第二十章 リンドス島攻防戦 -9-
マティス将軍指揮下のヘルヴェティア軍が、動き始めた。
ヘルヴェティアの軍団の基本は槍兵と弩兵だ。
アレマン人の貴族を追い出したヘルヴェティアには騎士はおらず、歩兵のみの編成である。
だが、それがヘルヴェティアの軍団の強みだ。
我の強い騎士たちは、王の命令にも従わずに勝手に戦う傾向が強い。
それに対して、ヘルヴェティアの歩兵は自由都市の市民たちで編成されており、マティスの厳しい規律と統制に従うよう訓練されていた。
先陣を切ったのは、アルトドルフ市民軍五百。
長槍三百と、弩二百の編成である。
たかが五百の進軍であるが、丘から下る勢いをつけての突撃は、ルウメリ軍管区軍に衝撃を与える効果は十分にあったようだ。
こちらは、グリース人の貴族階層を中心に編成されている部隊に見える。
かつては大陸中央部の覇権を握ったグリース人であるが、いまはもうそれほどの力はない。
前線の歩兵が崩されると、後列に向かって潰走し、陣形が乱れ始めていた。
だが、それでも六千のルウメリ軍管区軍には、まだ兵力の余裕がありそうだ。
突撃を受けた中央は崩されたが、左右は健在である。
旗が振られ、その左右の兵が前進を開始する。
ルウメリ軍管区軍の将軍ソティリス・ガヴラスが、突進するアルトドルフ市民軍の横を突く手に撃って出たのだ。
だが、その前進を読んだかのように、アルトドルフ市民軍は進撃を止め、撤退を開始した。
整然と隊列を組み、押し寄せる敵兵を食い止めながらの退却は見事というしかない。
調子に乗ったルウメリ軍管区軍の左翼と右翼は、無秩序に追撃を続け、その隊列は長く伸びた。
そこに、アルトドルフ市民軍と入れ替わるようにヴァルテン市民軍五百が丘を駆け降り、追撃してきたグリース人とぶつかった。
簡単に撤退したアルトドルフ市民軍を見て敵を甘く見ていたのか、深追いしてきたセイレイス兵は脆くも崩れた。
そのまま敵兵を突き落としながら、ヴァルテン市民軍は一気に丘の下まで駆け降りる。
前衛が崩れたルウメリ軍管区軍は、本隊と予備隊しかもう残っていなかった。
慌てて予備隊を動かしたようだが、勢いに乗るヴァルテン市民軍は、その予備隊にも優勢に戦っている。
だが、攻勢限界点は近く、予備隊を崩した後に本隊と戦う力は残っていないように見える。
そのためか、ヴァルテン市民軍は戦いながら、少しずつ横へずれていっていた。
予備隊がその動きに対応するように横に移動した結果──本隊の正面ががら空きになったのである。
そこに、ルツェーアン市民軍千人が満を持して駆け降りてきた。
盾を構えて分厚い防御陣をひくルウメリ軍管区軍の本隊──そこに槍を揃えてルツェーアンの槍歩兵が突っ込んでいく。
そして、その先頭にいるのは、何故かクリングヴァル先生だ。
「あれ、先生、いつの間に」
「ほんまや。さっきまで此処で槍振るうとったっちゅうねん。いつ抜け出しよったんや」
思わず、マリーやジリオーラ先輩と顔を見合わせるが、まあ先生らしいといえば先生らしいか。
あの人が先陣を切れば、負けるとはとても思えないよな。
先生の槍が振るわれると、爆風で吹き飛んだかのように数人の敵兵が宙を舞った。
開いた穴から、先生を先頭にしてルツェーアン軍が突っ込んでいく。
たちまち穴が広げられ、敵の本隊は陣形を維持できなくなりつつあった。
「アラナン、そろそろ出番だ」
ノートゥーン伯が東の空を指差す。
見ると、三人の
ルウメリ軍管区軍の危地に、援軍として
ならば、こちらからは──。
「イリヤ、付いてこい!」
空を飛べるのは、ぼく以外ではファリニシュだけだ。
此処は、ぼくと彼女でしか、迎撃できない。
「わかりんした、主様」
最高速はぼくの方が速いが、ぎこちない動きのあの三人の
「ぼくが二人やる。イリヤは、一人を頼む!」
「任しなんせ」
ぼくたちが飛び立ったのを見た敵の
ふん、雷撃の杖とわかっていれば、対処のしようもあるんだよ。
タスラムを握り、連続で三射する。
敵が構えた杖を吹き飛ばすと同時に、宙を蹴って懐に飛び込んだ。
フラガラッハを抜いて、中央の一人を両断する。
左の一人が慌てて別な杖を取り出そうとするところを、神剣の一撃で首を飛ばした。
こいつら、
学院なら中等科生といったところか。
振り返ってみると、ファリニシュも一人を凍りつかせていた。
ふん、所詮こいつらだけじゃ、ぼくらの相手にはならない。
「主様、決まりんした」
地上から歓声が聞こえてくる。
ファリニシュが指差す先を見てみると、クリングヴァル先生が、敵将のソティリス・ガヴラスを討ち取ったようであった。
本当に敵将まで到達するんだから、やはり先生の武は大したものだ。
指揮官を失ったルウメリ軍管区軍は、部隊長である小領主ごとにばらばらになって逃亡し始める。
「よし、勝ちだ。これで、一旦引き上げかな」
追撃もそこそこに陣形を整え始めたルツェーアン市民軍を見て、早々に撤退するのかとぼくは思った。
だが、それはとんでもない思い違いであった。
マティス将軍は、撤退するために兵をまとめたのではない。
此処から、更に城を包囲する軍と戦うために陣形を整えたのだ。
「退かないのか。マティス将軍って、そんなに猛将だったのか」
「違いなんす。此処で退きなんすと、敵に態勢を立て直す時を与えることになりんしょう。マティス将軍は、少し先を読まれなんした。それだけのこと」
そうか。
此処で引き上げれば、敵はルウメリ軍管区軍の新しい指揮官を任命して再編する。
そうなれば、いまの勝利は無駄になってしまう。
いまならまだ、ルウメリ軍管区軍は指揮系統もなく遊兵と化している。
この状況を利用しない手はない。
「布陣を見ると、このまま南東に進めば、ヘルヴェティア軍は
セイレイス帝国軍は、リンドス城からの出撃に備えて布陣している。
まさか、ルウメリ軍管区軍を抜けて、ヘルヴェティア軍が後ろに回り込むなど、想定もしていなかったのであろう。
防衛のための柵などは、こちら側には築いていなかった。
時刻はまだ正午をまわったばかり。
南国の暑い日差しを受けながら、ルツェーアン市民軍を先頭に、ヘルヴェティア軍は
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