第百二話 エマリィ&八号vsロウマ・6

「アルマスさん――!」


 アルマスの体が地面に転がり落ちると、エマリィは慌てて駆け寄った。

 アルマスの胸には切断されたロウマの右腕が突き刺さったままで、しかも陸に打ち上げられた魚のようにビクンビクンと跳ねていた。

 それが更なる出血を促しているので、みるみるうちに地面に血溜りが出来ていく。


「ううっ……」


 瀕死のアルマスが苦しそうに何かを言いかけた。

 しかし、エマリィはその口にポティオンの小瓶を無造作に突っ込むと、更に両腕にもそれぞれ一つずつの小瓶を持たせて、傷口にポティオンが流れ込むように胸の上へと誘導した。


「ごめんなさい! 時間が惜しいからセルフサービスで!」


 エマリィはちらりと一瞬だけアルマスを見た後で、すぐに視線をロウマに戻した。

 火球ボーライドの不意打ちに成功して、アルマスを無事に助けることにも成功したが、既にロウマは神速治癒によって両目の火傷は完治しており、今は右腕が絶賛再生中だった。


「くっ、小娘の分際でやってくれたじゃないか……! ちゃんと嬲り殺される覚悟はあるんだろうねえ!? 尻の穴から腸を引きずりだされた後で後悔しても遅いよ! 淑女の嗜みを教えてやろうじゃないか、ヒトの小娘め……!」


 骸骨顔を醜く歪めて、怒りに打ち震えるロウマ。

 そして今から始まるであろう血と暴力の饗宴に、興奮が抑えきれないと言った感じにじわりじわりとエマリィににじり寄った。

 その姿からは獲物を前にした捕食者の愉悦と慎重さが滲み出ていた。


 対してエマリィは呼吸も忘れて、ロウマの一挙手一投足を注視していた。

 ロウマの接近に合わせてじりじりと後退しつつも、視界の隅にアルマスを捉えることを忘れていない。

 そして今アルマスが上体を起こしたのを感じて、ポティオンを飲み切ったことを察する。


――治癒が終わった……。という事は、傷の具合とポティオン三本分の回復量からして、アルマスさんは何とか走れるレベルまでには回復できたと言うこと。動くには絶好のチャンス……。


