応12の頃までは人間だったんだけど、一族の中で一番才能があったあたしは、人の殻を脱ぎ捨てさせられ生きた魔法にされた。
そのときのことは思い出したくない。苦しかったし、痛かったし。きれいな金色だった目も髪も、血肉のような赤に変わり果ててしまった。
しかも、人が魔女や魔法使いになるのは第一級の禁忌だから、世界中から追われることになった。
でもそんなの知ったこっちゃない。好きで魔女になったわけじゃないし。背は12の頃から止まったまんまだし。赤毛になっちゃったし。
一族はあっという間に禁忌がばれて、一族郎党火あぶりになった。
あたしは炎に愛されていたから逃げて、数十年後に倍返しにしたけど。
そのあとは一人。
街とか国とか滅ぼしたり、やらかしたこともあったけど、700年もたてばいろいろあきらめもつくと言うもので、一応それなりに長い生というものを楽しんでいる。
そうやって気ままに渡り歩いているうちに、”
困らないから、別に良いけど。
あたしは魔女だ。
人間達が醜く老いて死んでいく中、ずっとかわいい少女のまま。崇拝するものは山のようにいる。だからあたしは自由に気ままに歩んでいく。
だから、一人で良い。隣には誰も要らない。
それよりも、この赤毛もうちょっとどうにかならなかったかなあ。
細いからすぐ絡むし、そのくせっけだし。
髪をいじれば必然、自分の成長しきらない細くて小さな手と指が目に入る。
魔女になった瞬間から年は取らない。姿変えで大人になってもむなしいだけだったからあきらめている。
まあ、たっぷりのフリルが似合うのは、悪くない。
けど、最近改めて自分の幼い容姿を感じるようになってしまった案件がある。
「
低く、体に響くような太い声とともに、思索で時間をつぶしていたあたしの体がさらわれた。
片腕一本で軽々と持ち上げられてかばわれれば、刹那、今までいた場所が轟音とともに粉砕される。
もちろんあたしはそのおぞましい魔力の一撃が来ることは知っていた。けれどこの腕が間に合うことも知っていたのだ。
すいとみあげれば、がっしりとした首筋と、雄々しく精悍な横顔がそこにある。
そいつは、30年くらい前に拾ったあたしの非常食だった。
非常食だ非常食。それ以上でもそれ以下でもない。
あたしを閉じ込めて飼おうだなんて
その時たまたま怨嗟と悲哀をたっぷり吸って満腹で、たまたま生きてて、たまたまあたしよりちんまくて、たまたまあたしを見上げて「女神さま」なんて呼びかけてきたから。
また、魔力を切らしてうっかり捕まることがないように、いつでも食べられる
名前はスペア、あたしの予備だから。
なのに人間の成長は無情だ。
あたしよりも背が低くて華奢だったくせに、たった30年で立派過ぎるほどに立派に成長してしまう。
細くて柔くて、あたしが首に手をかけただけで死にそうだったのに、今はどうだ。
あっという間にあたしの背なんか追い抜かして、今では父親と娘でも通じてしまう。
こうして、あたしを殺そうとする教会の人間どもすら、一人で退けられるようになった。かわいくない。全然かわいくない。
世間では「魔女の作り出した人工使い魔」だなんて言われてるけど、だれがこんなかわいくないやつ使い魔にするものか。下僕で事足りるのに。
あたしがやったことなんて、逆らえないよう契約したことと、こいつの魔力がおいしくなるように、ご飯を食べさせて魔術を教えたこと位だ。
時々ちょっかいかけてくる人狼に、剣とか習ってたけど。
生意気にも、こうしてあたしを狩ろうとする祓魔師や、手に入れようとする輩を勝手に倒すようになった。
馬鹿じゃないのか。こいつはあたしの非常食なのに。
むかむかしているうちに、彼は、黒い外套を
そして、鳶色の瞳で私を見下ろすのだ。
「主、排除が終わりました」
「遅いわ」
「申し訳ありません。しかし、主、もう少し食べた方が良いのではありませんか。あまりに軽すぎる」
「あなたが出すものは全部食べてるじゃない!」
「では、少し増やしましょう」
大まじめにのたまうスペアに、あたしはますますいらだった。
あたしはこの12歳の体から変わらないのに、ひとの食べ物を食べさせようとする。
魔女の主食は魔力だって言ってるのに必ずあたしの分まで作るのだこいつは。
そりゃあ、食べ物からでも魔力は取り込めるし、こいつの作るお菓子はおいしいけど。
けれどよりにもよって、乙女に体重を増やせだと!
