33帖 王府井へ!
『今は昔、広く
うっかり寝てしもてたようや。
僕はミョンファの膝枕で寝てるのを思い出し、薄っすらと目を開けると、そーっと首を動かしてミョンファの顔を見る。
ミョンファも寝てる。
何の心配もなく安らかなその寝顔は、まだどことなく幼さが残ってて愛らしい。
このままもう少しミョンファの寝顔を眺めとこ。
北京に来て五日目。ミョンファと出会う事も予想できひんかったし、こうやって二人で楽しい1日を過ごせるなんて夢にも思わんかった。
あと何日こんな日々が過ごせるんやろか……。
多賀先輩は月曜日にビザが貰えたらそのまま汽車に乗るて言うてたけど、僕は別にそんなに急ぐ必要もないと思てる。折角の、多分一生に一度の旅やろうし。
もっと長いことここに居りたい。それはミョンファともっと一緒に過ごしてみたいと言う思いが殆どなんやろけどね。
そやけど、多賀先輩は北京滞在を伸ばしてくれへんと思うし、やっぱり来週には北京を出んとあかんのかな。
ミョンファにはこの事を何時、どうやって伝えよか。それよりちゃんと伝えられるやろか。
僕は、もっと北京に居たいと言う気持ちと、多賀先輩と一緒に旅をしたいと言う気持ちが葛藤して苦しくなる。まぁ悩んでも答えは決まってるんやろけど……。
そんなことを考えながらぼーっとしてた。
それならそれで、今は……。
こんなにええ思い出をミョンファに貰ろたんやから、まだたったの3日しか過ごしてへんけど、返しても返しきれんほど貰ろたんやから、しっかりお返しせなあかんな。
そう思うと、あのことが急に頭の中に湧いてきた。
あの白いワンピースをミョンファに着て欲しい!
そう考えるんやったら……。「思った事を、後悔せんように今すぐ行動やで、憲太」と心の中で叫んでた。
今僕にできる事、やりたい事はそれや。そう思ったんやったら行くべきや。
僕はすっと起き上がり、時計を見る。4時を過ぎてる。急がんと店が閉まるんちゃうか?
時間が無い!
慌ててミョンファの肩を揺すった。
「ミョンファ起きて!」
「……
なに寝ぼけてるんや。
「そんなん言うてる場合と違うねん。取り敢えず行こ!」
僕はミョンファの手を半ば強引に取って立ち上がる。
「シィェンタイ、どうしたん。急に?」
「ええから、とにかく早よ行こ」
「えっ、どこ行くの?」
ちょっと怒ってる? でも時間が無いねん、僕らには。
「王府井に戻るで」
「ええ、なんで?」
「まあええから、ついといで」
「うん……、分かった」
「やっぱりかぁ……」
「何がやっぱり、なの?」
「間に合わんかも」
王府井
やった、開いてた!
