第264話


「横になってた方が良くないか。相当痛いだろその腕」


「あはは、あたしはこうしてた方が楽だからいいんだよ。正直、結構痛むけどさ」


 霧の洋館を去ってからしばらく。馬車内には激戦を終えてようやくの日常へと戻る落ち着きが取り戻されていた。

 その中でも目に見える程の怪我を負っているアリシアを気遣う大我だったが、アリシアは折れた腕を不規則に痙攣させながら、最後に自己申告をしつつこれくらいなら大丈夫というような明るい振る舞いで笑ってみせた。

 隣には、意識を失い瞳を閉じたセシルのか弱い姿。

 地面を踏み鳴らす馬の足音と、大地を駆ける車輪の姿が、静かな室内でよく聞こえてくる。

 疲弊と消耗が重なり、車内での口数が全くと言っていいほど出てこない。

 時折ちらりと各々にセシルの姿を見つめては目をそらし、到着の時を待つ。

 そんな大我達の中でも、アリシアだけが彼女に対しての眼差しの頻度が多いように感じられた。


「気になるのか?」


「…………まあね。なんか、こいつを見てると胸の奥が変に痛むというかさ、なんとも言えない気持ちがすんだよな。お兄ちゃん好き者同士というか」


「まあ……そんなとこはあるよな」


「あんなひでえことしでかすのは容認できねえけど、気持ちのわかるところはある。あたしはそう思うからさ、離れるまでは側にいてやれねえかなって」


「無理はすんなよな。その腕と怪我じゃトラブルには手出せねえだろ」


「わーってるよエルフィ。そこの猪突猛進野郎と違って、あたしはお兄ちゃんに負傷したら絶対無理はしないようにって言われてんだ」


「誰が猪突猛進野郎だこのやろう」


 少しだけ会話に花が開き、沈み気味だった空気が少しだけ明るくなる。

 ガイウスの心遣いによって、車内にほのかに漂わせられたハーブの香りが大我達の心を落ち着かせ、少しずつ眠りを誘っていく。

 そして、エルフィを除いた全員が馬車に揺られながらの眠りにつき、車内は完全な落ち着きを生み出した。


「気が利くなあんた」


「ミカエル様の戦友ともなれば、それ相応のもてなしと平静を……と思いましてね。そこの令嬢にも平等に」


 その言葉にエルフィが視線を動かすと、気を失ったままのセシルがどこかほんのりと笑みを浮かべているように見えた。


「さ、貴方も暫くお休みください。護衛であれば私めが受け持ちましょう」


「……ありがとな、助かるよ」


 エルフィもその優しさにおとなしく甘え、セシルに万が一の行動があった場合の対処にのみ処理を裂き、ゆっくりと大我の側で身体を預けた。




 一方、ミカエルと攫われていた人々が搭乗しているもう一台の馬車。

 庶民の安全を護ってくれている騎士団の隊長格が同乗してくれているという安心感と、閉所にいた恐怖に連なる心労からか、人々はそれぞれに安らかな眠りについていた。

 そんな人々の心を落ち着けた姿を見ながら、ミカエルはひとまずの安心に胸を置きながら、当初から抱いていた疑念を自ら振り返っていた。


「…………霧の魔女は少なくとも暗躍はしていなかった。黒幕の線は消えた……けど、だとすると一体何者が一連の騒動を巻き起こしているんだろうか」


 アルフヘイムにて巻き起こる無数の災厄。エヴァンとの間で巡らせていた疑惑は、真っ先に自分の案の方から消滅した。

 だとすれば、エヴァンが考えている通りのセレナという少女に矛先が向く。

 だが、彼の言う通り実質的な疑いの理由が勘に近いものだけでは、あまりにも訴えるには乏しい。

 それらしい怪しい人物も存在しないことから、一つの案として乗ろうと一応の協力はしたが、現時点ではそれらしい怪しさを見せるとは思えない。


「…………ともかく、報告を待つことにしよう」


 監視任務を与えたクリスとガエルからの情報が来ないことには、この先の判断はまだ出来ない。

 どのような情報でも、怪しい動きなら焦点を絞れ、何もなければ監視対象から外す。

 そもそもが霧を掴むような手探りの隠れんぼ。何かあれば御の字だと思いながら、ミカエルは背もたれに身体を預けて天井を見上げた。

 

 そして大我とミカエル達は、ようやく霧の晴れたアルフヘイムへと無事到着した。

 この時を以て、人々が街を包む霧に怯える日にピリオドが打たれたのであった

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