第7話「別世界との門を守るもの」

 月の裏側は、暗黒の世界。

 今の科学力でも、何故なぜ月が常に地球へ表だけを見せているのか……公転と自転がシンクロしたかのように、裏側を隠しているのかは解明されていない。

 まだまだ未知の世界、陽の光が当たらぬ宇宙を五百雀千雪イオジャクチユキは飛んだ。

 暗い深海のような中、僚機をグラビティ・ケイジで包んで運んでゆく。

 フェンリル小隊の隊長を務める、兄の五百雀辰馬イオジャクタツマが全員へと呼びかける。


『各機、距離5,000まで近付いて着陸、徒士かちで目標へと接近する。重力は六分の一だ。妹のグラビティ・ケイジを出たら注意して歩けよ? 手は引いてやらねえからな』


 摺木統矢スルギトウヤ更紗サラサれんふぁ、二人の【樹雷皇じゅらいおう】はいない。

 ずっと後方で、攻略部隊の主力と仮設司令部かせつしれいぶを守っている。

 先行するフェンリル小隊の、これはいわば強攻偵察任務きょうこうていさつにんむである。

 辰馬の声に、元気のいい返事が疑問符を引き連れて響く。


『はい! はいはい、はーいっ! 辰馬殿、質問であります!』

『どうした、沙菊サギク

『うぃす! ……その、リレイド・リレイズ・システムって、なんでありますか!?』

『……作戦資料は読んでんだよなあ?』

『熟読したであります! ……さっぱりわからなかったであります』


 小さな笑いが連鎖する中、辰馬が溜息を零す。

 彼の忠実な副官で恋人、御巫桔梗ミカナギキキョウ渡良瀬沙菊ワタラセサギクに説明を始めた。


『沙菊さん、れんふぁさんがこの時代に来た未来の地球人、摺木君の曾孫ひまごだということは知ってますね?』

『うす、それくらいなら』

『彼女から見て過去、そしてわたくし達から見た未来……それは無限にも等しい数が存在し、同時並行して違う世界線を織りなしています』

『……なんか、難しいであります』

平行世界パラレルワールドということです。だから本来、新地球帝國しんちきゅうていこく巡察軍じゅんさつぐんを名乗る異星人と戦争に突入、敗北した西暦2208年は……わたくし達の世界線とは別の平行世界ということです』


 ふむふむ、と沙菊がうなっている。

 千雪にはすぐわかった。

 こういう時におとなしくなるのは、沙菊がオーバーフロウした時の降参の合図だ。彼女はすでに、理解を諦めているかもしれない。

 だが、落ち着いた声で静かに桔梗は語り続ける。


『異なる世界線の摺木統矢大佐は、DUSTERダスター能力に目覚めた人間による一騎当千の逆転部隊を整えるため、世界線を超えて過去へと次元転位ディストーションリープしました。それを可能にするのが、リレイド・リレイズ・システムです』

『と、言いますと!? 自分も、次元転位が一種のタイプスリップだとは理解してるであります!』

『リレイド・リレイズ・システムに登録された個人は、遺伝子情報の欠如と引き換えに……世界線を超えて時間をさかのぼれます。ただ、


 そう、千雪達の世界は無作為むさくいに選ばれた。

 不幸にも、ただ運が悪くてパラレイドの襲撃を受けたのだ。

 パラレイドを自称し、人類を試練で鍛えてDUSTER能力に導く……そんな妄念にとりつかれた、もうひとりの摺木統矢によって。

 そして、彼がたまたま選んだこの世界線は……彼をしるべとして、パラレイドを招いた。


『桔梗殿っ、その……ある条件、とは?』

すでに次元転位で辿りついた人間がいれば、その人間より時空座標を知らされた者のみ、次元転移する先、どの世界線の過去、あるいは未来に行くかを定められるんでう』

『つまり……悪のチビ統矢殿がたまたま自分達の世界線に来て、仲間のパラレイドに時空座標を送っている……で、ありますか?』

『正解です。でも、御堂ミドウ先生達は……御堂刹那特務三佐達ミドウセツナとくむさんさ、リレイヤーズと呼ばれる子供達には時空座標がわからなかった。そこで』


 桔梗は少し悲しげに声をかげらせる。

 刹那達、秘匿機関ひとくきかんウロボロスの子供達……大人になることを奪われた、リレイヤーズのこころみは悲壮感を極めた。彼女達は、西暦2208年の自分の世界線から、摺木統矢大佐がどこへ次元転移したかがわからなかった。

 だから、数を試すしかなかった。

 幾度いくどとなく、無数に存在する無限の可能性の、その一つ一つを虱潰しらみつぶしにしたのだ。


『ほえー、次元転位してランダムで引いた世界線、そこにチビ統矢殿がいなかったら』

『何らかの方法で生命活動を終了し、リセットする。そうしてまた、西暦2208年のあの世界線から、再びランダムで次元転位するんです。その過程で、どんどん自分の成長が奪われてゆく……遺伝子情報の欠損が激しくなるんです』


 秘匿機関ウロボロスの天才児達が、リレイヤーズと呼ばれる所以だ。

 何度も何度も、世界線を選び直している。

 その都度、本来あるべき成長を奪われているのだ。

 だが、千雪は知っている……次元転位で欠損する遺伝子情報は、千雪の愛する統矢にとって以外な福音ふくいんをもたらした。それは、パンドラの箱から悪意や害意を放ったあとの、小さくかすかな希望にも似て尊い。

