第三十一章 ハライヴァの猛虎 -4-

「エリオットって頭おかしいんじゃないの」


 貴婦人にあるまじき姿で、ビアンカ・デ・ラ・クエスタが寝転がっている。


「中等科で、こんな非常識な訓練を課す教師はいなかったわよ!」

「ぼくの先生はそうでもなかったけれど」


 ノートゥーン伯は、クリングヴァル先生の代わりに新加入のビアンカやイザベルを鍛えている。

 ぼくの目から見れば、彼はまだかなり優しい方だ。

 クリングヴァル先生の地獄を味わってから、泣き言を言ってほしい。


「すぐに慣れますよ、ビアンカさん」


 可愛らしい少年だったステファン・ユーベルが、平気な顔で馬の世話をしている。

 ボーメン遠征で鍛えられた初期メンバーは、もうこの程度の訓練では音を上げない。


「もうへばっとんのか、ビアンカ・デ・ラ・クエスタ。今回の昇級は基準甘かったんのとちゃうん? 見てみ、イザベルはもう起き上がっとるんやで」


 ジリオーラ先輩も、結構容赦ない。

 だが、それは、ビアンカを死なせたくないからだ。

 彼女は、まだ何処かでカサンドラ先輩の死を引きずっている。


「あー、起きるわよ! 起きればいいんでしょう!」


 半ばやけになって、ビアンカが飛び起きる。

 やはり、まだ限界まで行っていない。

 本当に余力がなくなれば、喋る気力もなくなるのだ。


「何見てるのよ、バカ!」


 ぽかりと、ビアンカが頭を叩いてくる。

 相変わらず理不尽に暴力的だ。

 だが、いまのぼくを叩いても、常時張っている障壁は微動だにしない。

 むしろ、叩いた手を痛めて、ビアンカは涙目になる。


「痛いわね……何食べたらそんなに硬くなるのよ」

「いや、ぼく悪くないよね?」

「悪いわよ!」


 断定された。

 何故だろう、理由がわからない。


「うちの前でアラナンといちゃつくとはいい度胸やんか、ビアンカ・デ・ラ・クエスタ」


 にっこりと怖い笑みを浮かべたジリオーラ先輩が、ビアンカの肩を掴む。

 おお、あのビアンカが、怯えた表情を見せた。

 連れ去られていくビアンカが、売られていく仔牛のような視線を向けてくる。

 だが、助けようとは思わない。

 頑張ってくれ。


「──いいんですか? ジリオーラさんに言えるの、アラナンさんだけじゃないですかね?」

「ステファン。人が成長するためには、多くの苦難を乗り越えなきゃいけないんだ。きっと、ビアンカは一回り大きくなって戻ってくるさ」

「ぼくには、しゅんと小さくなって戻ってくるように思えますが……」


 く、言うじゃないか、ステファン・ユーベル。

 ボーメン遠征では、ヴォルフガングに慰められていたくせに。

 まあ、こいつだって、この年齢でぼくより早く高等科に進級していた天才なんだ。

 殻を破れば、成長は早いのかもしれない。


「いつまでくっちゃべっているですか、アラナン。アラナンがさぼっている間に、アンヴァルは見回りを済ませてきたですよ。鍛練バカがいないんだから、もっと自覚を持ちやがれです」


