Chapter2 〝ルーイエの里と魔法使いへの道〟

2:1 「迷いの森」

 真っ白い霧の中。

 俺は目の前に現れた『ソレ』を前に、声を漏らさずにはいられなかった。

 霧に隠れてはっきりとは見えない。

 しかし知っている。……いや、知っているはずのもの。


「……あ……あぁ……ああぁ!?」


 自分でもどうしてこんな声が出るのか全く分からなかった。

 体が勝手に硬直しはじめ、悲痛にも似た声が勝手に喉から溢れ出てきてしまう。


「あ……あ……おま……え…………!?」


 必死に、精一杯、現れ出た影を示す言葉を口に出した。

 そして同時に、頭の中で何かが暴れ出すかのように……『あの時の光景』が次々とフラッシュバックしてくる。

 ここにいるはずのない、いてはいけないソレは、腰が抜けてしまった俺をじっと見下していた。


 俺はただそれを―――目の前に迫ってきている●●を前に、ただただ怯えていることしかできなかった。





 * * * * * * * * * *





「じゃー行ってくる」

「ミー君たちによろしくねぇー」

「おう! ……あんなことがあった直後ですまんが、エルフの里はここよりも安全なはずだ。一か月……寂しくなるが、頑張れよ二人とも!」

「うん。 俺は別に寂しくないけど」

「そーねぇ、エルちゃんもいるしー」

「んなっ!? そりゃないぜお前らぁ!!」


 場が俺と母さんの笑いに包まれる中、俺たちは馬車に乗り込む。

 今日はリョクの月23日――大討伐隊結成まで、あと33日。


 親父は俺たちの乗った馬車が出発すると同時に、急いで屋敷の中へと戻っていった。

 ファルとミァさんもこれから一か月は体を鍛えなおすと言い、俺たちよりも先に屋敷を留守にしている。

 果たしてこの世界のドラゴンがそれほど強大な存在なのかはわからないが、とにかく強いのだということだけはわかった……というか、それ以外何一つわからないというのが正しい。

 親父にドラゴンの詳細を聞いても、今は変に雑念を入れない方がいい、修行に集中しろとか言って何も教えてくれなかったのだ。


「ったく……余計に気になるっての」

「そーねぇ。ドラゴンさんってー、何食べるのかしらねぇー」


 そりゃ肉とかじゃないっすかね!?

 ってそうじゃなくて!


「いや……もっとこうあるでしょ……特性とか、弱点とか……」

「あらーそぉ? でも気にならない? きっととーっても大きいのよー? そんなに大きいと、食べる量もすごいわよねぇ……ゾウさん何頭分くらいなのかしら」

「例えがよく解らん……」


 でもまぁ……そこまで言われると気にならなくもない。

 実際、食糧調達はどうしているのだろうか。

 ドラゴンって、アニメやら漫画でも戦闘描写ばかりで、食事というのはあまり見ないような……人間に擬態してーとかなら見たことはあるけど、それってなんか違う気がするんだよな。

 うーん、考えると中々興味深い気がしなくも……。


「あら? エルちゃん、外見てみて」

「またそーやってぶった切ってくる―……何?」


 母さんが指さした先を見てみると、中々広そうな森が見えていた。

 ぱっと見何の変哲もないただの森なのだが……何か見つけたのだろうか?


