第二十七章 戦慄のプトヴァイス -2-
「だがな、スヴェン。プトヴァイスを放棄するということは、ボーメン王国は南西部を失うことになる。ボーメン王は、それを肯じまい。中途半端な増援が送られ、結果としてプトヴァイスも援軍も両方失うことになるんじゃないか?」
ストリンドベリ先生の意見に、ボーメン王の為人を考えてみる。
会った印象では、ボーメン王はそこまで固執する性格には見えない。
でも、王妃は結構きつい人だった。
あの人は、プトヴァイス失陥など許容すまい。
「どのみち、プラーガからプトヴァイスは九十マイル(約百四十五キロメートル)はある。今から軍を動かしても到着に一週間はかかる。リンツのエーストライヒ軍が動いていたら、もう間に合わない」
ぼくの地図を見ながら、ノートゥーン伯が呻く。
「じゃあ、偵察が必要ですね」
ぼくの言葉に、ノートゥーン伯は思い出したように頷いた。
「そうだな。最優先は、リンツの動向だ。それができる機動力があるのはアラナン、お前だけだ。頼めるか?」
「承知しました」
「プラーガにも、知らせを出すべきだろう。念話が使える者で、交渉力があり、王にも顔が利く者というと──」
「ジリオーラを使うべきさね」
エスカモトゥール先生の言葉に息を飲む。
確かに彼女なら条件は満たすが、危険すぎやしないだろうか。
「補佐にヴォルフガングを付けな。彼は帝国の貴族だし、リンブルク家に顔が利くよ。二人いれば、それなりに道中対処できるだろうさ」
「わかりました。後で二人に伝えておきます。後は、プトヴァイスの対処だが──」
「それは大人で行くよ。あたしとスヴェンとビヨルン。三人で何とかするさ。ノートゥーン伯とイリヤとイシュマールは、残った生徒とマジャガリー軍の捜索を続けておくれ。そっちも手は抜けない」
明らかに面倒な事態になるとわかっているプトヴァイスに、エスカモトゥール先生は学生の参加を退けようとした。
いいのかという思いと、何処かほっとしている自分がいる。
勝手な話ではあるが、武器を持って向かってくるとはいえ、子供まで殺したくはなかった。
「いいのかよ?」
足を投げ出したまま、クリングヴァル先生がエスカモトゥール先生に声を掛ける。
「一人で抱えるんじゃないよ、スヴェン」
ぴんとエスカモトゥール先生が、クリングヴァル先生の額を弾く。
クリングヴァル先生は、額を右手で擦りながら、莫迦だなあと呟いた。
「ま、そういうこった。プトヴァイスはおれとマノンとビヨルンに任せろ。お前たちは、少しでもマジャガリー軍を探し出し、削ってくれ。そいつらのことは頼んだぞ、イリヤ」
「お任せなんし」
ただでさえ少ない戦力、しかも主力がごっそり抜けてまだマジャガリー軍とやるつもりなのか。
いくらファリニシュがいるとは言っても豪胆な。
そうは思ったが、ぼくには止めることができなかった。
だって、散々自分が危険なことをやってきているもんね。
一人でエーストライヒ公国軍の偵察に赴くのも、大概だと思うしね。
大体の方針は決まったので、ぼくは早々に出発することにする。
この状況では、リンツのエーストライヒ公国軍の動向が最も重要となるだろう。
ぐずぐずはしていられない。
「──というわけで、行くぞアンヴァル」
「はんでほうひににひほうほふるのれふか、ほのばふぁは」
「口にものを入れて喋るな、行儀の悪い」
「何でこう死にに行こうとするのですか、この莫迦は」
「誰も繰り返せなんて言っとらんわ!」
パンを頬張っていたアンヴァルを捕まえると、リンツへの偵察任務を説明する。
返ってきたのは、謂れのない罵倒だ。
全く、一応これでも主人なんだぞ。
敬意を払えなんて言わないが、せめて普通に扱え!
「動物への愛が足りないでいやがりますよ、アラナンは。敵主力のど真ん中に一騎で突っ込んでいこうなんて、アンヴァルを殺そうと思っているとしか思えないですよ、ほんと」
「戦いに行くんじゃないわ。偵察だよ、偵察。位置を掴んだら、とっとと帰ってくるの!」
「あの鍛錬狂の弟子が、敵を前にして後退する? はん、アンヴァルを見くびってもらっちゃ困るですよ。どうせセンガンとか出てきて、逃げるに逃げられない状況になるに決まっていやがるですよ」
くっ、この食いしん坊め。
意外と知恵が回るんだよな。
「センガンどころか、イシュバラだっているかもしれないんだ。流石のぼくも、そんなところで一人で戦うつもりはない。とっとと行って、とっとと帰ってくるぞ」
「──はあ。仕方ないですね。アルトゥンとウルクパルを殺したことを連中が知っていたら、狂ったように追ってきやがるというのに。ま、いいでしょう。頼りないアラナンには、このアンヴァルが付いていないとですね」
反論しても、十倍くらいになって返ってきそうなので諦める。
替わりに、アンヴァルの頬を摘まんで言った。
「いいから行くぞ。ほれ、とっとと元の姿に戻れ」
「いたたたた。愛が、愛が足りないでいやがりますよ!」
こいつと付き合っていると、足りなくなるのは愛ではなくぼくの財布の中身だ。
戯れ言を言いつつも、アンヴァルを急かして空へと飛び上がる。
リンツまでは、空を行けば直線距離で百三十マイル(約二百十キロメートル)くらいか。
アンヴァルが
ちょっと偵察して戻ってくるのに、三時間もあれば十分だろう。
「甘い……甘いですよ、アラナンは。そんな下らない予測は、ぽいしとくといいです。どうせ当たりやがりません」
「失礼な馬だな!」
「大体、宿まで来て、何で小娘に偵察のことを言わなかったんです? 後で怒られるですよ。ははあ、ぱっと行って、ぱっと帰ってくれば、小娘にばれないとか思っていやがりますね」
「いや、別にマリーにこの任務は関係ないし。必要がなかっただけだ」
「おやおや。アンヴァルは小娘としか言ってないのに。ジリオーラではなく、マルグリットの方の名が出てくるんですねえ」
「おま、汚いぞ、この大食らいめ!」
「それで、小娘にこの件伝えていいですかあ?」
「ノーコメントだ!」
ったく、性格の悪さではピカ一だよ、この馬は!
「ところで、そろそろ近いんで、その一マイル(約千六百メートル)先からでも感知できそうな無遠慮な魔力を、もう少し抑えやがれですよ」
「──これでも
「アラナンの
こんな大魔力を持ったことがないんだから、仕方ないだろ、畜生!
ナイフしか使ったことがない人が、いきなりハルバードは振るえないんだよ!
「そんなんじゃ、ろくに近付けやしないですよ? こんなのを偵察任務にあてるとは、人事の失敗じゃないですかね」
「
不審そうな眼差しを向けてくるアンヴァルを宥めながら、リンツへと向かう。
そして、それを発見したのは、出発してから小一時間が経過した頃だった。
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