 それがエマリィの中でゴーサインとなった。

 躊躇っている時間はない。

 背水の陣で両手を前に突き出す。

 と、ロウマの周囲に魔法防壁が次々と出現した。


「アルマスさん逃げて! とにかくどこにでもいいから身を隠してください! ボクにはアルマスさんを守りながら戦う余裕なんてないから……!」


「で、でも……いや、わかりました。すみません。ここは任せます……!」


 アルマスは逡巡のあとで、意を決したように走り出した。

 その姿を視界の端で見送りながら、エマリィは肩の荷が下りるのを感じていたが、それも目の前の光景によってすぐに新たな重圧へと切り替わっていた。

 ロウマはいとも容易く魔法防壁を叩き割ったからだ。

 しかしエマリィもその程度は想定済みだった。

 想定していたとは言え、実際に目の当たりにすると、強大な重圧と恐怖で自信がなくなりかけた事も事実だったが、ぎりぎりの所でまだ戦意までは失われていなかった。


 とにかく今は戦うしかないのだ。

 タイガも八号もハティもライラも、頼れる仲間が一人も居ないこの状況では、たった一人でも戦うしか道は残されていないのだ。

 エマリィは即座に続発の魔法防壁群を展開した。

 先ほどと同じようにロウマの周囲へ複数枚を。

 しかし今度は七重八重と、より包囲網を厚く重ね掛けしていく。

 バリン! バリン! と包囲網の内側から、ロウマが防壁を打ち砕く音が響き渡った。

 しかしその破砕音と同じだけの数を、更に外側に展開して包囲網を補強していくエマリィ。


 そしてその魔法防壁群の包囲網をよく見れば、中心に向かって圧力が掛かる様に動いているのがわかる。

 勿論それはエマリィが意図的にしている事だった。

 魔法防壁の複数生成と同時移動――

 エマリィは普段からこれを同時並行で容易く行って見せているが、それも生まれて始めて習得した魔法が防御魔法である事と、既に十年以上の実績を重ねていることが大きい。

 それに加えて幼馴染のハリースを守れなかったトラウマが、十五歳と言う年齢にしてはずば抜けた防御魔法と治癒魔法のスペシャリストへ成長できた原動力だった。


 そしてハティの多彩な魔法の使い方や、イーロンの家系に伝わるという魔法防壁を剣で突き飛ばして飛び道具にする、一族以外に門外不出の秘法などに触れたことも大きい。

 新しい出会いと発見の日々は、きちんとエマリィの中で知恵と工夫の糧となっていたのだ。

 そしてそれは今この時、仲間が誰一人として居ない危機的状況の中で見事に花を咲かせて、魔族ロウマを封じることに繋がっていた。


バリン! バリン!バリン! バリン!バリン! バリン!


 包囲網の中心で、防壁が割れる音が鳴り響く。

 そのスピードが尻上がりに加速していく。

 しかし更にそれを上回る速度で、新たな魔法防壁群が続々と生み出されていく。

 その一連の作業と同時進行で、エマリィは通路に向かって駆け出した。

 その通路は最下層の守護者を倒した後で天井に出現した通路だ。

 今は遺跡全体が横倒しになっている為、床と地続きの状態になっているので簡単にアプローチできる。

 通常の通路の方は先ほどアルマスが走っていったので、こちらを選んだのもある。


――このままここでロウマの動きを封じているだけでは何も解決しない……。とにかく今はロウマから姿を隠して、何とかやり過ごすしか……


 どれだけロウマを魔法防壁の包囲網の内側に押しとどめていようとも、決定打が無ければ勝負は平行線のままだ。

 そのことをエマリィは身に染みるほどに痛感していた。

 ロウマに対しての自分の魔法スキルの限界を噛み締めていた。

 更に残存魔力の問題もある。魔法防壁群を次から次へと生成するのは、尋常では無いほどに魔力量を消費するのだ。

 残りの魔力量は既に最後の魔法石のみとなり、それもみるみるうちに量が減っていた。

 ロウマを完全に仕留めきる決定打が無い限り、このままジリ貧になることは誰の目にも明らか。

 だから今ロウマを封じているうちに姿を隠すことが最善の道。

 唯一残された生き残るための最後の手段。

 だからこそエマリィは懸命に走った。

 通路に向かって、魔法防壁を張り続けながら。

 しかしその時背後で、


バリバリバリバリバリバリバリババリン!!!


 と、魔法防壁が一斉に砕け散る音が鳴り響いた。


「え――!?」


 思わず振り向いたエマリィは、絶句するしかなかった。

 何故ならば、そこには一瞬にして魔法防壁群が霧散してしまった光景と、身長が十メルテメートルはあろうかと言う巨大なロウマの姿があったからだ。


「変質系と強化系の魔法で体を巨大化させたと言うの……!? それで一気に包囲網を内側から打ち砕いた……!?」


「ふひゃひゃひゃあ! 下位魔法だけでどこまでやれるのか見せてもらったけど、もう遊びの時間はお終いだよ!」


 巨大トカゲのように四足歩行で突進してくるロウマ。

 エマリィは力を振り絞って加速する。

 しかし通路までの距離と、ロウマが迫る速度から判断して諦めざるを得なかった。

 エマリィは立ち止ると、覚悟を決めたようにロウマの方へ向き直った。

 そして振り向くと同時にその両側の空中に、二メートル四方の魔法防壁が合計で二十枚ほど浮かび上がった。


「うん――!?」


 ロウマは一瞬、怪訝な顔を浮かべたものの突進を止めなかった。


「動きを封じれないのなら、これで――!」


 エマリィが両手を突き出すと、防壁群が一斉に空を飛んでいく。

 そして大きく弧を描きながら、次々とロウマの背中にぶち当たった。

 しかし魔法防壁群は巨大化したロウマの厚い皮膚に当たった瞬間に、飴細工のように粉々に砕けて霧散するだけだ。


「ぴひゃあーっ! 無駄無駄無駄ぁ! そんな攻撃魔法ですらもない魔法で、この私が傷付くとでも思ってるのかい!? お前たちヒト族は虫けらなんだよ! 弱っちい虫けらはどんなに足掻いても踏み潰されるしかないのさ! 恨むのなら上位魔法テウルギアを与えなかった黄金聖竜を恨むんだね! まったく黄金聖竜は、お前たち出来損ないの新人類を生み出して何がしたかったんだろうねえ!? 神様ごっこかい!? 本当にお前たち出来損ないには心の底から同情するよっ! ぷぷーっ! 」