「森だけど……何かあった?」

「もっとよく見てみて! ほらあそこー!」

「いやあそこって言われましても……ん?」


 微かな違和感を感じた。

 あらためてよく目を凝らしてみてみると、何やら木と木の間から水蒸気のような白いモヤが垣間見える。

 そしてこの馬車はどういうわけか、その森の方へと一直線に進んで行っているようだった。

 そう 一直線に どんどん近づいて……。


 ――森の直前で馬車が止まった。


「奥さんお嬢さん、到着しましたで」

「え……は!? ウソ!?」

「うそじゃないみたいねぇー」

「ウソであってほしいです!!」


 どうかウソであってと心から願い、手を合わせる。


「ほらーエルちゃん早く早く―」

「へ? え、いや、早ッ」


 しかしそうこうしているうちにも、母さんはせっせと馬車を降り、御者さんとのん気にお話をしていた。

 本当、順応性高過ぎである。


 俺も渋々、仕方なく、恐る恐る馬車を降り、霧の立ち込める森を見上げてみた。

 森に入ってしまえば最後、本当に一寸先は闇……というか霧。

 そんな印象を抱かずにはいられない。

 どこから発生しているのかは分からないが、ここに入れというのであれば断固拒否と行きたいところである。


「この森を抜けた先に、お二人の目的地であるエルフの里『ルーイエ』がありますで」

「そ、そうですか。でー……えっと馬車は……」


 念のため聞いてみる。

 この森を紹介するためだけにわざわざ停めるわけはないのだが、分かっていても聞かずにはいられない。


「残念ながらこの先は馬車では通れませんので」

「で、ですよねー……」

「というのも、キョウスケさんが言うには、エルフの里っちゅーのは『迷いの森』っちゅーもんを抜けた先にありましで、なんでも〝出入口に設定する森〟全体に霧をかけるんだとか。霧、見えてますかい?」

「え……あ、はい。 え? 御者さん、見えてないんですか?」

「はっはっは! よかった、ここで合ってたようで。普通の人間にはその霧が見えないと聞いてたもんでどーしようかと。……あーご安心をで。エルフであるお二人は、この霧の中をまーーーっすぐ進めば『ルーイエ』につきます言うてたんで」

「あ……そうなんですか」

「よくわからないけれど、便利なのねぇー」


 エルフならまっすぐ行けばたどり着く……か。

 なるほど、要はエルフ以外の者は、この霧が見えても森の中で迷ってしまう……それで『迷いの森』ってわけだ。

 出入口を設定するっていうのは……どういうことなのだろう。

 ま、その辺はついてから詳しく聞こうじゃないか。


「御者さん、ありがとうございました。じゃあ行ってきます」

「きょー君によろしく~」

「はいよ!、お気をつけで―」


「よーし出発しんこぉー♪!」

「おわっ!? ちょ、母さん引っ張るなって!」


 こうして手を振る御者さんに見送られながら、俺は母さんに手を引っ張られ、霧の立ち込める森の中へと入っていった。





 * * * * * * * * * *





「……真っ白ねえ」

「隣の木でさえギリギリ見えるかどうか……これ本当に大丈夫なのか?」

「さーねぇ」


 森に入ってから早数分。

 俺たちは御者さんの言う通り、ひたすらこのめちゃくちゃ濃い霧の中を真っ直ぐに歩き続けている。

 一体どれほどの距離を歩いていけばいいのか、ゴールが全く見えない場所をただ真っ直ぐ行けというのも、中々精神的につらいものだ。


「ところで母さん……」

「なーぁにーエルちゃん」

「確かに離れない方がいいのはわかるんだけどー……流石にこれはその、恥ずかしいというかなんというか……」


 そんでもってもう一つ精神的につらいもの……それは俺と平行に進んでいる母さんとの間にあるそれ。

 森に入った後、母さんが腕を掴むのをやめたと思ったら、放した直後にそのまま手をつないできたのだ。

 いやまあ、別に何が悪いっていう訳でもないし理には叶っている……んだけどさあ……風呂の時も似たようなこと言ったけどさあ……17にもなってお母さんと手つないで歩くって……マザコンじゃあるまいし。


「うーん、じゃあ抱っこしてあげようかー?」

「失礼しましたこのままで結構です!」

「あらー残念……」

「本当に残念そうな顔しないでくれません!?」

「えー、だってー……」

「だっても何もないっての!!」


 本当この母親はどれだけ俺のこと好きなの!

 転生する前からまあ子供っぽい扱いは受けてきたから慣れてはいるものの、転生してからはもう一歩踏み出してくるようになったというかなんというか……俺が女になったのがそんなに嬉しいのかと。


 そう考えると無性に腹が立ってくる。

 一刻も早くこの森を抜け出して、さっさと手を解放してもらいたいものだ。


「手を……―――あれ?」


 そんなことを思った直後の事だった。

 今の今まで確かに握っていた手から、ふとその感触が消え去ってしまう。

 確かに、間違いなく手を放さずに握っていたはずなのに……何の前触れもなく、俺の手は自由になっていた。


「え……何……どゆこと……?」


 意味もなく、自由になった手のひらを、グー、パー、と何度も何度も動かしてしまう。

 しかし一度無くなった肌の感触が戻って来ることはなく、俺の左手はただただ霧を掴んでは放しの繰り返し。

 反対の手は震えはじめ、自身の足取りもどんどん重くなっていく。


「母さん……? いるだろ? 母さん!!」


 若干の恐怖が混じった俺の叫びも、霧の中へと空しく消えていった。

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