地下迷宮の死霊と復活の古代魔法兵器・3

第百九話 夜陰の子供たち

 ヤルハは当てもなくなく、夜の街を駆けていた。

 大通りには兵の姿があちこちに見えるので、裏通りの物陰に隠れながら、とりあえず兵士の少ない方を目指して進んだ。

 夜の闇に紛れながら、ヤルハはふと何故自分はこんな所に居るのだろうと考える。

 そして村の皆の様子が何やらおかしくて、どうやらその原因が自分が招き入れてしまった白髪の稀人マレビトにあるらしいことを思い出した。


――そうだ。ヤルハは逃げてきたのです。自分が犯してしまった罪と、招き入れてしまった悪の大きさに耐えられずに……。御父や村の皆は今頃どうしているでしょうか……


 ヤルハの小さな胸の中で、罪悪感と得体の知れぬ恐怖がせめぎ合う。

 父親や村の皆を心配する一方で、白髪の稀人マレビトが持つ未知の力に畏怖してしまい、これ以上は関わりたくないと思ってしまう。

 すると、ヤルハは先ほど倉庫で出会ったアルテオンの顔を思い出した。


 自分の薄汚れた手を見ると、涙を流しながら自身を責めるように謝ってくれた王子様。

 何故王子のような位の高い人物が自分のような庶民――それも人々から忌み嫌われているリザードマン族の娘にそこまでしてくれたのか。

 幼いヤルハにはアルテオンの心情をよく理解できていなかったのだが、彼が信用に足る人物だと言う事だけは、子供ながらにも肌で感じていた。


――もう一度アルテオン王子様に会いたいのです……。会って御父や村の皆のことを助けてほしいのです。アルテオン王子様ならば、きっと救ってくれる筈……


 すると、いつの間にかヤルハは路地の一番端っこまで来ていた。

 目の前には大きな通りが横たわっていて、道を渡った正面には金色に彩られたやけに目を引く建物が見えた。

 大きな三角屋根の真上には木彫りの竜が、翼を広げた神々しい姿で鎮座している。

 その黄金像を見た瞬間、ヤルハは忘れかけていた何か大切なものを思い出したような気がして体が震えた。


――あれは黄金聖竜様……。それじゃ、この建物は……


 ヤルハは生まれて初めて見る聖竜教教会の威風堂々とした佇まいに、吸い寄せられるように通りを渡ろうとする。

 しかし、ふと我に返ると建物の陰に隠れて左右を確認した。

 遠くから何やら足音や声がするだけで、近くに人影は見えなかった。

 ここに来るまでの間に、通りを歩く兵士たちを何人も見掛けていて、しかもどうやらヴォルティス側の人間ばかりのようだった。

 それに先ほど倉庫に現れたのもヴォルティス兵で、その目的はアルテオン達を捕らえることだった。

 つまりそれはルード家とヴォルティス家、獣人族とヒト族の間で何やら争いが起た事を意味する。


――もしもヤルハが、ヴォルティスの兵士たちに見つかってしまったらどうなるのでしょう……


 ヤルハはつい先日受けた痛みを思い出して、ぶるっと体を震わせた。

 無抵抗のヤルハに寄ってたかって暴力をふるって来たのは、自分と歳がそう変わらないヒト族と獣人族の子供たちだった。


――子供でもあれ程痛かったのに、大人に同じことをされたら、ヤルハはきっと死んでしまいます……


 ヤルハは恐怖で引きつった顔で、慎重に左右を見渡した。

 何度も何度も周辺に人の気配が無いことを確認すると、一気に大通りを横切った。

 そして教会の木製のドアの前までやって来ると、すがる様にドアを叩いた。

 深夜という事もあって、ドアを叩く音が思いのほか大きく響き渡ったので、ヤルハはビクビクとしながら周囲を見回した。

 すると、ガチャリと音を立ててドアが開いたかと思うと――


「うーん!? 一体誰だこんな夜更けに……。ああん、なんでこんなところにリザードマンの小娘が……!?」


 と、顔を出したのは、ヒト族の屈強な大男だった。

 しかも着ている皮鎧のデザインから、すぐにヴォルティス兵だとわかった。

 無精ひげの大男は、訝しそうな顔をぐいっとヤルハに近付けた。

 男の顔は真っ赤で、酒の匂いがぷんぷんと漂ってくる。


「あ、あの……」


 まさか教会から兵士が出てくるとは露ほども思っていなかったヤルハは、思わず泣きそうな顔になって後ずさりした。

 しかし兵士の大きな手は、ヤルハのか細い腕をむんずと掴んで離さない。


「お前は何か怪しいなぁ!? トカゲの小娘、こんな時間に何をしておる!? そもそもリザードマンは地上に出てきては駄目だろうに。アルテオンのバカ王子のせいで勘違いしやがって。ヒック」


