第二十八章 激戦の彼方に -2-

 北の城壁には敵影は見えず、静かであった。

 こちらに配備されていた騎士、テオドール・フォン・ライヘンバッハは、騎士というより傭兵のような姿で煙草を吸っていた。


「テオドール卿、東の城壁に行くようにクルト卿からの命令です。ギュンター卿と交替するようにと」

「交替だ? ギュンターの爺さんもだらしねえな」


 呑気そうな言葉に、思わずかちんと来る。

 南と東の激戦も知らず、のんびり休憩していたやつに批判されるほど、ギュンター卿は落ちぶれちゃいない。


「そうですね、頼りにしていますよ、テオドール卿」

「へっ、任せとけよ。おう、行くぞ。こっちに敵が来ないんで、暇だったんだよな」


 喉元まで出かかった科白を抑え、笑顔で送り出す。

 此処でテオドール卿と喧嘩をしても、いいことなど何もない。

 行けばあんたは全滅しそうだよなどと言って、逃げ出されても困る。


 それでも、心にもないことを言った後味の悪さに若干気分を落ち込ませながら、再び戦線の状況を見渡す。


 西のシュヴァルツェンベルク伯は、相変わらず動かない。

 グスタフ卿と衛兵たちは、まだもがいている巨像に怯えているようだが、今のところは大丈夫そうだ。


 南の城壁の先、クリングヴァル先生とイシュバラの戦いは、激しさを増してきている。

 風雨が強くなる中、二人の衝突でそこだけ雨粒も風も弾き飛ばされているようだ。

 交わされる拳は大技ではなく、隙のない小さなものだ。

 だが、二人の域まで行くと、普通に殴っただけで致命傷となる。


 二人の実力はほぼ互角で、神力も拮抗していた。

 あの衝突に割って入れるとは、正直思えないな。


 南と東の城壁は、取り付かれていなかった。

 今日の攻撃は終わりにしたのか、敵の進軍が止まっている。


 クルト卿の許に向かうと、城壁の上でアンヴァルが手足を広げてひっくり返っていた。

 よほど疲れたのであろう。


「連中、今日の攻撃はやめたのでしょうか?」

「かなりの損害を出しているのは確かだ。カランタニア公も、犠牲を無視できなくなったのだろう。東も退いたのなら、今日は手仕舞だろうな。暴徒どもはどうなっている?」

「あー、そっちも退いたようですね。しかし、こりゃ片付けも大変だ」


 城壁の上も、城門前の広場も、死傷者で溢れ返っている。

 疲れきった衛兵たちに、これを片付ける気力はないだろうな。


「教会の聖職者と役所の役人にやらせる。夜の見張りも必要だが──とりあえず休憩を取らせないともう動けない兵ばかりだ」


 ストリンドベリ先生と、エスカモトゥール先生がこちらに歩いてくるのが見えた。

 敵が退いたので、状況を確認しに来たのだろう。


「悪かったね、アラナン。あたしは大丈夫だってのに、ビヨルンがなかなか動かなくて」

「幾らぼくでも、三つも体はないですからね。アンヴァルがいなかったら、危なかったです」


 頭の隣にパンを差し出してやったが、アンヴァルは反応もせずに眠りこけていた。

 極めて珍しい反応だ。


「ごらん。スヴェンが戻ってくるよ」

「決着は付かなかったようですね」

「何たって、飛竜リントブルムの息子なんだろう? でも、スヴェンは本当の息子は自分だと思っている。だから、あいつにだけは絶対負けないさね」


 クリングヴァル先生も、イシュバラとの戦いを中断したようだ。

 一日中あれだけ激しい戦いをしたというのに、先生は飄々として歩いてくる。

 その表情には、疲労の色は見えない。

 二人とも、まだ底をさらしてはいないのだろう。


「本気は出さなかったんですか?」


 近付いてくる先生に、質問を投げ掛ける。

 顎に手を当てると、先生は唇を尖らせた。


「んー、七割ってところか。向こうも似たようなもんだが、余裕はあっちのがありそうだ。だが、あの野郎は、まだおれさまを侮っている。狙い目は、そこだな」

「ぼくも、センガンに一発門の破壊者ツェルシュトーラー・デス・トーレスを入れましたよ。邪魔が入って、とどめの覇王虎掌ケーニヒスティーガーを入れられなかったんですけれどね」

「はん。邪魔が入るような戦いをしているお前が未熟なんだぜ、アラナン」


 クリングヴァル先生が手を伸ばすと、くしゃっとぼくの髪をかき回した。

 やれやれと両手を広げると、先生はにやりと人の悪い笑みを浮かべる。


「それより、ビヨルンが出てくるのがえらい遅かったじゃねえか。アラナンだけで支えきれるか、ひやひやしていたぜ」

「あたしを見るなよ、スヴェン。ビヨルンが勝手に残ったんだ」

「生徒に負担を押し付けすぎだぜ、ビヨルン。いくらおれの弟子だとはいえ、センガンとふたつの軍を相手にするのは流石に無理だ」

「──面目ない。予想以上の聖典教団タナハの数に、動転してしまったようだ」

「木偶の坊がいくら集まったって、マノンがどうにかされるかよ。こと対人戦に関しては、学院の教師陣でもトップクラスの技を持っているんだぜ」


 話している間に、クルト卿の許に各城壁にいた騎士たちが集まってきていた。

 一番の激戦であった東の城壁を守り抜いた老ギュンター卿は、流石に疲労を隠せず座り込んでいる。

 若いグスタフ卿にはまだ恐怖が顔に刻み込まれているし、テオドール卿はそっぽを向いて煙草を吸っている。

 街中で聖典教団タナハの摘発をしていたゾフィー・フォン・ブルクハルト卿は、誰よりも甲冑が赤黒く汚れていたが、疲労は見せずに凛として立っていた。

 エスカモトゥール先生と気が合ったのか、二人で親しげに話している。

 性格的にも近しいものがあるのだろう。


 クルト卿はそこで衛兵の再編を指示し、テオドール卿とギュンター卿の入れ換えはそのまま継続させることにした。

 正直、テオドール卿で大丈夫か不安は残るが、そもそも何処も安心できる状況ではない。

 仕方ないのかな。


 クルト卿は、明日はマジャガリーのニトラ公が出てくると予想していた。

 カランタニア公と、マゾフシェ公の部隊は損害が大きすぎる。

 落雷や業火で致死率も高いし、士気も落ちているだろうしな。


 クリングヴァル先生が言うには、明日はエーストライヒ公の本隊が到着するようだ。

 エーストライヒ公の目の前で遅滞するわけにもいかないから、シュヴァルツェンベルク伯も動いてくるだろうな。

 そうすると、西の城壁も見張らなければならない。

 センガンが出てくるまでは、ぼくが西に集中できるよう東にストリンドベリ先生にいてもらった方がいいかな。


 ふと気が付くと、手に持っていたパンがなかった。

 アンヴァルはまだ眠っているが──。

 眠りながらもぐもぐと口を動かしている。

 無意識でも食べられるとは、やっぱりアンヴァルだな。


 食べる元気があるなら、明日も何とかなりそうだ。

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