第二十九章 アローンの杖 -2-
神殺し《ヤー・ヘーレム》を持つエーストライヒ公の槍技は、クリングヴァル先生も鼻白むほどの精密さを持っていた。
鋭い刃先に、邪悪な神聖性。
槍が振るわれる度に漏れる黒い波動に、
手で捌いている限りは呪いも弾けようが、刃を刺されたら流石にそうもいくまい。
クリングヴァル先生とイシュバラは、元より互角の実力だ。
ならば、此処はぼくがセンガンを倒し、均衡を崩すしかなかった。
「覚悟はいいかい、アラナン・ドゥリスコル」
センガンの魔力が、両の掌に集まっていく。
また、
威力が上がろうが、出す技がわかっていれば、対処のしようはある。
センガンの両掌から放たれた魔力の奔流を、右足を軸に回転しながら回避。
その間に練り上げた螺旋の魔力を両手に集め、
魔力の奔流を掴んだまま、さらに半回転。
センガンが放った魔力を、そのまま自分に向けて返してやる。
「驚きだよ。そんな返し方をしてくるとは」
声は至近距離。
瞬間移動したかのように、センガンが懐に潜り込んできている。
センガンは両掌を構えている。
狙いは、近距離での
この距離での大技は、確かに怖い。
だが、こっちもこの距離ならできることはある。
センガンの足下の地面を、上方に向かって跳ね上げる。
放たれた魔力の奔流の狙いが逸れ、ぼくの上空を走っていく。
悔しげにぼくを睨み付けるセンガン。
「やはり、加護がなくとも、魔力の流れが見えているようだな」
身軽に飛び降りると、センガンは再び構えを取り、大きく息を吐く。
「認めたくはないが、キミの拳は以前とは違う。力だけで押し切れる男ではなくなった」
身体中から湯気のように溢れ出していた魔力が、みるみるうちに収束していく。
いや、暴れ馬を手懐けたような魔力操作──。
魔力の圧力はなくなったのに、息苦しさは増した。
前に突き出したセンガンの両手が、大きく見える。
「此処からが、本当のアセナの拳だよ、アラナン・ドゥリスコル」
怪物が嗤う。
魔力の流れが消え、兆しが読めなくなった。
その気になれば、センガンはあの魔力を完璧に支配できるのだ。
ぼくより、
ふん、いいさ。
学院入学の頃から、
いきなりセンガンの右拳が大きくなる。
踏み込む予備動作もない、完璧な
かろうじて、左手で払うのが間に合うが──。
ずしりと重い。
体を回転させて、何とか流す。
「小賢しい!」
センガンが左足を踏み込み、体当たりを仕掛けてくる。
センガンの魔力が加われば、まさに山を砕く一撃になる。
だが、左手でセンガンの右手を払ったときに、この動きは予測していた。
目で見えなくても、触れば魔力の流れは読める。
更に回転し、センガンの左側に回り込む。
円環の拳は、ウルクパルが対アセナの拳用に作り上げた拳だ。
直線的なアセナの拳の欠点を、これほど突いた拳はない。
背中を見せたセンガンに、死角から一撃を叩き込む。
まだ、大技は無理だ。
なので此処は、左側面から腎臓に
分厚い障壁にかなり減殺されたが、
センガンと言えど無傷とはいかず、一瞬体勢を崩した。
好機!
センガン相手に、そうそう作れぬ機会に全力を籠める。
右手に
あまりの濃密な魔力にぼくの右手も悲鳴を上げるが、知ったことか!
抵抗するセンガンの障壁を、螺旋の渦が真っ向から打ち砕く。
その左掌が、振り向いたセンガンの丹田にねじ込まれた。
圧縮された魔力が一気に解放され、背中まで一気に貫通する。
「なんだ……この技は……」
身体中の魔力を狂わされたセンガンが、よろめきながら膝を突いた。
「
右手から噴き出す血を押さえながら、死に行く宿敵を見下ろす。
初めて会ったときから、何度こいつに勝てないと思わされてきたか。
いまでも、アセナの拳の技も、
こいつに勝てたのは、アセナの拳を研究したウルクパルの拳の特性に助けられただけだ。
「ボクは──死ぬのか?」
「ああ。お前の魔力はもう制御が効かない。膨大な魔力が、全身を破裂させるだろう」
「くく……このボクが……本気でやって拳で遅れを取るとは。アラナンごときに……どうなっているんだい、ホントに」
「それだよ、センガン。拳でも魔力でも、お前の方が強い。お前を殺したのは、いつでも勝てるというその驕りだ。お前の母親にも、同じことを言った。よく似ているよ、お前たちは」
ぼくは持てる手札をフルに使って、センガンを倒す道を探った。
だが、彼は本気になりさえすれば、いつでもぼくを殺せると思っていたのだろう。
結果的に、彼が本当に力を発揮する前に致命打を与えることができたが、もし遅れていれば倒れていたのはぼくだったかもしれない。
「驕りね──母さんと同じ──。くく、そりゃあそうだ。魔王の血族から見れば、ただの人間なんてごみも同然──」
センガンの身体中から、血が噴き出していく。
傷口から、どんどん魔力が溢れ出ていっていた。
センガンの命が、流れ出しているのだ。
「それでも、キミたちは、イフターバ・アティードにはかなわない。絶対の強者であった、アセナ・イリグが敗北した唯一の男なんだ。ボクたちでは、逆らうすべはなかった……」
「
センガンの身体が崩壊していく。
血しぶきを上げながら崩れ落ちる宿敵を一瞥すると、軽く祈りを捧げる。
今はどうあれ、
何かが違っていれば、よき友人として肩を並べていたかもしれないのだ。
振り切るように顔を上げると、クリングヴァル先生とイシュバラの戦いが目に入った。
槍と剣を撃ち合い、苛烈な戦いをしている。
二人とも、お互いしか見ていない。
だが、嵐のように暴れまわる二人に、割って入れる者もいない。
上空では
ようやく、ぼくの使命を達成する状況が整ったかな?
アローンの杖を、破壊するのだ。
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