46話 次期王としての心得

「貴方はいつもそうです」


 なぜ言いつけを守らないのか、どれだけ心配させたら気が済むのか。僕を椅子に座らせたカーンはひどく憤っていた。いや、呆れていたとした方が正しいかもしれない。


 彼の過保護は昔から変わらない。むしろ年を追うごとにひどくなっているように感じる。鬱陶しく感じる時もあるが、それも仕方ないのだろう。


 ここは人間界。この区域において魔族は少数――いや、皆無と言い切ってもよいかもしれない。それだけ稀少な、たった二人きりの種族であり、長年連れ添ってきた勝手を知る仲だ。


 彼には僕しかいない。僕にも彼しかいない。依存にも似た親愛が、僕達を結んでいる。


 我ながら随分と保守的な思考だ。そう理解していても、心の内を明かせる人物などそうそう手に入らないわけで、そうなると必然的に僕は相棒へ、相棒は僕へ甘えてしまう。


「貴方は昔とは違うのです。それを理解してもらわねば困ります」


「僕はキミのように簡単には死なないし、魔術の扱いに長けている。同じだよ、昔と。魔界と比べて人間界は魔力保有量が少ない――たったその一点を除けば」


「『たった一点』が、貴方にとって致命的なのではないですか!」


 ぬるくなったお茶に唇を付けて、僕は肩を竦めた。


 早く折れてくれ、その一心で口にした反論だったが、火に油を注ぐ結果となってしまった。言い争いは苦手だ。


「ふ、二人とも、そこまでに……」


 そう声を掛けてきたのは金髪の青年ヨアニスである。僕が大広間に到着した時、部屋の隅で思案に耽っていた彼だが、どうやら騒ぎにつられて寄って来たらしい。再会後の第一声が仲裁とは、彼もまた苦労気質のようだ。


「ほらぁ、ヨアニスもこう言ってる」


「リオ様」


「分かった、分かった。そんな怖い顔しないでよ」


 冗談が通じないというか何というか。


 その時、重々しい音が部屋中に響き渡った。反響の中現れたのは数人の男だった。どれも煌びやかな衣装を纏っているが、中でも先導する中年の男は顕著である。


 レヴァン王――この城の主だった。


「ケッ、今更お出ましかよ」


 悪態をつくハリと、それを諫めるヨアニスの囁きが、僕の耳に届いた。


 ハリの声はレヴァン王にも聞こえていただろう。しかし男は、ちらりとも視線を向けようとはしなかった。背筋を伸ばし、ただ前を見据えたまま上座へと腰を降ろす。


 凛然とした様相を呈していながら、碧眼は憔悴し切っていた。王としての威厳も子供好きの崩れた相好も、一欠片すら存在していない。


「有事にも関わらず集まったこと、まず礼を申し上げたい。諸君等も知っての通り、今現在、が近隣の海を荒らしている。海底こそ被害は出ていないものの、海上は大荒れだそうだ」


