第6話 「それぞれの想い」

 やれやれ……。

 半ば分かっていたことではあるが、やはりこうなってしまった。


「何でと言われましても……」


 シルフィが困った顔でこちらに視線を向けてくるが、俺じゃ無理だと言わんばかりに首を横に振って返す。

 どう考えても今のアシュリーが俺の言葉に耳を貸すとは思えない。ここはある程度シルフィと話せた方が賢明だろう。


「えっと……逆に聞きたいのですが、どうしてお見合いをしてはいけないのでしょう?」


 さすがは真面目なシルフィである。実に素直な返しだ。

 だがそれ故にアシュリーも答えにくいだろう。

 だってアシュリーさん、俺の前ではあたしのシルフィとか言えるけど本人を前にするとダメになるヘタレだから。

 ただ今のアシュリーは精神的に追い込まれている。

 ならばあたしが認めた人じゃないとダメです、程度のことは口にするかもしれない。それでシルフィの考えが揺らぐとは思えないが、さてさてどうなる……。


「それは…………シルフィ団長はお見合いする相手のこと知ってるんですか?」

「ええ、何度かお会いしたことはあります」

「何度かって……それってあまり知らないってことじゃないんですか?」

「知らないと言えば知りませんね。ノーリアスの貴族で女好き、それ故によくお見合いをしているそうですが全部断られている。そのような話は聞いていますが」


 ノーリアスの貴族で女好き。それでいて頻繁に見合いをしており、シルフィが数度顔を合わせたことがある相手……そんなの俺の知る限りあいつくらいだな。

 もし俺の予想が外れていないならば、シルフィの堂々とした振る舞いにも納得が出来る。

 何故ならシルフィは、騎士や貴族として振る舞い際は毅然としている。だがプライベートでは、事あるごとに過敏に反応するタイプだ。

 特に恋愛事なんて話題にしただけでも動揺する。以前俺がこの手の話題を出した時の反応が良い証拠だろう。


「そ……そんな人と結婚なんかして幸せになれるんですか!?」

「現状ではお見合いをするだけで結婚までするわけではないのですが……ただ幸せになれる確率としては自分の想い人と結ばれる方が高いでしょうね」

「だったら」

「ですが……幸せになれないとも限りません。たとえ政略結婚だったとしても幸せを得ている方は大勢います。アシュリー、何も知らないうちから拒絶して遠ざけるのは視野を狭めるだけですよ。もう少し物事を違った角度から……」


 シルフィの言うことは間違いではない。

 好きでもない相手と結婚したからといって、その後その相手を好きになる可能性はゼロではない。下手をすれば、お互いに何も知らないだけに知った上で結ばれるよりも上手くいくことだってあるだろう。

 ただアシュリーの表情を窺う限り、そのようなことを聞きたいのではないのだろう。


「……視野を狭めてるのは、物事を違った角度から見るべきはシルフィ団長の方じゃないですか!」

「え……」

「だってそうでしょ! シルフィ団長はこの話をしてから一度だって笑ってない。ただ淡々と騎士団長として、ラディウス家の当主として事実を述べるように受け答えしてるだけ。そこにはシルフィ団長の……シルフィーナっていう人物の考えがないじゃないですか!」


 そう、今俺達と話に応じているのはシルフィではない。

 シルフィーナ・ラディウス。エストレア王国の貴族にしてラディウス家現当主、そして第一騎士団の団長を務めている人物。

 ここまでアシュリーが納得できないでいるのは、おそらくシルフィ個人としての言葉が聞けていないからだ。

 ただ……ここからどれだけの言葉を重ねてもアシュリーは聞きたいことは聞けないだろう。


「もっと前を向いて……未来を見据えて話してくれてるならあたしだって納得できます。無理にでも納得します。だってシルフィ団長は……フィー姉はあたしの恩人で憧れの人だから。幸せになって欲しいから……フィー姉には好きな人と結婚して欲しいよ」

