最終話「終わりのままでは終われない」
地球への帰還はあっという間で、大気の海に沈めば大地は全てを重くする。
だが、回収班によって
緊急手術を受けた
「れんふぁさん、少し休んでください。統矢君は私が見ていますので」
「……ほぇ? ふぁ、うう……ね、寝てないでふっ、寝てません! 大丈夫、だいじょ、う、ぶ……」
ベッドの横に並んで二人、しかし
どういう訳か、この基地は不自然な程に兵士の数が少ない。
軍属もいないし、こうしている今もひっきりなしに輸送機やヘリが飛び立っている。
まるで引っ越しの真っ最中という雰囲気で、生還した者達への労い、看護や保護もおざなりだ。重傷者の統矢は手術してもらえたが、終わるなり半ば放り出すように病室に寝かされ、それっきりである。
「れんふぁさん、なにか妙です。この基地……恐らく、九州地方のどこかの基地だと思うんですが」
「えっと、それは」
「私達は皇国海軍の所属なのですが、それにしても放っておかれ過ぎです。帰還して三日が
そう、あの狂気を
繰り返し自分の未来を
千雪達に、最後まで抵抗することを望んでいなくなった。
人を人とも思わぬ指揮官だったが、死んでいい人ではなかった
そして、千雪達は作戦の失敗もそのままに、中途半端に放置されている。次の命令も来ないし、待機を命じられてもいないのだ。
「あれだけ大規模な作戦を行い、失敗しました。それは
「いつもの情報統制、でしょうか」
「というより、それどころではないという感じですね」
基地内の空気は異常だ。
廊下で擦れ違う兵士達は、皆が一様に
パラレイドとの永久戦争は、その終わりなき始まりが絶望そのものだった。
だが、未来への不安とは別種の、終わりが始まったかのような悲壮感ばかり感じる。
確かに今、世界でなにかが起こっている。
地球を離れていた僅かな期間で、戦局が大きく動いたのかも知れない。
そのことをれんふぁに語っていた、その時だった。
「いたわね、【
振り向くとそこには、意外な女性が立っていた。
軍服姿はティアマット
彼女は手にしたジェラルミンのアタッシュケースを、立ち上がる千雪に突き出した。
もう片方の手はギブスに覆われ、首から吊るされている。
再会と生還を喜ぶ雰囲気はなく、
「あの、雅姫一尉。これは」
「現金よ。かき集められるだけ集めてきたから、数千万はあるでしょう」
「……軍規違反では?」
「安心なさいな。私も貴女も、軍法会議を恐れる必要はなくてよ?」
しかたなく千雪が受け取れば、金属のアタッシュケースはずしりと重い。
そして、雅姫は驚くべき真実を告げてくる。
「軍法会議も銃殺刑も、もうありはしない……日本皇国軍、そして人類同盟軍は事実上
千雪は思わず、呼吸も忘れて黙った。
心臓でさえ鼓動を忘れたかもしれない。
唐突な終戦は、人類の敗北という形で訪れた。
正確には、この世界の人類が平行世界の人類に負けたのだ。
驚きに思わずれんふぁが椅子を蹴る。
「そ、そんなっ! 嘘です! だって」
「……あちら側の摺木統矢、トウヤ大佐というのは軍略に関してだけは天才ね。まんまと一杯食わされたのよ、私達は」
雅姫は、今になって明らかになった事実を語った。
月の裏にある地下空洞で、リレイド・リレイズ・システムが現実世界へと物質化した。限られた時間だが、物理的に破壊可能な状態を
それ自体が、パラレイドの……平行世界から来たトウヤ達の大規模な陽動作戦だった。
千雪達最精鋭のパイロットがまとめて月面に集められ、
その裏で、パラレイドは主力の大半を地球侵攻の最後の大勝負に投入したのだ。
統矢がトウヤと
「それで、この基地は……」
「そう。既に非常事態宣言が発令され、人類同盟軍の全将兵は脱出を開始した」
「脱出……どこへ」
「南極基地よ。あそこはかつて、あらゆる国家に帰属しない土地だった。
そこまで話して、雅姫は小さく
そこには、かつて千雪の前に立ちはだかったエースパイロット、【
復讐を誓ったあの日から、
そして今、死地を求めて