 大男の兵士は相当に酔っぱらっているらしく、呂律の回らない口調で大声を上げた。

 そして、その様子に気が付いた他の兵士たちが、ぞろぞろと礼拝堂の奥から出てきたので、ヤルハは更に怯えて震えだした。


「なんでリザードマンの子供が?」


「こういう場合はどうすりゃいいんだ? おい、誰か詰め所に連れて行って牢屋にぶち込んでおけよ」


「俺はごめんだね、そんな面倒くさいこと」


 後から出てきた三人の兵士たちはヤルハを見て相談を始めるが、どうやら酒盛りをしていたらしく、全員が出来上がっていて話の決着がなかなかつかない。

 するとそんな兵士たちを掻き分けて、修道服に身を包んだ年老いた修道女シスターが現れた。


「おやおや、これはまた珍しいお客さんねえ。さあ兵士さんたちや、この子は教会のお客だから、私が面倒を見るからね。あなた達はまた好きなだけお酒でも飲んでなさいな。きっと黄金聖竜様も、今夜だけは礼拝堂での酒盛りもお許しになってくれるでしょう。それでいいね?」


「へへ、修道女シスターには敵わねえや。さあお前ら、俺たちは何も見ていないし、ここには誰も来ていない。そして今夜はここで朝まで酒を飲む。いいな?」


 と、大男の兵士は愉快そうに笑うと、仲間の兵士とともに礼拝堂へと戻っていく。

 どうやら一難は去ったようだったが、ヤルハはまだ恐怖の余韻が残っていて、呆然として突っ立っていると、年老いた修道女シスターが優しく手を引いて教会の中へと招いてくれた。

 そして連れていかれたのは、兵士たちが酒盛りをしている場所とは対角になる礼拝堂の隅っこだった。

 そこには十人ほどの子供たちのグループが居て、長椅子の上や床の上で毛布にくるまって眠っていた。


「さあ、少しここで待っていてね。いま温かい飲み物を持ってきてあげるからね」


 ヤルハを残して別室へ去っていく修道女シスター

 しかし目の前の子供たちの一団の中に、先日酷い暴力を振るわれた少年たちが混ざっていることに気付いたヤルハは、修道女シスターの後を追いかけようとした。


「おい――」


 と、唐突に声が飛んできたので、ビクリと固まるヤルハ。

 恐る恐る振り返ると、顔に何やら柔らかくて暖かい物がぶつかった。

 それは少年が投げて寄越した毛布だった。


「それ、使っていいよ……」


 と、ぶっきらぼうに呟くヒト族の少年。

 ヤルハは足元の毛布と少年の顔を何度か見比べた後で、ゆっくりと毛布を抱きかかえた。

 普段は湿気の多い地下道で暮らしているヤルハにとって、そのしっかりと乾燥しきっている毛布の柔らかい手触りは、媚薬にも等しい効果があった。

 そのふわふわとして温かい感触に、もつれた糸がほどけていくように気分が落ち着いていく。

 すると、少年は長椅子から立ち上がって床に座ると、ごにょごにょと口籠る様に呟いた。


「ここ空いてるから……座れば……?」


 しかしヤルハが遠慮して立ち尽くしていると、少年は矢庭にヤルハの腕を掴んで無理やりに長椅子へと座らせた。

 そして少年はそのままヤルハの前でもじもじと立ち尽くしていたかと思うと、突然足元で土下座をするではないか。

 その予想外の行動に、毛布をぎゅーっと抱きしめたまま目を白黒とさせているヤルハ。


「こ、この間はごめんなさい――! あんな酷いことをしちゃって許してください!」


「え……? で、でもヤルハはリザードマンなので仕方ないと言うか……」


「ううん、違う! 俺たちリザードマン族の経緯いきさつをよく知らなくて、大人たちがしているのを見様見真似でしていたんだけど、あの後でマシューに酷く怒られて……あの、その、ものすごく反省しています。二度とあんな真似はしないのでどうか許してください……!」


 突然の少年の謝罪に呆気に取られているヤルハ。

 先ほどのアルテオン王子と言い、目の前の少年と言い、二度も謝罪をされたのは人生で初めてのことだった。

 しかも二人ともヤルハがリザードマンと知った上で、償いの言葉を発してくれている。

 それがどれだけヤルハの心に突き刺さり、揺さぶったことか。

 しかし一度目は感激の余りに涙を零したが、二度目ともなると同時に警戒心も芽生えていた。


――も、もしかして夢を見ているのでしょうか……。これが夢なら醒めないでほしいのです。あ、でも夢ならば御父や村の皆は無事なのでは……? ああ、もう夢から醒めたいのか醒めたくないのか自分でもわかりません……!


