第8話 「ひとまずの妥協案?」
スバルさんを巡る戦いが今始まる。
なんて言いたくなるような空気が流れてるけど……あたしは無関係だし、こそっと帰っちゃダメかな。
ここでご飯をもらうほうが金銭的には助かるけど、当事者でもないのにギスギスした空間に居たいとは思わないし。
「ルーク、良いタイミングで来た」
「あ……」
スバルさん、今のは良くない。実に良くないよ。
スバルさんからすればルーくんの登場は助け船だったんだろうけど、イリチアナって子の手を振り払うようにルーくんの方に行くのは悪手だよ。ルーくんへの敵対心が増加するだけだよ。
「何が良いタイミングなんだ? というか、何でお前は俺の服を着ている?」
「それはだな、うっかり全部洗濯してしまったからだ。私としては別に下着のままでも良いのだが」
「良いわけあるか。客が来るかもしれない日中くらいはちゃんと着とけ」
ルーくんが咎めるようにスバルさんの額を軽くつつく。
本人達からすればいつものやりとりなんだろうが、はたから見ている分にはふたりだけの世界を楽しんでいる恋人のように見えるわけで……。
「それとあんまりくっつくな」
「私は大抵誰にでもこんな距離感だ。それに……くっつくというのはこういうことを言うんだぞ」
一切の躊躇なくルーくんに密着するスバルさん。
スバルさんの胸の形が変わるほど距離感ゼロです。もう抱き合っていると言っていいくらい。
近くから凄まじく黒い圧力を感じるよぉ……イリチアナって子の顔は絶対見ない。どんな顔をしているのか想像すらしたくない。
だって嫉妬に狂う女ってこの世で最も怖い生き物のひとつな気がするもん!
「やめろ暑苦しい」
「将来を約束している恋人同士なのだから別に良いだろう」
「俺は汗掻いてるんだが?」
「そんなこと私が気にすると思っているのか? むしろ嗅ぎたいくらいだ」
「俺が気にするんだよ。あと堂々と人の匂いを嗅ごうとするな。さっさと離れろ変態」
ルーくんのスバルさんの扱いがぞんざいすぎる気もするけど、スバルさんの言動が言動なだけに長年連れ添う恋人のように見えなくもない。
というか……多分このふたりって昔からこんな感じだったんだよね。
周囲から見ればあいつら付き合ってるんじゃ? 状態だったような気はする。それなのに何でこのふたりって結婚はおろか恋人にすらなってなかったんだろう。
まあこの世界とは別の世界で暮らしてたわけだし、こっちの常識や価値観とは違うのかもしれないけど。
「あのーわたしもお話に混ぜてもらいたいんですけど」
さすがは恋する乙女。ぶち壊しに行きましたよ。
あたしは空気を読んで傍観してたけど、もしもあそこに居るのがスバルさんじゃなくシルフィ団長だったらあたしが行ってたね。
「誰だお前?」
「お、おま……わたしはイリチアナ・フッテンビリアって言います。はじめまして、ルーク・シュナイダーさん。いつもわたしのスバル様がお世話になってます」
にこやかな挨拶だけど……
てめぇにお前とか言われたくねぇんだよ。つうか私のスバルさんに手を出してんじゃねぇ。ぶっ殺すぞコラ!
とでも言いたげな顔だよね。
色恋沙汰に首は突っ込みたくないけど、あの子がナイフでも手にしたら事件になるかもしれないし。そうなったら騎士として放っておくわけにもいかない。
ルーくん達なら大丈夫な気もするけど、立場的に離れるとあとで問題にされる可能性も……考えるのやめよう。胃が痛くなるだけだし。
「あぁなるほど。お前がスバルの追っかけか」
「追っかけとか人聞きが悪い言い方しないでくださいよ。わたしはスバル様に恋するただの女の子なんですから。というか~わたしと話してるんですからスバル様とイチャつくのやめてもらえません?」
「嫌だ! 私はルークと結婚する。彼と添い遂げると決めているんだ。この腕を放すつもりはない!」
「いや放せ、今すぐ放せ。このままじゃ俺の腕に血が通わなくて壊死する」
ルーくんは思いっきりスバルさんの顔を鷲掴みして半ば強引に引き剥がす。
スバルさんは少ししょんぼりした顔を浮かべるけど……ちょっとだけ嬉しそうにも見えるのはあたしの気のせいかな?
ルークの匂い堪能した! とか思っていそうな雰囲気を感じるんだけど。
ルーくんの方はそんなの気にせず束縛されてた腕を動かしてる。指先まできちんと動いてるので大丈夫そうだ。
けど……今のって多分あたしもやれるよね。
ルーくんに効果的な技をひとつ発見できた気がする。ちょっと、いや少し……ううん結構恥ずかしい思いするけど。自分の胸を押し付けるに等しい行為だし。
「……で、フッテンビリアだったか? 何となく分かってはいるが聞いておこう。何しに来た?」
「愚問ですね。あなたという毒牙からスバル様を守って、あわよくば連れ帰って華々しい恋人生活をスタートさせるために決まってるじゃないですか」
本人がこの場に居るのに堂々と言えるなんて……この子の精神力は化け物か!?
