第百二十一話 ダブル包囲殲滅陣を突破せよ!・下
ハイネスは有志で募った一個小隊約五十名を引き連れて、区画北側の防壁へ向かっていた。
北城壁にある見張り塔まで、直線距離で一番近い地点までやって来ると、全員を近くの路地に待機させる。
そしてハイネスは一人で魔法防壁の前まで行って狼煙の準備に取り掛かると、すぐにヴォルティス兵たちがわらわらと集まって来た。
ヴォルティス兵たちはこのルード家の区画を取り囲むように配置されているので、ただでさえ人数が多く防壁の向こう側は、すぐに黒山のヴォルティス兵で埋め尽くされた。
「おい、ネコミミ族の貴様、そこで何をしている!?」
「貴様は確かアルテオンの側近の者だったな!?」
「もしや脱走を企てているのか!? 誰か兵士長を呼んで来いっ!」
と、ヴォルティス兵は蜂の巣を突いたような大騒ぎだ。
しかしハイネスは素知らぬ顔で、大量の生木と家畜の糞、そして少量のアルコールが入っているかめの中へ火を投げ入れた。
その様子を見ていたヴォルティス兵たちは一層騒ぎ始めたが、自分たちが設置した魔法防壁のせいで近付けないでいる。
そんな風にもどかしそうにしているヴォルティス兵たちを尻目に、ハイネスは仲間を待機させている路地へ足早に戻った。
――姉御、狼煙は焚いたぜ。これでいいんだよな……?
ハイネスは路地から半身だけ出すと、ハティが戦っている筈の方角へ目を向けた。
ここからは建物が邪魔をしているので様子は伺えなかったが、先ほどから騒がしい音が絶えず鳴り響いていて、時折大きな砂煙や瓦礫が宙を舞っているのを確認していた。
果たしてハティ一人で、三体のゴーレムを相手に出来るものなのか。
本当に彼女一人に全てを任せた選択は正しかったのか。
ハイネスは空を睨みつけたまま自問自答していると、ふと頬を打つ風に気が付いた。
「風……?」
その風は今ハティが戦っている方向から吹いていて、徐々に強まっているのがわかった。
しかも微かに血の匂いが混ざっている。
その風に全身を煽られているうちに、ハイネスの鼓動は自然と高鳴っていた。
肉体の奥に眠る野生が風の匂いに反応して、むくむくとかま首をもだけるような感覚が全身を包み込む。
獣人の本能と勘が、風上で何かが起きている事と、これから何かが起きようとしている事を朧げに告げていた。
「なんだ……?」
ハイネスの背中を嫌な予感がもぞりと駆け抜け、全身の毛穴が開いた時――
前方に見えている建物の向こう側で、ズゴォンと轟音が沸き起こった。
続いて無数の人影が上空に舞い上がったかと思えば、一瞬にしてまた見えなくなった。
「――リザードマン!?」
距離が離れすぎていてはっきりとわからなかったが、特徴的な尻尾から見てリザードマンのようだった。
「リザードマンの軍勢が吹き飛ばされた? 姉御に? 一体向こうで何が起きているんだ……!?」
ハイネスが事情が飲み込めず困惑していると、今度は建物の向こう側で一匹の巨大な龍が天へ駆け上がった。
「龍……いや、竜巻か――!?」
そう。天に昇っていく龍に見えたのは、一筋の巨大な竜巻だった。
その竜巻はしばらく一箇所に留まっていたが、まるで意思をもっているかのように徐々に空中へ上がっていく。
そしてある程度の高さまで上がったかと思えば、突然ぐらりとハイネスの居る方へ倒れるように傾いたかと思えば、放物線を描いて空を飛んで移動してくるではないか。
それはまさに天を駆ける龍そのものではないか。
しかもその竜巻は無数のレンガや、壁や柱の建材と言った瓦礫と、たくさんのリザードマンたちを飲み込んでいた。
ハイネスは路地に伏せながら、仲間たちに叫んだ。
「ふ、伏せろっ! 巻き込まれるぞ――!」
あろうことか巨大竜巻はハイネスたちの頭上まで飛んでくると、龍の様に体を大きくくねらせたかと思えば、『頭』の方から狼煙を目掛けて垂直に降下を始めたのだ。
しかし竜巻は地上にぶつかる直前に、それまでの威勢が幻だったかのようにふっと消えて無くなってしまうではないか。
しかも大量の瓦礫と無数のリザードマンの死体を、狼煙の上空に置き去りにしたまま――
空中に取り残された瓦礫と死体が、直下の狼煙の上に嵐のように降り注いだ。
その数えきれないほどの大量の瓦礫と死体は、またたくまに狼煙を焚いていたかめと、防壁の向こう側に集まっていたヴォルティス兵たちを圧し潰した。
防壁を挟んだこちら側と向こう側で、みるみるうちに瓦礫と死体が山のように積み重なっていき、やがてそれは防壁の上にまで達すると、完全に防壁を飲み込んで一つの山と化した。
「あ、姉御、無茶苦茶だ……無茶苦茶サイコーだぜ、あんたはっっっーー!」
ハイネスは武者震いしながら叫んだ。
そして上空から降り注ぐ瓦礫の雨が止んだのを見計らって、路地から飛び出した。
「総員突撃ぃぃぃっ! 瓦礫を駆け上がって北の見張り塔を目指せっ!
