10話 カメール
赤髪をなびかせて、すべての砂虫を斬り伏せた彼女は、これまでに見たことがないほど長い剣を担いでいた。
高い位置にある切っ先で空を貫き、時折動いては、曇った光を刀身に映す。
女性は、オルティラと名乗った。
「私が来る前にも随分と虫がいたんだね。お疲れ様、色男さん」
「…………」
そう笑い掛けられたカーンの気配が尖る。それに構わずオルティラは、子供のように無邪気な笑みを浮かべていた。
彼らの相性はあまりよくないようだ。僕の顔には自然と苦い笑みが浮かんでいた。
「ありがとう、オルティラ。助かったよ」
「何、礼には及ばないさ」
相棒の代わりに伝えた、感謝の言葉。それにオルティラは、少し照れ臭そうに頬を緩めた。その表情だけは、乙女のようだった。
僕はゆっくりと立ち上がる。先の解毒で使い果たしていた魔力も集まって来た。お蔭で僕は、ようやく立ち上がることができる。
本当に不便な身体だ。
顔を
「大丈夫だって」
そう呟いて、僕は大きな手を押し退けた。
そんな僕たちの後ろを、オルティラの瞳が覗き込んだ。そこには今なおへたり込む男がいる。ベンノを侵していた毒はある程度抜けたようだが、それでも万全とは言い難い。
彼は己が気力を絞り出すように、顔を顰めていた。
「さて。怪我人がいるんだろ? 近くに隊商が来ている。そこに合流しよう」
「隊商?」
聞き慣れない言葉だ。僕は尋ねる。するとオルティラは目を瞬かせた。
「あれ、知らないのか。地元民じゃないの?」
「ここ出身はベンノ――彼だけ」
「なるほどね」
彼女は頷く。そしてふいと視線を空へとやると、
「隊商っていうのは、商人が商品を移送する際に組む隊列というか、まあ、そんなようなものだよ。キャラバンとも呼ばれるそうだ」
「オルティラも、その一員なの?」
「そうとも言える。私は隊商に雇われていてね。まあ、簡単に言うと護衛をしていたわけだ。そうしたら虫の大群を見かけて……追ってみたらこの有様だよ」
そう言ってから、オルティラは壁際に座り込んだ青年に肩を貸す。
いくら背丈ほどもある大剣を振り回す戦士といえど、成人男性を支えることなどできるのだろうか。重そうな鎧を纏い、愛刀を担いだまま。
心配になって剣を預かると申し出たのだが、彼女はそれを明るく断って、
「よっこいしょ」
と、軽々と立ち上がってみせた。
彼女が怪力なのか、それともベンノが想像以上に痩せていたのか。真相は定かではないが、ただ一つ言えることは、彼女の行動が、男の尊厳を見事に打ち砕いたという事だけだった。
■ ■
合流した隊商の中には動物の姿もあった。
細い縄で繋がれた四足の生き物。それは馬のようにも見えたが、ずんぐりとしており、何よりも背には、荷物の他に見たこともない大きなコブを乗せていた。
長い睫毛を瞬かせて、それはこちらに顔を向ける。馬よりも顔は丸く、目は温厚に垂れ下がっている。間抜けだが愛嬌のある顔だ。
僕はそれをまじまじと観察した。
「これ、何て名前の動物? 初めて見た!」
「カメールだよ」
応じた男は、剥き出しの腕に汗を浮かべ、カメールから荷を降ろす。
大きな負担となっていたのだろう、荷物から解放されたカメールは安堵した表情だった。満足気に鼻を鳴らして砂を掻く。
そんなカメールの様子には目もくれず、男は無常にも作業を進めた。
「ちょっと手伝ってくれ」
そう声を掛けられたオルティラは、言葉の通りに男に手を貸す。
山のように積まれた荷物をカメールから降ろしたのは、今なお動きに障害を残すベンノのためだった。