 王は一拍置く。まるで自らの発言を深く噛み締めるように。


「このままではいずれ、我々にも牙を剥くだろう。よって皆にはマリネラを――あの怪物を、討伐してほしい」


「へえ、元凶も同然のテメェがこんな時まで王様面かい。図々しい」


「……私とて、民の手を汚すような命は下したくないのだよ、ハリ。だが、あれはもう私の手には負えん。せめて――」


「せめて自分の命令で? それともになる前に殺しておけばよかったか? 迷惑な話だぜ。……母さんが知ったら、さぞ呆れるだろうよ」


 ハリの嘲笑にも、レヴァン王は視線を動かすことはなかった。何を言うことなく、ただ前を見つめ続けている。返す言葉がないのか、それとも反論しても火に油だと悟ったのか。


 対するハリは、心底不快そうに鼻を鳴らす。彼らの溝は改善するどころか深まっていた。


「ま、待ってください! 私の妹に痛いことしないでください! あの子は……あの子は、寂しかっただけなんです!」


 頭の中に声が響き渡る。その声は悲痛に満ちていた。


 “白の母”カリュブディス・レウコン。“黒の母”マリネラの姉。彼女は窓の奥で白い身体をくねらせていた。しかしそんな抗議もむなしく、ハリは苦い表情を浮かべる。


「ンなこと言われても……。アレを殺さずに止めるなんて器用なマネ、正直できる気がしねぇ」


「わっ、私が頑張りますから!」


「言ってたろ、自分には嵐を起こす力がない――それはつまり、ヤツより劣るってことじゃねぇのか」


「それは……」


「オレは神でも容赦しねぇ。仲間と国民と地上の民が傷付こうとしているなら、次期王として全力を尽くすまでだ」


 きっぱりとハリが言い切ると、レウは口をつぐんでしまう。


 カリュブディス・レウコンは人間界を進行する魔族を妨げ、海深くに封印された歴史を持つ。ハリの主張に理解を示さないはずがなかった。


「でも、でも……」


 でも、妹だ。相手は“白の母”の――自らの復活を待ち望んでいた妹だ。


 宝石のような翡翠色の瞳は、海と呼応するかのごとく騒めいていた。


「ハリ、あまり“白の母”を追い詰めないでくれ。同胞を失う苦しさはハリにだって分かるだろう」


 ヨアニスが口を挟む。彼とてレウコンと似た心情であろう。“黒の母”マリネラを実母に持つ魚人族の青年。しかしヨアニスの瞳は静かだった。まるで全てを諦めてしまったかのように。


 ハリはちらりと窓の外に浮かぶ白蛇を一瞥した後、ヨアニスへ向き直る。


「まさかテメェまで殺したくないとは言わねぇよな。あの時の言葉、忘れてねぇぞ」


「……もちろん。母上は――“黒の母”は許されざる行いをした。その後始末は、肉親としてするつもりだ。……だけど、できるだろうか。海に放り出された地上の民の救助もしないとなのに、同志はたった五人しかいないのに、あの怪物を討ち取るだなんて」


「この非常事態だ、近衛兵も動かせるだろう。が、それでもやっと四十人か……。これ以上殉死者は出したくねぇ。万全の態勢で挑みたいところだが――」


 ふと、ハリの目がこちらを向く。


「リオ、手伝ってくれるか」


「リオさん、魔族が私にしたみたいにできませんか!? 百年も封印されれば、あの子の頭も冷えると思うんです!」


 負けじとレウが叫んだ。


「できるのか……?」


 震える声のヨアニスは疑わしげな――縋るような視線を向けてくる。彼も、本当はマリネラを殺したくないのかもしれない。僕はすぐには応えられなかった。


「……封印には大きな労力が必要なんだ。いくら魔力を持たない、無力な存在が相手だとしてもね」


 カリュブディス・レウコンを捕らえていた封印は、おそらく複数の優秀な魔術士によって編まれたものであろう。よって今の僕にはマリネラどころか、レウの封印すら十中八九不可能だし、仮に僕自身を供物として捧げても結果は同じだ。


 そう、彼女を封印することは不可能なのだ。


「この件、僕も全力を尽くそう」


「リオ様!」


「怪物退治なら魔族の得意分野だ。魔界にはマリネラやレウくらい大きな怪物がわんさかいたしね。それに、確かめたいこともある」


 薄紅色の水面に映るカーンから視線を外す。


 彼の顔は悪魔と呼んでも差し支えないほどに厳しく恐ろしい。直に見たら悲鳴を上げる自信がある。どんなことがあろうとも、絶対に振り返らない。そう心に決めた。


「恩に着るぜ」


 ニイと口角を上げ、ハリは同胞へと視線を向ける。一瞬レヴァン王を鋭い視線が撫でたが、どちらの表情にも変化はなかった。


「行くぞ、テメェら。準備しろ」


 ハリが指示するなり、同胞たちは準備を始める。壁に立て掛けていた槍を取り、薄鎧を纏う。ハリの同胞も王のことはすっかり眼中にないようだ。


 その背中を、王はじっと見つめていた。激励をかけることなく、ただじっと。

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