第三十二章 聖戦の加護 -1-

 ぺーローズ・カーゼンブールの帰順で、ハライヴァはハーフェズの勢力圏となった。


 すでに、先行したドラーニ部族がハライヴァを包囲し始めていたところであったが、ぺーローズの指示で城門が開かれたのである。

 もっとも、仮にぺーローズが降伏しなくても、メルキオールの手の者がハライヴァの城門を開けていたらしいから、結果はそう変わらなかったようだ。


 ハライヴァに戻ったぺーローズは、麾下の騎馬隊の再編に取りかかっていた。

 あれだけ逃げ散った傭兵たちが、きちんとハライヴァに戻ってきているのはたいしたものだ。

 武術の腕ではぼくに遅れを取ったが、将軍としての統率力ではぺーローズに勝てる気はしない。

 流石はイスタフルでも有数の将帥と数えられる存在である。


 ぺーローズがハライヴァ騎兵の再編に取り組んでいる間に、ハーフェズはハライヴァ防衛に残っていた歩兵の大隊長たちと会っていた。


 ハライヴァには、二千の歩兵大隊が四つ常駐している。

 ぺーローズの指揮下にあるため、歩兵の将軍は置かれていない。

 だが、ハーフェズは、ぺーローズには騎兵の運用に専念してほしいようだった。

 それで、歩兵の指揮系統を変更しようと思ったのだろう。

 大隊長の一人シーリーン・ラティフィーに、歩兵四大隊を統轄するように命令を下していた。


黒石カアバの教えが浸透しているイスタフルで、女性の大隊長がいるだけでも驚きだったが」


 その話をしてくれたノートゥーン伯は、軽く興奮した様子で捲し立てていた。


「女性の将軍とは型破りにも程がある。ヘルヴェティアに留学していた殿下ならではだが、守旧派の憤激を買うのは間違いなかろうな」


 それでもハーフェズが取り立てたのは、ぺーローズの強い推薦があったからのようだ。

 将帥としての実力は、大隊長の中では一段抜けているらしい。

 イスタフル唯一の女性の大隊長が、イスタフル唯一の女性の将軍となったわけだ。

 女性は男性が庇護するものという意識の強い黒石カアバで、例外の存在となるにはかなりの実力がないとできないことだろう。

 どんな人だろうな。


 その間にも、サナーバードの騎馬隊が南下を続けていた。

 彼らは、まだハライヴァが落ちたことを知らない。

 知っていれば引き返してサナーバードの防備を固めたであろうが、友軍が消滅したいまこの一万騎は突出して孤立している。

 ハーフェズとしては、歩兵の援護のないこの一万騎を、各個撃破していきたいところである。


 ぺーローズの騎馬隊は再編中で動けず、太陽神ミトラ教団もハライヴァの治安の安定のために残留。

 動けるのは、パシュート人とシーリーンの歩兵部隊となった。

 そして、そこにヘルヴェティアの十七騎も加わる。


 ぺーローズの騎馬隊を切り裂いたぼくらの精強さは、すでに全軍に知れ渡っていた。

 数は少なくとも、軽んじるような連中は、もういない。


 全体の指揮を取るのは、メルキオールである。

 彼には、宮廷書記長官アクバル・ハマール・ディビールとしての直属の部下たちがいる。

 一緒に動いているのは十人くらいにすぎないが、実際は全土に無数に放ってあるらしい。

 密偵の長としての能力は高いようだが、軍事の指揮能力はまだ未知数だ。

 パシュート人たちは、あまりメルキオールを好ましく思っていないようであるし。

 ハーフェズの友人とはいえ、大丈夫なのかと心配になる。


「そんな嫌そうな顔しなくてもいいんじゃないかい?」


 そして、何故かぼくたちはメルキオールの直衛に配属されていた。

 メルキオールの直属の兵が少ないせいらしいが、パシュート人からの視線がこっちまで冷たくなる気がしてならない。

 ぼくたちの速度ではメルキオールを振り切ってしまうので、足も合わせないといけないしな。


「お喋りな男は嫌いなんや」


 ぴしゃりと、ジリオーラ先輩が言ってのけた。

 流石だ。

 歯に衣着せずに、ずばりと言いにくいことを言ってくれる。

 ノートゥーン伯は苦笑しているけれど。


「あいた、西方の女性はきついねえ。みんなこんな感じなのかい?」

「ぼくにコメントを求めないでくれますか?」


 メルキオールのせいで、こっちに飛び火してきても困る。

 ビアンカの右手がうずうずしているように見えるし。


「冗談はともかく、向こうの騎兵一万騎は、イスタフルの最精鋭ですわよね? こちらは倍の二万とはいえ、パールサ人歩兵が八千。それほど楽観できる状況ではないのではないかしら」

「おお、アルトワ伯のご令嬢はなかなか鋭いことを仰る。確かに、サナーバードの兵は、イスタフルの東方防衛の要。指揮官のセリム・カヤは黒石カアバの加護聖戦フダー・ダーヴァを持っているからね。異教徒には特効を持つので、ハーフェズの軍には強力な効果を発揮するだろうね」


 加護持ちか。

 セイレイスの黒石カアバ教団には、神聖術セイクリッドの使い手はいても、加護持ちはいなかった。

 やはり、イスタフルの黒石カアバ教団の方が正統なのだろうか。

 いずれにしても、厄介な相手なはずだ。

 恐らく、対抗できるのはぼくと──。

 太陽神ミトラの加護を持つというメルキオールくらいか。


「ほな、余計にあかんとちゃうか? 真っ向からぶつかったら、うちらが力負けするやん」

「大丈夫だよ、策は講じてあるからね」


 同じ科白でも、何故かメルキオールが言うと胡散臭い。

 それは、彼の生まれもった性質なのであろうか。

 それほど付き合いがないのにそう思ってしまうくらい、メルキオールという人物からは信用できないという雰囲気を感じる。

 それは、彼のような職業にとって、随分と不利な性質であるはずだ。

 密偵の長というのは、逆に誰にも警戒を起こさせないような人物の方がふさわしいはずである。


「偽装撤退ですか」


 ノートゥーン伯は、メルキオールの策を予想していたようだ。


「歩兵では、サナーバードの騎兵を捉えられないですからね。ラティフィー将軍の待ち受ける地に、セリム・カヤを引っ張ってこなければならない。そういう任務は、ナーディル・ギルゼイより、アフザル・ドラーニの方が向いているでしょうな。ギルゼイ将軍は、あまり腹芸はうまくない」


 いつの間に味方の戦力の分析を済ませていたのかは知らないが、ノートゥーン伯ならそれくらいはやってのけるだろう。

 ぼくと違って、真面目に各指揮官と交流を持っていたからね。


「今回は、セリム・カヤを討つしかないのでしょうね」


 ノートゥーン伯の呟きに、メルキオールが頷いた。

 ぺーローズと違い、加護持ちのセリム・カヤがハーフェズに降伏することはない。

 兵の損害を抑えるなら、指揮官のセリム・カヤを討ち果たすのが手っ取り早いのだろう。


「機を捉えて我々が突入し、アラナンがセリム・カヤを討ち取る。そういう方針で宜しいですか?」

「それしかないだろうね。相手は指導者ラフバルの槍だ。叩き折れるのは、アラナン・ドゥリスコルだけ。ハーフェズからは、そう聞いているよ」


 メルキオールの視線が、こっちに来る。

 あえて、その視線を無視して、馬を進ませる。

 確かに、持てる戦力を適切に投入すればそうなるんだろうが──。

 相手は魔王の尖兵じゃないんだ。

 ぼく以外の人がやったっていいんじゃないですかね。

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