 れんふぁは、御堂刹那達の時空座標を使い、この世界線へと次元転位してきた。

 その時、偶然にも……統矢との血縁を示す遺伝子情報がごっそりと抜け落ちてしまったのだ。だから、初期の記憶喪失の彼女を、統矢の血縁者とDNA鑑定できなかったのだ。れんふぁは更紗サラサりんなの曾孫としての遺伝子情報を持っているが、もう片方の統矢との関連性を喪失している……肉体的には他人、ただの男と女でいられるのだ。

 それは、女でいられなくなった千雪には嬉しい誤算だ。


『でも、謎は残るよな……桔梗。あのクソ野郎、?』

『最初の次元転位者である彼が、どうして成長の止まったリレイヤーズ状態なのか、ですね? 辰馬さん』

『ああ。だって、奴の人生では宇宙人に負けて、そのあと俺達の世界にやってきた……最初の次元転位でたまたま俺達の世界線を引き当て、その時空座標をリレイド・リレイズ・システムを通してパラレイドに送った。……何故、奴の遺伝子情報はガキで成長が止まるほど欠損している?』


 千雪の兄は、時々鋭い。

 普段は三枚目を気取ってだらしなく、女性関係に関してはもっとだらしない。良妻賢母りょうさいけんぼの鏡みたいな桔梗が、どうしてこんな兄に尽くしてくれるのかが不思議なくらいだ。

 だが、兄はやはりフェンリル小隊を率いる隊長のうつわ、そして千雪の尊敬するパイロットだ。パンツァー・モータロイドの操縦は勿論、小隊指揮や作戦の立案、もともと戦技教導部せんぎきょうどうぶとしての指導力、訓練や座学のわかりやすさ……天は彼に二物どころかダース単位で才能を与えているのだ。

 天才という言葉を使うと、兄が嫌そうに苦笑いするのも知っている。

 彼が人一倍努力を重ね、軍人の父が亡くなったあとも家を守ってきたのだ。

 そんなことを思っていると、ずっと黙っていたラスカ・ランシングが口を開いた。


『着地地点まであと少し……妙ね。これは……おかしいわ。桔梗っ! 光学映像で確認して』


 張り詰めた声に、一同が瞬時に緊張感を帯びる。

 狙撃戦に特化した桔梗の89式【幻雷げんらい改型弐号機かいがたにごうきが、ひたいのスコープバイザーを下げる。バイザー状のメインカメラに直結され、高感度のスコープレンズがズームする。

 隊でも一番の目を持つ機体の中で、桔梗が息を飲む気配が伝わった。


『辰馬さん……皆さんも。破壊目標である、リレイド・リレイズ・システムの形状を知らされてる方は、いますか?』


 千雪の返事は、他の者達と一緒だった。

 目標地点だけは知らされている。

 因果律を調律し、あらゆる世界線を連結させてしまうオーバーテクノロジー……リレイド・リレイズ・システム。その存在は特性上、。常に存在が不確定で、無数の平行世界を彷徨さまよっているのだ。

 一説には、異星人の技術をも導入したと言われる、謎の時空間統合連結装置。

 それが千雪達の世界線へ実体化した。

 恐らく、あと数日でまた消えてしまうだろう。

 その前に破壊し、パラレイドの無限の兵力を断つのだ。

 だが、具体的にリレイド・リレイズ・システムがどんな形をしているか、刹那は何も教えてはくれなかった。あるいは、彼女自身も知らないのかも知れない。

 そして、辰馬の改型壱号機かいがたいちごうきが解析し、全機へと送ってくる。


「これは……! これが、リレイド・リレイズ・システム?」


 千雪は目を疑った。

 暗黒の世界に、眩しい光が連なり重なっていた。

 月の裏側、冷たい静寂の中に……街があった。

 都市が存在していたのだ。


『俺の目が節穴ふしあなじゃなきゃよぉ……こりゃ、街だな? でけぇ大都会だぜ……』

『生命反応の有無は確認できません。真空の月面に、半径3km前後の都市部が広がっています。中央の高層ビル群、そして敷地内の建築物に不自然な熱源反応』


 まるでたちの悪い冗談だ。

 だが、冗談では済まされない状況が突然始まる。

 月面旅行は終わりを告げ、千雪は愛機【ディープスノー】のグラビティ・ケイジを調節する。フェンリル小隊の全PMRパメラが、小刻みにスラスターを明滅させながら姿勢制御を繰り返した。そして、着陸。

 荒涼こうりょうたる荒れ地に一歩を刻んだ、その刹那……再び戦争が始まった。


『各機、気をつけろっ! ありゃ、街なんてかわいげのあるもんじゃねえ……パラレイドの作った要塞、だ!』


 不意に、遠くで無数の建造物が蠢き出した。

 そして、無数の砲台やミサイルポッド、ビームランチャーが現れたのである。

 街自体が、地鳴りを轟かせて変形した。

 さながらハリネズミのような武装を、隠していたのだ。

 あっという間に、千雪達へと火線が殺到する。

 すかさず【ディープスノー】を前へと押し出し、そのいかつい両腕を左右に開く。

 全身を広げた【ディープスノー】が、前面へと強固なグラビティ・ケイジを展開した。ビームが歪曲され、触れたミサイルや砲弾が爆ぜ散る。

 こうして戦端は開かれた。

 危険な偵察任務の前に現れたのは、指定座標を占領する巨大な防衛都市なのだった。

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