13話 その少年は

 砂漠の空気は澄んでいた。どこまでも続く黒色の中に、歪んだ口と無数の星が淡い光を放つ。頭上と足元、両面から攻め立てる熱はすっかり収まり、代わりにしんとした冷気が辺りを彷徨っていた。


 その中を、カメールは進む。四足の家畜はゆったりと歩き、騎手を、荒波に揉まれる船のように揺らし続ける。


 ヴァーゲ交易港を出てから、然程時間を経ていない頃。連なる砂の丘の奥に、街の明かりが消えていく頃、先頭を行く赤髪の戦士が、振り向くことなく口を開いた。


「なあ、カーン殿」


 声の後ろ――たゆむ紐で繋がれたカメールには一つの塊が乗っている。

 銀色の髪に赤目の男カーンは、声に応じることなく、前を閉めた外套の中に視線を注いでいた。


 手綱を握る腕の中には小さな姿があった。身体をカーンに預け、穏やかな寝息を立てる少年。その顔を隠す頭巾はすっかりずり落ち、柔らかい黒髪と露わにしていた。

 矮躯が傾く。カーンは自分の胸に、より深く、少年リオを抱き寄せた。


 夜の砂漠は肌寒い。昼間の温度と比べると、まるで雲泥の差だ。そんな中でリオが寒さに震えていないか、カーンはそれだけが心配だった。


 か細い少年は二枚の外套と薄い毛布、そしてカーンの体温に包まれているだけで、満足な防寒であるとは言い難い。少なくとも、男の感覚においては。眠っているからこそ、冷えてしまわないか心配で仕方なかった。


 毛布でも積んで来ることができればよかったのだが、その願いは無情にも、他の誰でもない、過去のリオによって却下されていた。荷物が増えてしまう。どうしても持って行きたいのであれば、薄いものにしろ、と。


 いくらカーンが渋ってもまるで取り合わず、結局、最低限の装備で出かけることになってしまった。


「なあ」


 放置されていたオルティラが、再び呼び掛ける。


 彼女はカーンが反応するまで声を掛け続けるつもりだろう。現にカーンは、もう何度も彼女からの接触を受けている。その度に黙殺しても、オルティラは全く諦める様子を見せなかった。新聞記者以上にしつこい女の声に、とうとうカーンは折れた。