 そして少年がずっと床に額を擦り付けていることに気が付くと、途端に居心地が悪くなったように長椅子から降りて彼の対面へちょこんと座った。

 しかし何を話せばいいのかわからず、しどろもどろになりながら適当に質問をしてみることにした。


「あ、あの、その、マシューとは誰ですか……?」


「――マシューは俺たちの村の最年長でリーダーなんだ! あ、俺はキイって言うんだ、よろしくな。君の名前を聞いてもいい!?」


 と、キイと名乗るヒト族の少年は、屈託のない笑顔で手を差し出してくる。

 それを見てヤルハは数秒ほど固まっていたが、「ヤルハ……」と恐る恐る片手を差し出すと、キイが半ば強引に握手を交わした。


「ヤルハか、いい名前だね。それでマシューに言われたんだ。俺たちは子供だけで暮らしているのに、その事で誰かに馬鹿にされたり暴力を振るわれたらどんな気持ちになるって……。そんなの不公平で理不尽だと思ったし、そんなことされたら滅茶苦茶悔しくて悲しいなぁって……。だから、もしもう一度君と会えたら謝らなきゃってずっと思ってたんだ」


「こ、子供だけで暮らしているのですか? 大人たちはどうしたんですか?」


「大人は出稼ぎに行ったきり誰も戻ってこないんだ……。だから残された子供たちだけで暮らしてる。最初は寂しかったけど、それは皆も一緒だからもう慣れちゃった。それで最年長のマシューが、ここに居る皆の親代わり兼リーダーとして面倒をみてくれているんだ」


 と、またしても屈託のない笑顔を浮かべて答えるキイ。

 ヤルハはその強さに感心しながら周囲を見回した。

 下は三、四歳の幼児から十歳くらいのキイまで入れて全部で十人。

 キイはヤルハと歳は同じくらいで、そんな彼らが子供たちだけで生活していると言う事実に軽く衝撃を受けていた。

 すると、ヤルハの小さな胸を一つの疑問が過った。


「で、でも何故、今夜は教会ここに……?」


 その質問を聞いたキイは、兵士たちの方を気にしながらそっとヤルハに耳打ちした。


「マシューがトラブルに巻き込まれて、王城の牢屋へぶち込まれたんだよ。それで村の子供たち全員も重要参考人とか言うやつとして、兵士の監視付きでここへ連れてこられたわけ」


「トラブル? それは一体どんな……?」


 いきなり飛び出したきな臭い話に、思わず眉をひそめるヤルハ。

 キイはまたそっと耳打ちした。


「マシューがステラヘイム王国から凄腕冒険者を密入国させるのを手伝ったらしいんだ。マシューは村の子供たちを食わせていくために、普段からいろんな仕事を引き受けていたからね。でも今回の仕事は遺跡発掘隊の偉い人からの依頼で、報酬も良かったから……。ただ運が悪かっただけなんだ。でもこうなっても俺たちの誰も心配はしていないよ。絶対にすぐ助けに来てくれる筈だから!」


「助け……?」


「そう! マシューが古代遺跡でミナセを見つけたんだって。あ、ミナセって言うのは、俺たちの村で一緒に暮らしていた冒険者なんだ。ある時は村の子供たちを、勝手に小作農の年季奉公に出そうとした貴族を追い払ってくれたりもしたんだよ。そのミナセの正体は何を隠そう――」


 キイはヤルハに耳打ちすると、「稀人マレビトなんだ」と告げた。

 それを聞いたヤルハは思わず「稀人マレビト!?」と叫んでしまい、思わず両手で口を覆った。

 二人は恐る恐る兵士たちの方を確認するが、酒盛りに夢中になっていてこちらの会話など耳に入っていないようだった。


「そ、その稀人マレビトは大丈夫なのですか……? 何か村の子供たちに変わった様子とかはありませんか……?」


 ヤルハの脳裏を白髪の稀人マレビトの顔が過った。

 常にヴェールが掛かっているような、本心が読み取れない表情を思い出すと、背筋がひんやりと冷たくなった。


「うん? そりゃみんな喜んでいたよ。だってミナセはしばらく行方知れずだったんだから。今はステラヘイムから来た冒険者と一緒に、古代遺跡の最下層まで潜っているけど、地上へ戻って来たら絶対に助けに来てくれる筈だから心配するなって、マシューが言ってたんだ」


「いえ、ヤルハが聞きたいのは、そういうことではなくて……」


 しかしキイに上手く説明することができずに口籠るヤルハ。

 それに助けが来ると信じて疑わないキイの顔や、安心しきったように寝息を立てているほかの子供たちの寝顔を見るに、自分の質問が単なる杞憂だと思い知る。


――それでは稀人マレビトにもいろいろな種類があるのでしょうか……。ヤルハたちの世界のように……? もしもキイたちの稀人マレビトに助けを求めたら……? ヤルハでも、リザードマンでも助けてくれるでしょうか……


「あ、あのキイ……出会ったばかりなのに、こんな話をするのは気が引けるのですが――」


 ヤルハがそこまで言いかけた時、遠くから何か大きな物が地面に当たったような音が聞こえてきて教会全体が微かに揺れた。

 パラパラと天井から埃が落ちてくると、酒盛りをしていた兵士たちが色めき立った。


「おい、なんだこの揺れは……。それに今の音はなんだ!?」


「地震にしてはおかしいな」


「みんな外に来てくれ! 城の方から砂煙が上がってるぞ!」


 真っ先に外へ様子を見に行った兵士が、血相を変えて仲間を呼び寄せた。

 そして兵士たち全員がそのまま城の方へと走って行ってしまう。


「見に行ってみよう」


 と、キイに引っ張られて外に出るヤルハ。

 そこに見えたのは闇夜に浮かび上がる王城と、その姿を半分近くも霞ませている大量に舞い上がった砂埃だった――

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