昼に行った
「あれ、
「そう、まあ中に入って」
二人で店の中に入る。まだ他の客も居たけど、店じまいの支度を始めてる店員も居る。僕はあの白いワンピースが掛けてある所へ真っ直ぐにミョンファを連れて行く。
「ミョンファ。これ見て」
「この
「そうやろ。ミョンファに絶対似合うから着てみて」
「えっ、なんで」
「今日のお礼に。いや今日だけやない。とにかくこれをミョンファにプレゼントしたいねん」
一瞬嬉しそうにしたけど、値札を見てミョンファの顔が曇る。
「でも、これ、高い。やめとこう。だってシィェンタイ……」
「ええねん、大丈夫。お金はまだあるから心配せんとって。それより僕はミョンファに着て欲しいねん!」
「でも……」
その時、店員のおばちゃんが寄って来てミョンファに話しかけた。
「お嬢さん、これとっても似合ってますよ。彼が買ってあげるって言ってるんだから買って貰いなさい。その方が彼も喜ぶと思いますよ」
みたいな感じで、おばちゃんは僕の顔をチラチラ見ながらミョンファを説得してる。
「ほんまにいいの?」
「ええでェ!」
ミョンファもその気になってくれたみたいで、服のサイズをおばさんと相談してる。そしてちょうどいいサイズが見つかって、試着した後その服をおばちゃんがレジの方へ持って行く。
僕はお金を払いにレジに向かう。普通やったら値段交渉をするところなんやけど、ミョンファが後ろでニコニコして待ってたし、そのまんまの値段で197元をビシッと払ろた。それで僕はほっとする。
間に合うて良かったぁー。
店を出ようとしたら、おばちゃんが中国語で話しかけて来る。そやけど僕は中国語が分からへんし、「分からへん」って素振りをしてるとミョンファが僕が日本人だということを言うくれる。
するとおばちゃんは驚いた顔をして、
「ちょっと待ってなさい」
みたいな仕草をして店の奥へ。そして赤いベルトを持って戻って来る。それを服と一緒に紙袋に入れてくれた。どうやらオマケで付けてくれたみたいや。
僕は、
「
と言うてお辞儀をして店を出る。
おばあちゃんは店の入口まで見送りに来て、その時ミョンファに一言二言声を掛けてる。それを聞いたミョンファは恥ずかしそうな顔をして急いで店を出て、紙袋を持って僕の所に寄ってきた。
「シィェンタイ、おおきにです!」
「うん、いいよ」
「ほんまにおおきにです。めっちゃ嬉しいけど、私どうしたらいいの」
「何もせんでええよ。今日のお礼やし」
「そやけど、こんなに高いものを……」
「よっしゃ。そしたら……、今度それ着てどっか行こ、一緒に。そしたら僕も嬉しいし」
「そうなん。わかった。今度、これを着て行きます」
「うん、それが一番嬉しいわ」
「私も嬉しい。何処行く? 何時行く?」
「うーん、どうしよかな……」
僕はワンピースのプレゼントを喜んでくれたことに満足して、なんも考えられへん。
ははは、何処も思いつかんわ。
「そや、店出る時。おばちゃん、なんか言っとったやろ。何やったん?」
「何でもええやん。秘密やでー」
「何やねんそれ。ずるいぞ」
「へへ。そしたら一つだけ……。シィェンタイのこと、格好いいねって」
「なんやそれ。お世辞に決まってるやんか、そんなもん……」
もう一つは何を言われてたんやろか。そっちが気になるけど、まぁええわ。ミョンファは嬉しそうやし、その紙袋を大事に抱えてるさかい気にせん事にした。
まだ6時前やのに、結構暗い。空を見ると、昼間はあんだけ晴れとったのに、いつの間にか黒い雲が覆ってきてる。
雨が降ってきたらあかんし、遅くなって朴君が心配するのもなんやから今日はもう帰る事にした。
「じゃ、お店まで送って行くわ」
「ええ、いいよ。一人で帰れるよ」
「まあせやけど、お兄ちゃんともちょっと喋りたいし」
「そうなん、それやったら送って」
「ほな行こか」
バスに乗って
今日の最後に二人で手を繋いで歩く事にする。
ミョンファも僕も何も喋らんかった。朝ここを通った時はめっちゃ緊張してたのに、今は時々顔を見合わせてお互いにニヤニヤしてる。自然と繋いでる手に力が入った。
まぁ今日1日、楽しんでくれたみたいで良かったわ。