「五百雀千雪一尉、更紗れんふぁ准尉。……そして、摺木統矢三尉。
そこには、愛する人を失った女の
同時に、
愛する人を奪われても、愛そのものまでは手放さない。既にもう、新しい愛も次の恋も雅姫には存在しないのだ。残された愛の影だけが、彼女を修羅の道へと駆り立てる。
千雪は、自分の中に言葉を探したが、なかなか出てこない。
「……生き残りなさい、【閃風】。この世の全てが終わるその瞬間、最後の刹那まで生き抜きなさい。私もそうする、そして……いつか、この【雷冥】との決着、つけてもらうわ」
「わかりました、雅姫一尉。では、約束してください。その日まで死なないと」
「死なない? 死ねないわ……パラレイドを根絶やしにするまで、死ぬつもりはないもの。それに、既に私はあの人と一緒に死んでるわ。死体は死なない、ただ戦うだけよ」
それだけ言うと、最後に車の鍵を放って敬礼し……雅姫は出ていった。
肩に
外に車が用意してあること、そしてここも危ないことを無言で千雪は伝えてもらった。既に人類同盟は敗北し、残存戦力を南極に集めている。慌ただしく発進する輸送機やヘリは、最後の決戦へ向かう者達だったのだ。
恐らくすぐ、入れ替わるようにしてパラレイドの
千雪達の敗北はまだ、彼等にとって勝利ではない。
これからトウヤと別世界の地球人達は、本当の勝利のためにこの世界で力を蓄える……
「千雪さん、しっかりしてくださいっ!」
れんふぁの声で、千雪は我に返った。
だが、戦争が終わったことも、負けたことも実感がない。だから当然、親しかった仲間や兄の死も、どこかで受け入れていなかったのかもしれない。
その全てが今、揺るがぬ現実として突きつけられた。
アタッシュケースを落としてしまったが、それを拾うれんふぁが手を握ってくれる。
彼女の声は震えていたが、芯の強さを感じさせる気丈な言葉が続く。
「二人でなら、統矢さんを運べます。すぐに担架かなにか……ううん、わたしがおぶって運びます! 千雪さんは外で車を! 千雪さん、
「あ、ああ……そう、ですね」
「そうですよ! 安心してください、千雪さん。わたしっ、あっちの地球の人間だから……異星人相手に、負けるのは慣れてますから! 大事なのは、負けで終わらないことです!」
意外なタフネスをれんふぁが発揮した。
彼女はすぐに、ベッドで眠る統矢から点滴を外す。そしてそのまま、背に彼を背負ってよろけながらもしっかり立った。
逆境の中で奮起するれんふぁの、その秘めた強さに統矢は
彼女が統矢を愛してくれてよかった、改めて千雪はそう思う。
それを思い出したら、悲しみも驚きも胸の底に沈めることができた。
「れんふぁさん、力仕事なら私が……統矢君は任せてください。れんふぁさんは車を」
「は、はいっ! エヘヘ……数千万円、ですよ? 大金持ちです」
「
「とにかく、どこかに隠れて統矢さんの回復を待たなきゃ……これで終わりじゃないから」
そう言って、れんふぁは自分を奮い立たせるように
そして、統矢を受け取り背負い直した千雪の
統矢を愛する者同士、統矢を介して愛し合った二人のキス……突然のことに千雪は驚く。
「わたしも、怖くてびっくりで、混乱してて……だから今、千雪さんの強さ……もらい、ました」
「れんふぁさん」
「くっ、車! 急いで用意してきます! うう、マニュアルだったらどうしよう……千雪さんも急いでくださいねっ! あと、適当に役立ちそうなものは積み込んどきます!」
それだけ言って、れんふぁは病室を飛び出していった。
千雪もすぐに、その背を追って歩き出す。
どこかで銃声が聴こえた。徐々に
だが、ここは千雪の終わりではない。
統矢とれんふぁ、愛する二人の最後であっていい筈がない。
「行きましょう、統矢君。……絶対に死なせません。そして、終わりにさせませんから」
微かに、統矢が背中で頷いたような気がした。
気がしただけで十分な程に、千雪の決意は確信に満ちていたのだった。
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