第78話
「……………………」
静寂の覆われる大我ただ一人だけが立つ空間。
元凶でありその能力の使用者であるフロルドゥスが破壊されたことによって、バレン・スフィアを造り出す異質な膜が少しずつ消えていく。
表面の幻惑的な蠢きが消え、元の自然の光景が姿を表す。既に外の太陽は沈み、大我の戦果を祝福するような無数の星輝く夜空が顔を出した。
大我はフロルドゥスの銀髪を網を握るように掴み、ふらふらと長旅によって瀕死となった旅人の荷物のように引きずる。
力無く垂れる両手と、露出した両足が地面と残骸と擦れ合い、表面の皮膚を削り内部機構を露出していく。
ずるずると摩耗する音を出しながら、ゆっくりと牛歩でアルフヘイムへの帰路につこうとしていた大我。
その時、大我が進む方向のずっと先から、傷ついた蝶のようにふらふらと飛び交う者の姿が現れた。
「大我……ぁ……よかった……」
その人物は、バレン・スフィアの外で大我と同様に一人で戦い続けていたエルフィだった。
五体満足ではあるものの、左肩は外れ、右脚は歪み、重傷である痛々しい様を見せていた。
絶え間なく襲いかかっていたアンデッドの群れは、戦法を一切変えることなく何度も何度も自分達の身体をちぎっては投げ、ゆらりと生きていた残照の声を上げながら近づく人海戦術で、エルフィの体力と戦力を確実に削いでいった。
必死の迎撃をとても長い時間続けていたその時、突如そのアンデッド達の動作が一斉に止まり、そのまま崩れ落ちるように倒れた。
一体何が起きたんだと、この幸運に感謝しながら周囲を見渡すと、常に監視するように側にくっついていたバレン・スフィアの膜が徐々に消滅していくのを確認した。
これまでの会話から非常に性格の悪いことが伺えるフロルドゥスが、自ら魔法を解くようなことをするとは思えない。
だとしたら結論はただ一つ、大我が本当にフロルドゥスを倒してしまったのではないか。それを確かめる為に、エルフィはアンデッド達が再び動く可能性など一切考えず、大我が向かったであろう方向へと一目散に飛んでいった。
そして、二人は改めての合流を果たしたのだった。
「待ってろ大我、今傷を塞ぐからな……」
大我の元へと飛んでいくまでに目撃した無数の残骸。それが、生身かつ実戦の経験が乏しい大我がどれだけ頑張ったか、どれだけ命を擦り減らしながら戦い続けていたかの足跡を物語っている。
そんな状況であれば、ただで済むはずがない。エルフィの視界には、心配で心配でしょうがない大我のことしか写っておらず、周囲の情報は入ってきていない。
案の定傷だらけで、現代であれば即病院送り緊急入院レベルの重傷を追っていた大我。せめてもの応急処置で出血を抑えようと、エルフィは夥しい数の裂傷を魔法によって塞ぎ、ひとまずの死の危険性の一つを回避した。
「うぐっ……あれ、そいつ……もしかして……」
蓄積したダメージによるエラーや不具合を抱えながら、エルフィは寄り添うように心配に満ちた表情で近づく。
その視界に写ったのは、右手に掴まれた一人の現代的な黒の意匠に身を包んだ女性型ロボットの姿だった。
顔面はその原型がわからなくなる程に破壊され、僅かな誤作動すら見せる気配もなく、完全に破壊されてしまっていることが見て取れる。
まさかこいつがフロルドゥスなのかと聞こうとしたが、大我は意思をギリギリ保っているような目で歩き続けるだけで、エルフィの質問に答えられるような気力は残っていないようにも見えた。
「……早く帰ろうか、大我」
それを察したエルフィは、今この場では深く聞こうとせず、そのボロボロの身体を労りながら、なんとか大我をアルフヘイムへと帰そうと心に決めた。
まだ全てが解決したわけではないだろう。だが、ひとまずの強大な危機を退けてくれたことには多大なる感謝を抱かずにはいられない。