僕たちはそれを察していたが、カメールにはまるで想像がつかなかったのだろう。穏やかだった表情は、すぐにげんなりとしたものへと変わる。歯の隙間から、重々しい溜息が洩れた。
感情豊かな動物だ。これほど感情を表に出す動物も珍しい。言葉はなくても、その表情、その仕草から、彼の気持ちは手に取るように分かった。
彼は獣人である、真の獣ではない。そう明かされても、納得できるほどに。
地面に降ろされた荷物はというと、作業をしていた男性やオルティラが分けて背負うことになったようだ。代わりにオルティラは自分の荷物、大剣をカーンに預ける。僕は何も持たせてもらえなかった。
一応僕たちは部外者だ。だから荷物を、いずれ商品と成り得る物を、無闇やたらに触らせるわけにはいかない。そんな配慮からの選択らしいが、カーンからしてみれば、迷惑極まりない話であろう。軽く同情した。
「そういえば、港の方から知らせが来てたっけ」
そんなやり取りが僕の耳に届く。ベンノを乗せていた男と、隊商の先頭を行く男の会話だった。
「ああ、来てたな。〈砂漠の薔薇〉を取りに行った奴が――ってアレか」
その言葉に、僕ははとする。僕たちが砂漠地帯にまでやって来た目的は、それだったのだ。
行方不明となったディアナの幼馴染にして、ベンノの店先で出会った男性。その捜索のため、この意地悪な大地を歩んできた。オアシスを訪ねるためでも、隊商と合流するためでもない。
僕は会話を続ける二人に近付いて、こっそりと会話に紛れ込む。
「オアシスに死体があったから、もしかしたらその中にいるかも」
「死体? ……誰か担ぎ込まれたのか?」
「ええっと、多分、砂虫に襲われたんだと思う。オアシス中に虫の死体も転がってたから」
「あり得ない」
男性は目尻を持ち上げる。先程までの温厚とした様子は、すっかり消え去っていた。
「砂虫は砂漠の掃除人だ。生きているモノには手を出さない。奴らはサソリやネズミすら襲わないんだ」
「でも、僕たちは見たんだ。砂虫が人を――ベンノを襲っているところを。それに、実際に襲われた! ね、オルティラも知ってるでしょ?」
僕はオルティラに助けを求める。彼女はきょとんとしていたが、すぐに間抜けな詠嘆を洩らした。
「見た見た、あの虫ね。確かに襲われてたねー、かなーり襲われてた。なるほど、あれが砂虫か。初めて見た」
納得した様子でオルティラは頷く。
知らなかったのか。僕は少しばかり意外だった。砂漠を歩くに当たって調べていると、もしくは聞いていると、すっかり思い込んでいたのだ。
オルティラの言葉を聞いて、流石に信じない訳にはいかなかったのだろう。居心地悪そうに唇をもぞもぞと動かして、男はカメールの顎を撫でた。
「オルティラが言うなら……まあ、仕方ないか。信じ難いけど」
訝しげな男は、やがて隊列を組む人々へと声を掛けた。オアシスへ寄る、と。それに応じる威勢のよい声。
彼らの遠征は、これが初ではないのだろう。指示は滞りなく通り、数頭のカメールを中心とした列は、ゆっくりと歩み始めた。
「はー、参った。また戻らないとじゃん。先に言ってくれればよかったのに」
文句を言うオルティラ。
そういえば彼女は、あの惨状を殆ど見ていなかったのか。僕たちが彼女と出会ったのは、オアシスから離れようと進んだ時だ。すっかり彼女も現場に居合わせたとばかり錯覚していた。
オルティラは、慣れ慣れしくも僕の肩へとぶつかってくる。彼女にとってはじゃれ合いのつもりなのだろうが、僕にとっては牛に突き飛ばされたも同然の衝撃だ。
よろめく僕の後ろで、空気がピリリと張り詰めた。
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