第133話
「あたしはね、そのB.O.A.H.E.S.の中で一つの意識として生まれたんです。ちょっと触れば崩れてしまいそうな程度の脆い存在。でもわしは、なんとか死なずに耐えることはできた。でも、あの中は全てが苦痛でしかなかった」
形作られた右手がぎゅっと力む。
「あの中では、常に膨大な数の生と死が渦巻いています。短い間に何かが生まれて何かが死に、自分のものでは無い記憶や感覚が常にぐちゃぐちゃに混ざり合う。生き物としての全ての感覚や感情が全部生み出されてます。私のような意識が生まれては消え、生まれては消え。あたしよりも前に生まれた意識が、ある日唐突に消えてしまうなんてこともあった。どこにいるのかもわからない、自分が今そこにいるのかも怪しくなってくる。それがずっとずっと続いてたんです」
だんだんといたたまれない表情になっていくエルフィ。
「そうやって必死に自分を保っていた中、ある日外部からと思われる、奇妙な刺激が発生しました。何が起きていたのかは全くわかんなかったけど、もしかしたらなんとかなるかもしれなかった。ずっとあの中で生きてきましたが、外の世界があることは、ほんの一瞬だけ外を感知することができたので知ってはいました。だからもしかしたら出られるかもと思ったんどす。そして、その時はようやく訪れました」
「それで、抜け出してきたってわけか」
「そうだ。本体の一部が分離した瞬間にその部位に移動して繋がりを切り離す。少しずつ形を作って、外の空気や空間を感じようとしました。本体から離れた分、なんだかすごくスッキリしたような感覚はあったけど、それでも自分の意識すら危うくて、こうやって形を保った今でもふわふわしたりぼんやりすることもあります」
懐かしいものを見るような表情でカブトムシの角や牛の足に変化する手を見つめる女性。
「何日も何日もかけて自分を作り、私の中にある記憶から必要な部位を作成し、確実な形を生み出す。初めて目を作った時は、こんな景色が本当にあるんだってビックリしましたよ。あたしの中にだけあった光景は実在するんだって」
「………………」
そのドキュメンタリーのような濃厚かつ唯一無二な体験談に、エルフィはすっかりと耳を傾けていた。
「あの中にいるよりかはとても短かったけど、しばらくの時間をかけて身体の形を整えて、出来たと思ったらすぐ崩れて、襲われそうになったら取り込んで、自分を見失いそうになったら意識を確立して。それで今日、ようやくこの形を完全に保つことができたんです」
「それで、かなりしんどい状態だったから世界樹を目指してここまで来たってわけか」
「そうだ。私にも詳しくはわからないけど、とても目立つ場所を目指せばなんとかなるって、俺の中の誰かの記憶がぼんやりと覚えてるような気がしたんです」
「……出会ってからずっと自分の呼び方が安定しないのもそういうことなのか?」
「えっ? ……ごめんなさい、自覚してませんでした」
「ああ、まじか……けど、それくらいあんたが不安定だってことなんだよな」
「そういうことですね。さっきはちょっと言いそびれたけど、僕には名前なんていうものもないんだ。それすらも考える余裕は無かったし必要もなかった。せっかく作った身体をどうにかすることで一杯一杯だったもの」
ここまでずっと女性の話に耳を傾けていたエルフィは、もしかしたら自分達は新たな存在の新生を目の当たりにしているのではないかと思い始めた。
元がB.O.A.H.E.S.なだけあって、大我への危険性は依然変わりなく、何がきっかけで暴走し始めるかもわからない。
しかし会話を続けていると、彼女は一個人としてのアイデンティティを確立しており、B.O.A.H.E.S.のような暴走を起こす気配は全く見られない。言動のおかしさ以外は非常に冷静である。
対話すればする程に、エルフィの内の信頼がゼロから少しずつ増えていく。
そして、最後にどうしても問いかけておきたかった質問をぶつけた。その回答によっては、女性に対する印象の是非が大きく変わることとなる。
「これだけはどうしても聞いておきたい。あんた、大我に対して食べたいとか吸収したいとか思ったりしなかったか」
それは、本来の人間である大我に対して、B.O.A.H.E.S.が産み出された根本の理由である人類の吸収に対する衝動が芽生えていないかどうかというものだった。
女性は一つだけ思い当たる節があるというような、あーという気の抜けた声を出しつつも、悩みに悩むような合間も見せずにさらっと答えた。
「出会い頭にそれらしい感覚はありましたわね。なんだか突然ぼーっとしてきたというか、あの人のところに行かなきゃ……身体を密着させなきゃ……みたいなものは。でも、自分で充分に抑え込める程度だった気がする」
それを聞いたエルフィは、少々自分でも変な気持ちになるような妙な安堵感を覚えた。
本来は特定の生物を殲滅する、その為だけに作られた生物だったはずなのに、その宿業を意図したものか否か、自らの手で断ち切る事ができた。
その元凶に仕えている自分がそう思うのはおかしいのかもしれないが、ともかくこんな協力もしてくれた相手を危険分子と認識する必要はほぼなくなった。
「それならよかった……ああよかった……本当に」
ずっと張っていた気が解けたように、空中でぐったりと身体を仰向けにしたエルフィ。
なんとなくではあるが、その心情を察した女性はエルフィに対して何も言わずに眺めていた。
その直後、天井無き家の扉が開かれた。そこから現れたのは、帰宅した手ぶらの大我だった。
「やったぜエルフィ! 家の修理請け負ってくれるってよ! しかも今日中に始めるってさ!」
とても「助かった感」溢れるはしゃぎようで報告する大我に、よくやった! と拳をぶつけるエルフィ。
「あれ、でもドワーフ達来てないんだな」
「今その支度をしてるらしいのと、その後の案件をすぐに始められる準備を整えてから向かうって言ってた」
「いきなりだったしな……ともかく、これでなんとかなったな!」
「ああ! 本当に助かった…………ああほんと、いやほんとうにもう……」
わかりやすく胸中の心労を表しながら、家屋修復の目処がたったことに喜ぶ二人。だがそれからすぐに、二人は溜息をついて沈み込んだ。
「……で、どうこの状況説明するよエルフィ。いきなり泥棒入ってきて、そいつが家壊して、それを直してもらうって……これ納得してもらえるのか」
「少なくとも犯人はいるから事実確認はできるにしてもなあ……」
いくらティアやその両親がとても優しくてかつ、自分達がやったわけではない突発的な事件だったにしても、それらは元々大我が呼び寄せてしまった不幸のようなものではある。
はたしてそれを受け入れてもらえるのか、不安が脳裏から抜けなかったその時、玄関の向こうからフローレンス邸に近づく三つの足音が聞こえてきた。
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