傷つきへし折れ、動かなくなった左腕にそっと手を添えて、現時点で出来る限りの治療を施しながら、死力を尽くした男を称えるように付き添った。
* * *
大我とエルフィは、ゆっくり、ゆっくりと一歩ずつ歩みを進め、時に絞り出すように風魔法や土魔法を使いながら負担を減らすために近道を移動し、少しずつアルフヘイムまでの道程を進んでいった。
バレン・スフィアへと向かう時の歩行速度よりと、その速さは半分以下。下手すれば昆虫よりも劣る。
一歩一歩の動作もスムーズさに欠け、ちょっと背中を押せばふらりとそのまま倒れてしまいそうな程にか弱い。
髪を掴み引きずっていたフロルドゥスの残骸は、歩いているうちに右手の力を失い、銀の頭髪を手の中に残してそのまま道中にて放置された。
なんとか動く力の残っているエルフィが大我を介護し、あとどれだけ歩けばいいのかと見当をつけながら、着実に失われていく体力と戦いながら進んでいく。
「もう少し……頑張ってくれよ大我……お前には……死んでほしくないからな……」
何十分何時間と歩いたかわからない。その間二人は会話を交わすことは無かった。その代わり、少しでも気が楽になってくれたらとエルフィは少しずつ励まし続けていた。
余計な敵に会わないことを、フロルドゥスが操る敵の残党が現れないことを願い、暗闇を照らし、足元の危険を振り払い、ひたすらサポートに徹する。
闇の中では明かりは目立つが、歩くことすら覚束ない状態ではそんなことも言ってられない。
そうして小さな一歩を積み重ねていたその時、月明かりの届かない木々の中から、いくつかの枯れ葉の山を踏みしめるような音が聞こえてきた。
「よりにもよってこんな時に……!」
大我のゆっくりとした歩みは止まないまま、エルフィはその音へと全身の感覚を向けた。
いつ何が出てきても言いようにと、魔法による迎撃準備を整える。複数相手に出来るかわからないほどに消耗しているが無いよりはマシ。いざとなれば自分を囮にして大我を行かせることも考えなければならない。
せめて最悪の事態は避けたいと考えていると、その足音の主達が姿を現した。
「マジかよ、どこまで運が無いんだ……ぐっ」
二人の前に現れたのは、四体のゴブリンだった。
個体差はあるが、主に蛮族としての風評が広がっている緑肌の種族。バレン・スフィアへと向かう前に出会ったようなタイプもいれば、時折人を襲うような暴力的なタイプもいる。
そしてここにいるゴブリンは、二体はほぼ丸腰だが、もう二体はトゲ付き棍棒を携えていた。
夜に紛れて襲う山賊的な行動を起こしている集団なのか、ともかく、エルフィはこの時の不幸を強く呪った。
「やられる前に!」
身体の中から軋むような音が聞こえる。だが、大我の危険の前ではそんなことは言ってられない。焦りがエルフィの心を包み、先制攻撃を放とうとしたその時、ゴブリン達の背後から何者かの声が聞こえてきた。
「待ってくれ! お前達を襲いに来たわけじゃない!」
突如聞こえてきた、大我とエルフィ以外のはっきりとした人語。思わず驚きが先行し、エルフィはかざしていた手を反射的に引っ込めた。
「驚かせてしまってすまない。手助けに来たんだ」
「一体誰だ……?」
その声の主が、ゴブリン達の背後から姿を現した。
容姿そのものは少々細い以外には他のゴブリンとあまり変わらないが、常にしかめっ面のような個体とは違い、どこか少しだけ聡明さを感じさせるような柔らかな表情。歩き方にも荒々しさを感じない。
まるで、モンスターではなく一つの種族の代表とも言えるような雰囲気を醸し出していた。
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