あたしが普段シルフィ団長に対して抱いていることとか本人が居たら絶対言えないよ。だって引かれるもん。下手したら嫌われるもん。
でも、あれこれ考えるのはやめない。
だってあたしはシルフィ団長が好きだから。愛しているから。女としての憧れだから。何より……頭の中で考えるだけなら問題ないしね。ぐへへ♡
「……何かあの人気持ち悪いんですけど」
「気にするな。たまにあることだ」
「そうですか……それでルークさん、わたしにスバル様を渡してくれるんですか?」
おっと、考え事をしている間に話が進もうとしている。
スバルさんの今後とか若干どうでもいいと思ったりもするけど、殺傷沙汰が起きるのは不味い。第三者としてもしもの場合のために見守っておかねば。
「無理だな」
「へぇー理由をお伺いしても? ちなみにわたしはこう見えてもデンメルングで店を持つ一人前の商人です」
「……デンメルング? ルーくん、デンメルングって何?」
「エストレアの南にある商業都市だ。そこに店を持てるのは一流の商人の証とも言われている。親の七光りじゃなく自分の力だけで成し遂げたとすれば相当なやり手だ。というか、大雑把な地理くらい覚えとけ」
すみませんね! あいにくルーくんほど頭が良くないんで。これから少しずつ覚えていきますよ。ふーんだ。
しかしイリチアナって子、見た感じあたしより少し下って感じだけど……。
着ている服もあたしよりも装飾が彩り鮮やかで可愛いし、耳にしてるイヤリングも高そう。
この子って人生の勝ち組なのかな?
そうでなくともあたしよりお金は持ってるよね。お金のないあたしからすると非常に羨ましい。妬ましい。
「もちろんわたしだけの力で成し遂げましたよ。親なんて頼ろうにも頼れませんでしたし。魔竜戦役の時に死んじゃったので……まああんな親、死んでくれて良かったですけど」
それってどういう意味?
あたしも魔竜戦役の時に両親が死んじゃったわけだし、悲しみとか寂しさは理解できる。だけどこの子の目と表情……憎しみみたいなものが強い気がする。
一流の商人ってことなら演技してる可能性もあるけど、迂闊に踏み込まないのが賢明だよね。
「ってそんな話はどうでもいいんですよ。今大切なのはスバル様のことです。ルークさん、あなたはわたし以上にスバル様を幸せに出来ると言えますか?」
「まるで自分の方が幸せに出来るって言い方だな」
「だって普通に考えても分かることじゃないですか。このお店は都市部から離れていますし、内装を見ても繁盛しているとは思えません。食べていく分には困らないんでしょうけど、優雅な暮らしをさせてあげられるとは思えないっていうか~」
何て小馬鹿にしたような顔をする子なんだ。
もしもあんな顔をあたしに向けられていたら……間違いなく怒る。自分可愛いでしょ感も相まって手を出すかもしれない。この子、かなりの確率で同性を敵に回すね。
「そうだな」
「……ずいぶん簡単に認めるんですね」
「エストレアの田舎にある鍛冶屋とデンメルングにある店。どっちに金があるかなんて考えるまでもないからな」
「な、ならスバル様を」
「いや、それとこれとは話は別だ」
迷いのない言葉にイリチアナは、一瞬ではあるが怯んだような顔を浮かべる。
「フッテンビリア、お前にとって幸せな暮らしって何だ?」
「は? そんなの美味しいものが食べられて、可愛い服を買えて、煌びやかな宝石を身に付けられる。他人から羨ましいって思われるような暮らしに決まってるじゃないですか。それが何か間違ってるとでも?」
「いや、それもひとつの正解だろう。ただ……価値観や考えは人によって異なる。お前の言う幸せな暮らしをスバルは幸せに思うのか? 可愛い服を買うより泥まみれで遊ぶ方が好きそうなあのスバルが」
「ルーク、あまり口を挟みたくはないんだが……私だってもう子供じゃない。可愛い服が欲しいと思うことだってあるぞ」
「そ、それは……」
「うん? イリチアナ、そういう反応をされると君もルークと同じ考えを持っているように思えるんだが……」
スバルさん、今はルーくんとイリチアナが話しているんです。なのでこっちに何か言ってみたいな視線を送らないでください。
「でも、ここでの生活が幸せかどうかも分からないじゃないですか」
「それは否定できない」
「いやルーク、そこは否定しろ。というか私に聞け」
「実際何年も顔を合わせてなかったからな」
「話を進めるな。私に聞けと言っているだろ」
「よくそれで恋人なんて言えますね」
「君達はあれか? 私をいじめたいのか。そうなんだな。なら結論から言ってやろう。私は今非常に……」
「俺もスバルもお互いにやりたいことがあったからな。それを優先してただけの話だ。だがスバルとの絆が切れたと思ったことはない。何よりスバルは物じゃなくて人だ。渡す渡さないの話じゃない」
「……幸せだ」
え? え? え?