 ズドドドドッと激しく床を踏み鳴らして、尚も猪突猛進してくるロウマ。

 その骸骨のような顔に恍惚とした笑みを張り付かせて、黒髪を振り乱している。

 只でさえ気色の悪い風貌をしているのに、それが巨大化して迫って来る迫力と気色悪さは筆舌に尽くしがたい程だった。


「ならば、これは……」


 エマリィの両側の空中に、新たに続々と黄金色の防壁群が生み出された。

 そしてまたエマリィの動きに合わせて、一斉にロウマの顔面を目掛けて飛翔していく。

 しかも先ほどの防壁よりも明らかに一回り大きい。

 更に、


ヒューーーーーーーーーン!


 と、空を切り裂く高周波が周囲一帯に響き渡った。

 よく見れば防壁群は飛翔しながら、高速回転が加えられていたのだ。

 そして最初の一枚が、ロウマの右頬に到達しようとする段階になっても、ロウマは特段気にも留めていなかった。

 防壁を振り払おうともせず、ノーガードのままでエマリィに向かっていた。

 しかし最初の一枚が、右頬の皮膚を突き破った瞬間に眉根を寄せた。

 そして――


 ドスドスドスドスドスドス!!!


 と、言う鈍い音とともに、両頬に魔法防壁群が一斉に刺さった。


「うぎゃああああああああ!」


 思わず立ち止って両頬を押さえ込むロウマ。

 

「――効いた!?」


 極限にまで追い込まれたエマリィは、咄嗟の思い付きで防壁に回転を加えてみたのだったが、どうやら正解だったようだ。

 

――魔法は知恵と工夫! 使い方次第で下位魔法でも魔族に対応できる……!


 脳みその奥が痺れるような達成感を噛み締めつつも、エマリィは追撃の手を緩めなかった。

 無事にここから逃げ出して生き残るためにも、あと少しの追撃が必要のはず。

 エマリィはそう判断して、次々と回転防壁群をロウマの巨体目掛けて打ち込んだ。

 特に大きくて面積のある背中はがら空きで格好の目標だった。


ヒューーーーーーーーーン!

ドスドスドスドスドスドス!!!


 回転防壁群は空を切り裂いて、次々と背中に突き刺さっていく。

 顔の治癒に神経を注いでいたロウマは不意を突かれて、一際大きな悲鳴を上げた。


「行けるっ!」


 エマリィは思わずそう叫んだが、すぐに考えを改めた。

 二度の攻撃の成功によって有頂天になりかけたが、自分の胸の中に渦巻いている不安と恐怖が、いっこうに薄まっていない事実に気が付いたからだ。

 相変わらず不安と恐怖が原因の焦れったい感覚が、嘲笑うかのように体の中心に居座り続けていた。

 一瞬の優位などこの戦力差の前では、ただの錯覚にすぎないと自分自身に言い聞かせた。


――ロウマから確実に逃げるためには、もっと強力な攻撃じゃなければ駄目だ……。この程度の攻撃を続けていても、神速治癒で一気にひっくり返されてしまう。もっと強力に……もっと致命傷を与えるような攻撃を……


「もっと強力に! もっと大きくて、もっと重たくて、もっと破壊力を――!」 


 エマリィは追い詰められた余裕のない顔で両手を広げた。

 そして今までよりも二回りほど大きくて、厚みの増した防壁を二枚作り出すと、それをロウマ目掛けてではなく真上へと飛ばした。

 その直後、神速治癒で両頬と背中の治癒を終えたロウマだったが、更に強化系の魔法で肉体を硬質化させたらしく、全身に赤や黄色や紫の斑点が浮かび上がって気味悪さを増した。


「そこまでだ小娘! 虫けらと思って舐めてかかったらこの様だ! もう手加減はしないよ! 全力で踏み潰してやるからね!」


 歯を剥き出しに突進してくるロウマ。

 その頭上から高周波が急降下してくる。


フォーーーーーーーーーーーン!


 高速回転と魔力推進のほかに落下速度が加わった巨大で重たい二枚の魔法防壁は、まさに鋭利な巨大な刃物と化してロウマの両肩に深く食い込んだ。

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