 小さい体でとことこと歩きながら、アンヴァルがやってくる。

 真面目そうなことを言っているが、手には薄焼きパンナーネ・ラヴァーシュを抱えている。

 食糧を探して、うろついていただけに違いない。


「──もう準備はできているよ。いつでも出発できる。ノートゥーン伯は、何か言っていたかい?」

「あれに捕まると面倒だから、近寄ってないです。自分で行きやがれ、ですよ」


 相変わらず、アンヴァルはぶっちゃけてくるな。

 確かに、最近のノートゥーン伯は話が長いし、やたらと細かい。

 軍規に厳しくなっている気がする。

 ぼくやアンヴァルは、それで足が遠のいているのだ。

 ジリオーラ先輩も、同様である。

 ティナリウェン先輩やマリーに任せっきりと言うのも、まずいとは思うんだけれど──。

 仕方ない、様子を覗いてくるか。


 ノートゥーン伯は、朝の調練を終えた後、太陽神ミトラ教団の戦士長フラマンタールカスパールに朝食に呼ばれているようであった。

 随伴はトリアー先輩らしい。

 大丈夫かな、とも思ったが、あの戦士長フラマンタールにはむしろ豪快なトリアー先輩のが合うかもしれない。


「もう、前軍は出発している頃だ」


 ノートゥーン伯の部屋にいたのは、ティナリウェン先輩とマリーとファリニシュだった。

 三人で食事をしながら、行軍の手筈を詰めていたようだ。


「中軍が出発するのが、一時間後。我々が出るのは、もう一時間後ってところだな」

「パシュート人も太陽神ミトラ教団も、騎馬のみの編成なのよね。機動力は比類ないけれど、城攻めにはどうなのかしらね」

「問題なかろう。ハライヴァの門は、我々が近付けば開く。宮廷書記長官アクバル・ハマール・ディビールが噂通りの男なら、すでに手の者が潜入しているだろうさ。──どうした、アラナン。ぼうっと突っ立って」


 ティナリウェン先輩が、部屋の入り口で固まっていたぼくに問いかけてくる。


「ああ、いえ──。流石、ティナリウェン先輩やマリーは軍事にも詳しいんだなって思って。ぼくは個人戦闘の訓練は積んできましたが、集団戦闘は素人なんですよ」

「おれは、経験があるだけだ。エリオットやマルグリットのように、専門的な教育を受けたわけじゃない」

「あら、わたしたちのような頭だけの知識より、実戦経験者の意見のがよほど貴重よ。理論優先のノートゥーン伯を現実的に導けるのは、先輩だけじゃない」


 空いている席に座ると、ファリニシュが食事を並べてくれる。

 この狼の魔法の袋マジックバッグには、大量の食糧が常に入っているのだ。


「ハライヴァの太守は、イスタフルでも有数の猛将だ。猛虎ヴァグルと呼ばれるぺーローズ。長大な戟で、甲冑ごと叩き割るそうだ。西方と違って、この辺りの連中は魔族の血が濃い。強さの基準は、数段階上だと思った方がいいぞ」

「問題ないって言ったじゃない。どっちなのよ」

「城攻めではなく、野戦になると言うことだ。戦士長フラマンタールカスパールや、ナーディル・ギルゼイに匹敵する男とな」


 正面からの激突となれば、数の多いシルカルナフラ軍が勝つだろう。

 だが、ハライヴァで兵を損耗すれば、サナーバード攻略やその後の決戦に支障をきたす。

 できるだけ、無傷で切り抜けたいところではある。


「とはいえ、兵の強さでは、パシュート人の方が上だ。イスタフルのパールサ人も昔は遊牧の民で強兵だったが、いまは定住して昔の精強さはない。だから、騎馬隊はトゥルキュト人の傭兵で占められている。東方最大の要衝サナーバードには一万の騎馬がいるが、ハライヴァの騎馬は精々二千。負ける要素はないだろう」

「ボーメン戦役では寡兵の戦いばっかりだったからね。味方のが多いとほっとするよ」

「本当よ。味方が少ないと、すぐアラナン突っ走って無茶するんだから。ハライヴァは出番なさそうだし、ゆっくりパシュート人のお手並みを拝見させてもらえばいいのよ」


 マリーは心配性だな。

 少なくとも、いまのぼくは飛竜リントブルム級の相手でもなければ、そう遅れを取ることはない。

 いまなら、ウルクパルやセンガンとだって、互角に撃ち合える。

 あの二人には勝つには勝ったが、拳の技倆では完全に負けてたからな。


 問題は、ヤフーディーヤにいる魔王の部下だが──。

 こればっかりは、この目で見てみないと何とも言えないな。

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