「……何だ」


「息子さんは、もう寝たかい」


 いつからか続くカーンとリオの親子設定。もともとカーンの、先を見ない返答から成り立った嘘ではあったが、リオは随分とそれを気に入っているようだ。


 人目がない時にもカーンを「お父さん」と呼び、悪戯気な笑みを見せる。小悪魔染みたその行動が、少なからず、カーンの父性を擽っていることは確かだった。

 同時に危うい琴線を撫でている事も。


 オルティラの問いに少年が応じるはずもなく、彼はただただカーンに凭れ掛かる。それに答えを見出したのだろう、オルティラは「そうか」と勝手に頷いた。


「一つ、聞きたいことがある」


「却下」


「まだ何も言ってない! なんだよー、せっかく格好良く切り出そうとしたのにさー!」


 突如として声を張り上げる女戦士。その声はカーンの耳をツンと刺した。


 荒涼と広がる大地に、空しく広がる高い声。それはどこまでも、それこそ夕暮れの中後にした港にまで届いてしまうのではないかと疑うほどに。


「静かにしろ。リオ様がお目覚めになる」


「それなんだよ、私が聞きたいのは」


 鉄色の鎧に包まれた肩越しに、オルティラの目が光る。掲げられた松明に半面を照らした女は、じっとカーンを睨みつけていた。


「親子じゃないだろ、アンタら。どうして嘘を吐いた?」


 元から無理のあった設定である。見破られるのも当然だ。だが、カーンには気掛かりな点があった。


 女が何を求めているのか。カーンやリオの何を暴こうとしているのか。青年には分からない。読み取れない。そんな疑りから、カーンは黙り込んでいた。


「そんなに言えないこと?」


 オルティラはカラカラと笑う。その表情に隙はない。歪む口元の一方、その瞳は真剣だった。


 男は深く息を吐く。勘繰っていても仕方ない――カーンは真実を打ち明けた。


「確かに、俺とリオ様は親子ではない」


「やっぱり。何でそんな嘘を? 本当の事、言えばいいじゃん」


「都合がいいからだ。それ以外には何もない」


「ふーん、そんなモンかねぇ。じゃあ次」


「却下」


「またそれ!?」


 キンと響き渡るその声に、カーンの腕の中が動いた。眠りが浅くなっている。男の顔に緊迫が走った。


 カーンの願いも空しく、少年は呻く。呻いて、小さく身体を伸ばした。


「着いた……?」


「いいえ。まだ眠っていても大丈夫ですよ。到着したら起こしますから」


 そうカーンが囁くと、安心したかのように少年は身を預ける。細い四肢は再び重力に沿い、微睡みの中へと落ちていった。それをしっかりと抱えなおして、カーンはまた前を見据える。


 男の視線に割り込む女は、まだ用があるようだ。カメールの揺れとは別に身体を動かして、家畜に負荷を与えている。ふらつく四本足がそれを物語っていた。


「おーい、色男さーん。そろそろお尋ねしてもよろしいか?」


「その呼び方はやめろ」


「分かったよ。で、カーン殿。どうして親子ではない少年と旅をしているんだ? 何を求めて、港になんぞ来た」


「旅行だ」


「ふうん、旅行ねぇ。なるほど」


 前を向くオルティラ。その声は訝しげだ。


「差し詰め、ボクはいい所の坊ちゃん、カーン殿はその執事といった所か? カーン殿の言葉が、すべて真実であるならば」


 カーンはしばし沈黙する。女は振り返らない。カメールに揺られる長い髪は、蛇のようにうねっていた。


「それを知って何になる。生憎、護衛は必要としていない。金蔓を求めるなら他を当たれ」


「あらら、それは残念だ。――って、いやいや、私が聞きたかったのはそうではなくて」


「いい加減空でも眺めたらどうだ」


「生憎、そんな趣味は持ち合わせていませんで」


 カーンはうんざりとしていた。あからさまに情報を得たがる女戦士を、いかにして躱すか。それを考えることさえ面倒になっていた。しかし再び大声をあげられては敵わないと、適度に女の言葉をあしらう。


「今度騒いだら帰るからな」


「分かった、分かったって。静かにする。……それでだ、カーン殿。貴公、人間族ではないよな。かといって、獣人やその類ではない。何て種族の出身?」


 彼女はこちらに目を向けない。それが反ってカーンの憶測を分岐させる。カメールの梶を取る手に、自然と力が籠った。


「知ってどうする。国にでも突き出すつもりか?」


「安心召されよ、そのつもりはないさ。懸賞金が掛かっているなら別だけど」


「では、何のために訊く」


 そう尋ねて、カーンは小さな身体を抱く。ずり落ちてしまわないよう、しっかりと。


「あえて言うなら興味だね。耳の先が尖った男が、フードを深く被った子供を連れている。彼らは親子ではない。それを不思議に思わない奴なんていないよ。むしろ、よくこれまで見逃してもらえたなって感じだ。……何者だい、アンタら」


「単なる旅人だ。お前には関係ない。これ以上の詮索はなしだ、互いにな」


 そう言って、カーンは唇を結ぶ。もう一滴たりとも情報を洩らすつもりはなかった。


 カーンは腕に抱く少年ほど対話に慣れていない。当然、交渉にも。だからこそ、これ以上ボロが出る前に切り上げたかったのだ。カーンから漏れ出た情報は、周り廻って少年への危害へと姿を変えるかもしれない。そうなれば、自害ものだ。


 カーンの危惧がオルティラにも伝わったのだろう。ケラケラと笑うそれは、憎たらしいほどに愉快気だった。


「ごめんってば、これで最後にする」


「もう終わりだ」


「まあまあ、そう言わずに。報酬、弾むからさぁ」


 赤い瞳は沈黙する。女の言葉を無視したつもりだった。しかし彼女は、その沈黙を催促と解したのだろう。戦士オルティラは振り返ることなく、静かに言った。


「その少年は、英雄ユリウスを知っているか?」


 男は腰の剣に手を掛けた。

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