そやけど、もう終わってしまうんかと思うとやっぱり名残惜しい。お店の近くまで来ると、シシカバブーの香ばしい匂いがしてくる。
店の窓から朴君がこっちを見てた。ミョンファは手を放して走りだし、朴君に
「ただいま」
とだけ言うと、顔も見ずにそのまま店の中へ入って行く。
「朴君、ただいまです」
「おかえりなさい。ミョンファがお世話になりました。それで
「疲れました、すごいたくさんの人で。あっ、でも楽しかったですよ。こちらこそありがとうございました」
「そうですか。お腹も空いてるでしょう。食べて行ってください。ドゥォフゥァさんも来てますよ」
「そうなんや」
店の中に入ると、席は殆ど埋まってる。多賀先輩は、一番奥のテーブルに一人で座ってた。
「おお、帰ってきたなぁー」
「ただいまっす」
「どうやった」
「いやー疲れました。人がめっちゃ多くて、人がゴミでしたわ」
「ゴミかぁ。そんなことはどうでもええねん。ミョンファちゃんはどうやってんや」
「ミョンファは……、いい子でしたよ。時々拗ねてましたけどね」
「そうかぁ。ほんで、どこまでいったんや」
「紫禁城と
「アホか。そうやのうてやなー……」
「ははーん。いや、何もないですって」
「ほんまかいなー」
「ほんまですって」
「せやけどお前、昨日まで『ミョンファちゃん』って言うてたのに、今呼び捨てにしてたぞ」
多賀先輩のそういう所は鋭い。
「まあ、それは……、あれですやん。仲良くなったっていうことですわ。ほんでまた遊びに行く約束もしましたし」
「やるやないかー。ほんなら、ビールでも奢ってもらおうか」
「なんでそうなるんですか!」
でも嬉しかったから多賀先輩にビールを奢ってしもた。もうお金ないやん。またチェンジマネーのおっさんを見つけんとあかんな。
ちょうど時間も時間やったし、朴君の店で晩御飯を食べることにする。多賀先輩もそのつもりで、さっき来たとこやて言うてた。
料理はパクくんに任せて、今日の切符の予約の件を尋ねる。
多賀先輩は北京
トルファン行きの予約やったら明日来いと言われたとか。ホンマかいな?
そやし明日、二人で行くことにする。
そんなことを喋ってたらミョンファが
「あれ、ミョンファもう店手伝うてるん?」
「うん、
「ミョンファちゃん、今日はお疲れやったなあ。こいつなんか変なことせえへんかったか?」
「変なこと? してませんよ。めっちゃ優しかったです!」
と言うてちょっと膨れながら隣の店に戻って行く。
「なんやそれー。お前ら一体何があってんや」
「えっ?」
「今ミョンファちゃん、関西弁使こてたやないかー。内容によっては朴お兄様に報告せなあかんからなぁ」
「だから、普通にデートしてきただけですよ」
と言うて、蔘鷄湯を食べ始める。
アツ!
蔘鷄湯はめっちゃ熱かった。その後もしつこく聞いてきたけど、そんな多賀先輩が想像してる様な事は無かった、よな。確か?
僕は茶化してくる多賀先輩を必死に蔘鷄湯を食べる事で無視した。
食べ終わってもまだ店は混んでたさかい、そろそろ帰ろかという事になる。ミョンファを遊びに連れて行ってくれたお礼やからと、朴くんはシシカバブーをタダにしてくれる。僕も朴君に丁寧にお礼を言うた。
店を出て隣の店をちょっと覗いてみると、やっぱり客でいっぱい。ミョンファは忙しそうに店を手伝ってたけど、僕を見つけると出てきてくれた。
「ミョンファ、今日はおおきにやで。楽しかったわ」
「私もおおきにです」
「疲れてるやろし、仕事終わったら早よ寝えや」
「うん、シィェンタイも早く寝てね。ほんで……、また明日来てくれるの?」
「うん、明日も必ず来るし。えーっと、そうやなあ、お昼ご飯食べに来るわ」
「うん、わかった。じゃあまたね」
「またね」
そう言うとミョンファは急いで仕事に戻る。僕はミョンファに手を振ってから、既に歩き出してる多賀先輩を追う。
空は曇ってて月も星も出てへんけど、僕の心は晴れ晴れとしてる。
また明日、ミョンファに会えるんが楽しみになってきた。
つづく
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