「アシュリー……ありがとうございます。あなたの気持ちはとても嬉しく思います。あなたにそのように思われて私は幸せです」

「フィー姉……なら」

「ですが、だからといって私が見合い話を断るということはありえません」


 声量こそ変わっていないが、そこにはアシュリーを斬り捨てるような響きが含まれていた。


「な……なんで」

「結婚は好きな人と。アシュリーの考えは、人として最も正しいものなのかもしれません。ですが私はこの国の貴族であり、騎士団長です。国や民を守る義務があります」

「義務って……そんなの」

「そんな、ですか。まあアシュリーにはそれくらいのものなのでしょう。ですが私にとってその義務は……私の存在以上に優先すべきことです」


 アシュリーの表情には疑問と驚愕が浮かぶ。

 必死に答えを探しているのだろう。必死に理解しようとしているのだろう。だがそれが叶うことは現状ではありえない。

 何故ならアシュリーは過去のシルフィを知らない。

 今でこそ他人に優しく気遣いのあるシルフィだが、魔竜戦役の時代はそうではなかった。


「アシュリー、良い機会だから言っておきます。私はあなたが思ってるほど良い大人ではありません」


 望むのは輝かしい戦果。

 共に戦う仲間は勝利へ近づく道具。

 全てはラディウス家のために。

 簡潔に言えば、これが昔のシルフィの考え。

 だからこそ彼女は、周囲に認知されている英雄の護衛より俺のような肩書きだけの英雄と共に多くの戦場を駆けることを選んだ。

 その方が多くの敵を葬れるから。生き残った際の見返りが大きいから。


「必要があれば他人を罠に嵌めるような真似もします。必要があれば敵を無残かつ無慈悲に殺しもします」


 この言葉は嘘ではない。

 没落しかけたラディウス家に名声を取り戻すため、何の後ろ盾もない状態で騎士団へと入った。頼れるのは自分だけ。

 その状況下でシルフィは、たったひとりで家の再興を目指して戦場を駆け巡った。戦果を得るために知略を巡らせ、早期解決のために敵を木っ端微塵にする。

 ただこれは、自分の目的のために真面目に取り組んだだけなのだ。


「必要があれば……仲間だろうとこの手に掛けます」


 人が人でなくなり殺戮を行う兵器と化す。そうなれば斬る他にない。

 その行為は、見る者によっては残虐に見える。だから彼女を冷酷な人形だと蔑む者も居た。

 だが……彼女のおかげで生き残った者も数多く居る。

 守れなかった無数の命に何も思わなかったわけではない。

 シルフィも心を持った人間だ。

 戦場を駆けた分だけ心に傷を負った。自分のことばかりでなく、同じ過ちを繰り返さないように、笑える未来のためにと奮い立ち、歩みを止めなかった。

 だから戦場を駆ける度にシルフィは変わり、今の彼女へと至ったのだ。

 貴族や騎士団長としての振る舞いは、過去への贖罪であるのと同時に未来のために動く彼女の生き様が形となったもの。

 あの地獄を戦い抜いて出来上がった覚悟や生き様は、そう簡単に変わるものではない。変えられるものではない。

 俺が魔剣グラムを打つのをやめないように。シルフィはいかなる場合も貴族や騎士団長としての義務を優先する。


「アシュリー……あなたは私に憧れていると言いましたが、あなたでは私にはなれません」

「――ッ」

「私は国や民のためにならば、個人の幸せを捨てられる女です。慕ってくれている貴方の心を踏みにじることが出来る女です」


 シルフィは、どこか自虐的な笑みを浮かべながらアシュリーへと近づく。

 泣く子供をあやす時のようにそっとアシュリーの頭へと手を伸ばしていき……


「だからあなたは私なんかを目指さず、どうかあなたらしく、あなたのまま」

「うるさい、うるさいうるさいうるさい! それ以上聞きたくない!」


 明確な拒絶。

 それを示すかのようにアシュリーは、シルフィの手を思いっきり払い除けた。

 だだアシュリーの目にあるのは敵意ではない。怒りはあるが、その大部分は悲しみだ。それが形になった大粒の涙が頬を何度も垂れる。


「アシュリー……」

「フィー姉なんて嫌い……大嫌い。昔からいつもいつも……今みたいに愛想笑いで誤魔化して。本当のことは何も言ってくれない。あたしは頼りない子供かもしれないけど……それでも話して欲しいことだってあるよ。言えないことは……言えないって言われた方がマシだよ。遠ざけたいなら優しくしようとしないでよ!」