抱えられるのも業腹で、彼の胴を蹴り飛ばして地面に降り立つ。
言えばひな鳥を扱うみたいに降ろしてくれただろうが、それすら嫌だった。
どうせあたしの少女のままの筋力ではこの程度、こいつは毛ほども感じない。
筋肉だるまめ、美少年どこ行った。
「っ」
けれど、彼から漏れたわずかな苦痛の呼気に振り返る。
全身黒の衣服に包まれた、あたしの倍近くはある体にはどこも傷はなく、表情はいつもの落ち着いたものだけど。何せ30年一緒にいるのだ、すぐ見破れた。
「あなた、怪我をしたのね」
「……たいしたものではございません」
信用できるか。外見上傷はなくても、
そして一番治すのがやっかいなのがそこなのだ。
舌打ちをして、あたしは首が痛くなりそうな偉丈夫を見上げた。
「スペア、いつでも万全な状態でいてもらわなきゃあたしが困るのよ。あなたはあたしの非常食なんだから」
これは全くもって本当だ。悲哀や憎悪や苦痛の感情は一時的に魔力を増幅するけど、質は一段二段下がる。
健康で、健全な肉体と魂が堕ちるその瞬間が、最高の魔力を引き出すのだ。
だから、スペアには常に健康でいてもらわなきゃいけない。堕としていいのはあたしだけ。
「この程度ならば、勝手に治りますので」
けれど、スペアは頑なだった。
何をするか、わかっているからだろう。
やんわりとした、けれど明確な拒絶。
気に入らない。気にくわない。
「あたしがやるって言っているのに聞けないの」
あたしの感情の高ぶりとともに、赤毛が焔に包まれた。
炎禍の魔女と呼ばれるゆえん。あたしの魔力は炎になる。
そして傲然と、主として命じた。
「跪きなさい」
契約を通して暴力的に押さえつけられたスペアは、地に伏すように膝をつく。
はじめてゆがむ精悍な顔に、彼の本心が見えるようで安心する。
怨めばいい。憎めばいい。スペアから生まれる魔力は昔からたいそう美味なのだ。
教会の追っ手達からあふれた恐怖で満足していたはずなのに、また食べたくなる。
なのに彼は、こう言うのだ。
「手間をかけます」
表情がゆがんだのも一瞬。
手間。何気ない言葉選びと態度が、あたしの胸をじくりと突き刺す。
貴族の娘ですら舞い上がる洗練された雄々しい顔は、至って平静で事務的に思えた。
教え込んだのはあたし。常に自分のそばに置くのなら、無様にならないように教養も、感情のコントロールも身につけさせた。
だから、この男が美しいのは当たり前。
落胆する自分をプライドにかけて隠し、唇を弓なりにつり上げて見せた。
人間の傷程度、ほんの少し魔力を分け与えさえすれば、傷なんてあっという間に治るのだ。 たとえば触れて、たとえば手をかざして。
距離が近ければ近いほど効率が良い方法。だからあたしは口づける。
スペアがあたしの外見よりも幼かった頃、これをやるたびに顔を赤らめて慌てる反応が、あたしはたいそうお気に入りだった。
与えられる快楽にとまどって、制御できない衝動に翻弄される様子も。
だからあたしは契約を盾に、残酷に無邪気に、魔女の手練手管にかけて、いろんなことを教えたものだ。
いいようにもてあそばれるのは、トラウマになるには十分な体験だっただろう。
それでも大きくなってからは、そんなことも少なくなくなって、平静に受け入れるようになったけど。
中身はどうあれあたしの外見は12の子供。魔女に育てられた男にしてはずいぶんまともなこいつにとっては、治療の一種でも口づけを交わすのは苦痛だろう。わかっていたことだ。
そうでなければ、こんなに魔力が甘美なわけがない。
自分に言い聞かせて悠然と、いつものように少しひげの当たる頬に手を添える。
せいぜい今日も蹂躙してやろう。
おとがいを上げさせ、顔を近づける。
この顔が苦痛にゆがむのを、想像する。
あふれる魔力を想像するだけで、唾液があふれる。
鳶色の瞳がこちらをまっすぐ見つめていた。
「どうか、しましたか」
「っ、なんでもないわ」
途中で止まってしまい、スペアにいぶかしまれたけど、あたしは動揺を押し殺す。
見つめられ続けるのが恥ずかしいだなんて、言えるものか。
いつからだろう。
スペアを、戯れにもてあそばなくなったのは。
触れるだけで、胸が震えるようになったのは。
鳶色の瞳に宿る熱情を、見ないふりするようになったのは。
こいつは非常食だ。いつかはちゃんと死ねる。
あたしが育てた、あたしのもの。
隣になんか置くものか。
「スペア、くちをあけなさい」
この想いが、どうか伝わりませんように。
魔女のくせにそう願って、あたしはあたしの唯一に唇を落とした。
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