ハイネスを先頭に、一個小隊の獣人たちが雄叫びを上げながら瓦礫の斜面を駆け上がった。
防壁の向こう側に集まっていたヴォルティス兵の大半が瓦礫の下敷きになっており、運良く助かった兵士たちは腰を抜かして戦意を喪失していた。
通りの両側からは騒ぎを聞きつけた兵士たちが駆け寄って来る姿が見えたが、ハイネスたちは瓦礫の山を駆け下りながら弓で威嚇射撃をするだけで、誰一人足を止めることはなかった。
「行け行けええええっ! 振り返らず、ただ前を見て走れっ!」
ハイネスたち一個小隊は誰一人脱落することなく瓦礫の山を駆け下りると、そのまま北へ伸びる通りに飛び込んで走り続けた。
ヴォルティス兵たちは完全に後手に回り、更に獣人たちの俊足に追いつけず距離は離されていく一方だ。
――行けるぞ。あとはこのまま北の見張り塔まで駆け抜けるだけだ。そして敵の応援が到着するまでに制御装置を破壊すれば、アルテオン殿下がステラヘイム軍を引き連れて王都へ攻め込んでくれる。そうすれば俺たちの革命は成功する……!
ハイネスは希望に満ちた表情で、両足に力を込めた。
刹那、前方に見える四つ辻が大勢の人影を吐き出した。
ハイネスと一個小隊は思わず立ち止った。
何故ならば、その人影は大半が獣人族とヒト族の市井の人たちだったからだ。
「ど、どうした!? そんなに慌てて何が起きたと言うのだ!?」
ハイネスは自分たちの方へ駆けてきた家族連れのイヌミミの男を掴まえた。
「か、怪物が現れたんだっ。それが人々を食べて回っている! 騎士様も早く逃げた方が――!」
イヌミミの男はそれだけ言うと、ハイネスの腕を振り払って逃げて行った。
「怪物だと……!?」
ハイネスが怪訝な顔を浮かべていると、四つ辻にゆらりと巨大な影が姿を現した。
それは鋼鉄で出来た円筒形をしていて、まるで見張り塔のような体をしていた。
節足動物を思わせる鋼鉄製の四本脚が巨体を支えていて、その脚の間から伸びている無数の触手が逃げ惑う人々を絡め捕っては、体のあちこちにある小窓のような部分に放り込んでいる。
「あ、あれも…ヴォルティスが作り上げたゴーレムだと言うのか、まさか……」
北の見張り塔へ向かうには、目の前の四つ辻を直進するのが一番早くて近い。
しかしその為には、あの鋼鉄のゴーレムの傍を通り過ぎなければならない。
それ以前に、大勢の民衆を、逃げ惑う無力な人たちを、このまま見捨てて良いものなのか。
騎士とは、一体何のために在るべきなのか……
ハイネスが苦渋の決断を決めかねていると、突然背後で轟音がした。
振り向けば、通り沿いの建物が崩壊していて、その向こうに新たな鋼鉄の怪物が姿を現したので、ハイネスの顔は絶望に染まった。
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