「アシュ……!?」


 シルフィの制止を聞く素振りさえ見せず、アシュリーは走ってこの部屋から出て行った。

 魔法の類は使えないはずだが、実に馬鹿げた速度である。

 ただシルフィが全力で追いかければ追いつくことは出来るだろう。しかし、今のシルフィにはそんな気力はないようだ。

 いや、正確には追いついたところで掛ける言葉がないというべきか。


「……俺も帰るか」

「え」

「ん?」

「あ、いえ……そうですね」


 ……はぁ。

 肯定しながらも実にもう少し居て欲しいと言いたげな顔である。こういうところはアシュリーに似ていなくもない。いや、この場合アシュリーがシルフィに似たというべきか。

 俺が俯きがちなシルフィへ近づくと、シルフィは様子を窺うように視線を上げる。

 あの騎士様と違って実に可愛げのある上目遣いだ。

 ただ今に関しては逆に鬱陶しいので、シルフィの額にデコピンを放つ。


「ッ――い、いきなり何するのですか?」

「構ってオーラが凄かったからつい」

「つい、でやらないでください。地味に痛いんですから」


 でしょうね。多少は痛がるように力を入れたんで。


「しかし……お前は本当に真面目だな。まさかここまで拗れるとは」

「その言い方だと私だけが悪いように聞こえるのですが……」

「お前だけが悪いとは言わないが、お前の方が悪いだろ。見合いはするけど結婚はしないってはっきり言えば済む話だっただろうに」

「そ、それは……そうかもしれませんが」


 結婚する可能性が出てくるかもしれないから言えませんでしたってか?

 そんなんだからいつまで経っても真面目だとか堅物だとか言われるんですよ。


「特に最悪だったのは、あなたじゃ私にはなりませんってところだな。憧れてる相手からそんなこと言われたらあいつじゃなくても泣くだろう」

「そ、それはそういう意味ではなくて! あの子にはあの子らしく生きて欲しいと言いますか、私のようになりたいと思ってくれるのは嬉しいのですが……それではあの子の良いところを消すことになりかねないと思ったわけで。それにあの子は少し私に依存気味だったりするので……独り立ちして欲しいというか」

「普段ならともかくあの流れでそういう意味に解釈するわけないだろう」

「う……」


 職務モードだったわりには色々と甘い。シルフィはシルフィなりにテンパってたことか。

 完全無敵の騎士団長様も可愛い妹分が相手になると弱いってことですね。まあその方が人間味も可愛げもあって良いけど。


「……意地悪言わないでください。ただでさえあの子から大嫌いと言われて気落ちしているんですから。そもそも、何でルーク殿はそう平然なのですか?」

「平然も何もこれはお前とあいつの問題だろ」

「そうですが……ルーク殿は私のお見合いにこれっぽっちも興味がないのですか? 少しくらい……その、やきもちを妬いてくれても」


 ここでそういうこと言わないでくれませんか。

 あなたは個人の幸せよりも国や民を優先するんでしょ?

