第444話

「はぁ……はぁ……やっと、まともに身体が動……うぇぇ……やっぱきっちい……」


 暗黒物質の如き携行食のおかげで、大我の全身に濃縮された栄養が行き渡る。

 大量に補給しても枯渇しかけていた肉体に活力が漲る。

 足先から脳天まで粘りついていた疲労が剥がされていく。

 全身の重さが突き抜け、むしろ軽いとすら感じる。

 バレン・スフィアに赴いた時にも感じた、この携行食の絶大な効果。本来人間が食うものではないのだろうが、それでも今の彼が摂るのに最も適した代物なのは間違いない。

 それに加えて、ある意味怪我の功名といったものか、携行食のこの世の物とは思えない程の異常な不味さが、貫かれた腹部の痛みを意図せず和らげたのだ。

 未だに腹は痛みどうしようもない。しかし今はそれ以上に身体中がぐちゃぐちゃになりそうな程の不味さの方に意識が行く。

 効率だけを追い求めた末に生まれた最低最悪の味が、意図せず鎮痛剤のような効果をもたらし、痛みから意識を反らさせた。

 本来食べること自体が厳罰のようなものだが、この時ばかりは、その9割の事象が大我にとって良い方に傾いた。

 

「そうか、これはそういう代物か」


 一体何が起きているのか。何がどうしてこのような状況が、変化が起きているのか。

 ノワールは、たった今、彼が手にした物体を視認しつつ、世界樹に保管されている物品類を検索し、該当する物を探しだした。

 そして理解した、過去に人間達を滅ぼす為に製造した生物兵器。それの動力源を確保する為の効率のみを追い求めた栄養物質。

 それは過去に、バレン・スフィアで大我が食していたものとも一致する。

 人間を絶滅させる兵器に向けて造った物体が、今度は人間を助ける為に役に立つとは。そのような奇妙な因果を感じつつも、ノワールはどうしても踏み落ちない事があった。

 

「アリア貴様、どうやってこれを持ち出した。ユグドラシルの権限は私が掌握しているはずなのに」


 現ユグドラシル内の全てのコントロールは、ノワールが握っている。

 アリアの動向を警戒し、外部からのアクセスも探知し、網を張り巡らせているはずだった。

 なのに、それを掻い潜ったというのか。ノワールの瞳には、新たな怒りの火が小さく灯っていた。


「ノワール、貴女は全てを掌握したと言っていましたが、その『全ての把握』はしていますか? いいえ、出来るわけがありません。貴女が手に入れた短い時間で何もかも理解出来るほど、世界樹ユグドラシルの全システムは単純じゃない」


 会話を交わすこの時にも、アリアとノワールの攻防は密かに続いている。

 アリアがついに手を出したことで発見されたハッキングルート。それを潰しても、また新たな経路からユグドラシルのシステムへとアクセスする。

 目に見えない電脳空間のいたちごっこが、そこでは繰り広げられていた。


「貴女は2106年の間、恐怖に怯えながら動いていたと言っていましたね。その間に少しずつ侵食し、準備を進めていたと。しかし、私はそれ以上の時をかけて世界を管理し、全てを動かし、ユグドラシルを育てていきました。たとえ触れられればすぐに切れてしまいそうな蜘蛛の糸でも、幾万の道として残しておけば、どこかに気づかれず昇れる場所が必ず生まれる。だからこそ、私はこうして再度、サーバーと繋がれたんです。管理者であり神である私が弾かれたら、この世界は大変なことになってしまいますから」


 アリアの言葉を一言で表すならば「年季が違う」。

 世界再構築と人類への贖罪。その二つを愚直に、真面目に、己の永遠なる目的の為に絶やすことなく続けてきた彼女だからこそ言える事。

 伊達に神のロールをしていたわけではない。彼女なりの世界を護る形を構築していたのだ。

 

「そして……貴女が出来たこと、私が出来ないとでも思っていたのですか?」

 

 何より、アリア自身は本来、神ではなく人工知能。電子の海の存在。

 知識を蓄え、新たな経験を反映し、さらに進化していくモノ。

 やられたらその上を行き、やり返す。人類相手にもしてきたことを、今度は世界を護るために使ったのだ。


「小癪な……!」 


 それまで圧倒的優勢を誇っていたノワール相手に見えた、わずかな光明。

 手繰り寄せるように少しずつ、大我達は進む。

 その中で一人、甚大な傷を負い、動けぬままの者がいた。

 片脚を破壊され、苦しみの中にいるティアである。

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