完全にスバルさん蚊帳の外だったけど……結果から言えば、スバルさん凄く嬉しそう。顔を隠してるけど耳まで真っ赤になってるし。でもそれ以上にあのスバルさんがあそこまで露骨に反応するとは。下ネタだろうと平然という人なのに。
でもまあ……ルーくんってあんまり好意的な発言しないから気持ちは分かる。別に愛してるとか好きだって言ったわけじゃないけど、大切なんだとは言われてる気がするし。
けど何というか、見てて面白くはない。ルーくんからそういうことを言われたいわけでもないけど、目の前でイチャコラされたら色々と思うところあるじゃん。面白くないと思うじゃん。いつもの下世話なやりとりでもないし。
「ぐぬぬ……ここでお金で解決しようとしたらスバル様を物扱いしているようなものだし。……いいでしょう、分かりました。スバル様を渡せという話はいったん保留にします」
「本当か!? ルークありがとう愛してる。君は私にとって救世主であり良き男だ。このまま籍を入れて子作りに励もう!」
「離れろ鬱陶しい。何より発情するな。あいつは今いったん保留にすると言っただけだ。諦めるとは言ってない」
「そうだったな。すまない、取り乱してしまった。まだ明るいし、そういうことをするにしても日が落ちてからだった……さすがの私も色々と準備したいからな。うんうん」
全く話を聞いてねぇぇぇッ!
スバルさん、ルーくんはそういう話してないから。そういうことの前に色々と準備したいのは分かるけど。良い下着を用意したり身体を綺麗にしたり。でも何ひとつその手の話題は出てないよ。
「それで?」
「はい?」
「とぼけるな。保留にする代わりに何か条件があるんだろ?」
「あ、分かっちゃいます? いや~話が早い人で助かりますね。わたしもいつまでもお店を空けるわけにはいかないので……ぶっちゃけ今日から数日の間、おふたりのこと監視させてもらいます」
……堂々と何言っちゃってんの!?
監視ってことはずっと見張るってことだよね。それはある意味事件性もあるわけで、そうなると騎士としては何かしら対応しないといけない気がするんだけど。
「何ていうか~おふたりが仲良しなのは見てて分かりました。長年付き合ってる恋人って感じもしなくはないです。でもースバル様がわたしを追い払いたいために用意した偽の恋人って可能性もありますし、スバル様を諦めないとわたしも次の恋に進めないじゃないですか。なのできっちり白黒着けるためにも監視させてもらいます♡」
「ま、待てイリチアナ。確かに言っていることは最ものような気もするが……ここには君が寝る場所はないぞ。質素で狭いからな」
スバルさん、さらっとルーくんの家を蔑むのやめようよ。
ここにあなたお世話になってるし、この子をどうにかしたくてルーくんにお願いした身なんだから。ルーんも少しだけ睨んでるし。気が付いてないみたいだけど。
「え~でも見た感じ部屋は3つあるじゃないですか。ひとつはあの獣人の子の部屋でひとつは客間って感じですよね? なら問題じゃないですか。スバル様とルークさんは将来を約束して近々子作りにも励む予定の恋人同士なんですから。同じ部屋に寝ても問題ないというか、寝てないとおかしいですよね?」
「そ、そそそそれは……そうだが。今客間には私の荷物を置かせてもらったりもしているわけで」
「あ、大丈夫です。わたし気にしないので。むしろご褒美ですし」
スバルさんにとっては二重の意味で安心できない提案だなぁ……まあ自業自得だけど。
でも問題なのはルーくんだよね。
ユウはルーくんが良いって言うなら良いって感じだろうし。さてさて、ルーくんはどういう返事をするのかな。
「好きにしろ」
「ありがとうございま~す」
「おおおおいルーク、君は正気か!? この家には子供だっているんだぞ。客間なんて君の部屋のすぐ隣だぞ。防音だってしっかりしていないというのに……」
「子作りする予定なだけでこいつが居る間にする必要もないだろ。大体元はと言えば、お前のせいでこんなことになってるんだ。きっぱり諦めてもらうためにも諦めろ」
ド級の正論である。
ただしかし……ルーくんとスバルさんが同じ部屋で。ルーくんの方は問題ないと思うけど、ルーくんも男だしそういう欲求はあるよね。スバルさんも性格が性格だし、もしかすると間違いが起こる可能性も。
もしそうなったら……あたしはシルフィ団長に何て言えばいいんだぁぁぁッ!
「あ、それとあそこに居る人も一緒にお願いしますね」
「へ? あ……あたしも?」
「はい。おふたりが同意の上なら問題ないですけど、同意がないのに事に及ばれたら大変じゃないですか。それに~わたしだけじゃ絶対止められないですし」
そうですね、あなたはか弱くてひ弱な女の子ですもんね。怪力自慢のあたしが居た方が安全ですね!
というわけで……あたしもしばらくこの家に住むことになりました。着替えとか色々と取りに行かないと。悪い噂とか立たないといいけど……いやホントマジで。
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