 こっちも神剣に代わる魔剣を打つという目的がありましてですね。大体こちらは平民なわけでして……あなたと結婚するとなると色々と障害も。

 というか、やきもちを妬けと言われても……


「見合い相手があいつだと聞かされてどうやきもちを妬けと?」

「で、でも! お見合いは……お見合いですし」

「お見合いという形の情報交換の場だろ?」


 違います、と言いたげにシルフィは顔を背ける。

 アシュリーやらで見慣れている光景ではあるが、シルフィがすると可愛いと思ってしまうのは何故だろう。普段しないだけにギャップ萌えだろうか。


「……何で分かったのですか?」

「最大の理由はお前の動揺のなさだな。初心なシルフィさんが職務も絡んでない状態で堂々と他人に見合いするなんて言えるわけがない」

「わ、私はそんなに初心じゃありません! 仕事が絡んでなくてもけ、結婚が決まれば……普通に……言えます」


 仮定の段階でそれだと言えないと思います。

 しかし、アシュリーさんをどうしましょうか。下手に他人が口出すのも良くないとは思うけど、あの子の性格を考えると我が家に居てもおかしくないんだよね。

 でもシルフィは立場上言えないこともあるだろうし、真面目さが災いしてまた拗れるかもしれない。

 そう考えると……今は考えたくないな。


「ルーク様、思考の放棄はいただけませんね」

「……さっき出て行けって言われたろ」

「ちゃんと一度出て行ったではありませんか。続きですが、ちゃんと考えてください。そうでないといつまでも経ってもシルフィーナ様との仲が進まないではありませんか」

「なっ……ジジジジル、あなたは突然何を言っているのですか!?」

「突然?」


 男装執事の顔が涼しげなものから凜としたものへと変わる。

 これは間違いなく面倒臭い展開になる前兆だ。


「突然ではありません! ルーク様はシルフィーナ様のことをよく理解されている殿方です。それでいてシルフィーナ様も休日は早朝よりお弁当を作り、ルンルンとした足取りでルーク様の家に向かう始末……はたから見ていたら『あぁもうじれったい、お前らさっさと結婚しろよ!』状態だったりするわけです」

「たたたた確かに休日にルーク殿の家に行くことはありますし、お弁当を作ることもありますが。ただルンルンとした足取りで行った覚えはありません!」

「え……スキップしたり、にやけながら何かブツブツと呟くお姿を何度も見ているのですが?」


 シルフィの顔が真っ赤に染まった。

 それはそれは瞬く間に茹でたタコみたいに真っ赤に染まったよ。つうかこの執事、発言からしてストーカーだな。


「シルフィーナ様の許容限界が超えそうなので……ルーク様」

「今度は俺か?」

「そう警戒しないでください。少しお願いがあるだけです」

「お願い?」


 シルフィの代わりにアシュリーのことを頼むのだろうか……


「お見合い当日、ルーク様も参加してください」

「……は?」

「私は一流の執事ではありますが、色々とやることもありますので人手が欲しいのです。それに……もしものときはシルフィーナ様を守っていただかないと。もしものとき以外でもこいつは俺の女だ! と言って欲しいですが」


 この執事はいったい何を言っているのだろう。こんな主を置いてベラベラ話す執事が居ていいのだろうか。


「ちなみに……もし断れるのであれば、私が誠心誠意ルーク様のあることないこと言いふらします」

「おい、お前がやってるのはお願いじゃない。脅しだ」

「主を守るためなら喜んでこの身を汚しましょう」


 私利私欲のためとして思えないのですが。

 ただ断るという選択肢は存在ない。

 断ったら本当に何をされるか分かったものではない。何よりあの泣き虫騎士を宥めるためにも、きちんとシルフィが結婚を断っていたという話に説得力を持たせるために見合いに居合わせた方が良いだろう。


「というわけで、さっそくルーク様の服を用意するために採寸を……燕尾服のルーク様、これはしばらくオカズに困らなそうです」

「執事の恰好した変質者、今とんでもないことが聞こえた気がするんだが?」

「気のせいです。今日のシルフィーナ様の下着の色は桃色と言っただけです」

「今日の色は黒です! 桃色なんて履いてませ……あぅ」


 この執事、マジで性格悪いな。あれだけ追い込んでいたのにさらに追い込むなんて。

 それにしても……黒か。黒なのか……

 うん、ごめん。考えない、これ以上考えないから。

 だからシルフィさん、こっちを睨むのやめて。俺もすぐに帰るから。本当にどうしようもない時はちゃんと責任取るから。



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