第十九章 白光の脅威 -9-
早朝のランニングから戻ると、ハンスが宿の前で待っていた。
中級迷宮の攻略に行っていたハンスが戻ってきたということは、攻略が成功したということだろうか。
「終わったよ、アラナン君」
ぼくの視線での問いに、ハンスは頷いた。
にやっと笑うと、ぼくは友人の肩を叩いた。
「おめでとう、ハンス。祝杯を上げるか。──カレルはどうした?」
「もう中にいるよ。アンヴァル嬢と騒いでいる」
思わず顔をしかめると、真面目な友人が顔を綻ばせた。
「まあ、いいさ。ぼくらも中に入ろう。──ああ、イザベル、ヘルマンとアリステーアを拾ってきてくれ。今日は、駆け足だけで終わりだ」
「了解しました」
ハンスは不思議そうな目でイザベルを見ていたが、ぼくに促されて
食堂では、カレルとアンヴァルが、亭主のアロイスから特別にビールを出してもらって乾杯していた。
まだ朝食の時間じゃないのに、申し訳ない。
常連じゃなかったら、追い出されいるところだ。
「よう、先にやっているぜ、ハンス、アラナン。ハンスの中級迷宮攻略に!」
「アンヴァルはよくわからないのですが、乾杯!」
アロイスはチーズとソーセージも出してくれたようだな。
頭が上がらないよ。
「有り難う。時間がかかったが、ようやくこれでわたしも学院を卒業だ。レツェブエルでレナス帝領伯が待っている」
「
「アルなら、一人で勝手に強くなるさ。プルーセン騎士団も再興してくれる」
実際、ポルスカで大きな痛手を被ったプルーセン騎士団の再建は、かなりの難事であろう。
プルーセン騎士団は、ザッセン人による植民政策の中核を担っている。
ハンスやアルフレートの父親から支援はあるだろうが、力が弱まれば地元民の反発は必須だ。
「アルフレートには負けないよ。わたしも、帝国で一番強い騎士を目指しているからね」
実際、中級迷宮を一人で突破したハンスの実力は、いまの高等科でも上位に位置するだけのものはあるだろう。
だが、まだハンスの剣には怖さがない。
ハンスが今後問われるのは、そういうところだろうか。
「ところで──彼らはどうしたんだい? 一緒に練習しているのか?」
息も絶え絶えなヘルマンとアリステーアを、イザベルが連れて入ってくる。
ハンスはそんな三人を指差すと、首を傾げた。
「ちょっとギルドの仕事で一緒になってね。鍛え直してくれっていうんで、朝だけ面倒見ているのさ」
「ほう、アラナン先生の指導か。ただでやるとは気前がいいじゃないか」
「本当、勿体ねえな。おれに生徒集めを任せてくれれば、講師だけで食えるようにしてやるぜ」
「いや、商売にする気はないから、カレル」
危ない、危ない。
うっかりしていると、カレルにびっちりスケジュールを入れられてしまうところだ。
「ザルツギッター中等科生。中級迷宮の踏破、おめでとうございます」
隣のテーブルにヘルマンとアリステーアを放り出すと、イザベルは堅い口調で言った。
ハンスは手を上げて応えると、しゃちほこばったイザベルの態度に苦笑する。
「有り難う、
「現在、小生はドゥリスコル高等科生に教えを請う身であります。ザルツギッター中等科生は、ドゥリスコル高等科生のご友人であられるゆえ」
ハンスの口調も堅い方だと思っていたけれどね。
イザベルのは、マティス護民官の教育によるものなのか。
「次のランキング戦で、イザベルはビアンカとやるんだよ。彼女のパワーに負けないように鍛えているんだ。いい勝負はすると思うよ」
「
アルフレートが中退し、ハンスが卒業すれば、中等科のランキングは激変するだろう。
陰気なアドリアーノ・ヴィドーに、トップの座が転がり込むことになるのか。
そして、その対抗馬と目されているのが、ビアンカ・デ・ラ・クエスタである。
そのビアンカといい勝負をするということは、中等科のトップ争いに割り込むということだ。
イザベルの気合いが入るのも当然であろうか。
「そっちの二人も大分しごいているようだね」
ひっくり返っているヘルマンとアリステーアを見て、ハンスが気の毒そうに言った。
「いやあ、とにかく
「それ身に付けたら、ほとんど初等科卒業じゃねえの。まずそこからとは厳しいねえ」
カレルのように、ランキング戦諦めて金儲けに走っているやつばかりじゃないからな!
「ところで、アラナン。わかっているとは思うが、お前、マリーとジリちゃん先輩が帰ってきたら、血を見るぞ。特に、あの女子二人が」
杯を置き、顔を近付けてくると、カレルは声をひそめた。
「血を見る──ぼくじゃなくて、彼女たちが?」
「気付いてないのか。お前に近付こうとする下級生を、あの二人が睨みを利かせて排除してきたのを」
おう、本当かよ!
ぼくに近付く下級生の女の子が少なくなるわけだ。
そんなことをしていたなんて!
「普段は敵対しているくせに、あの二人こういうことには手を組むんだからな。ほら、そこの二人にも聞いてみろよ」
思わずイザベルを見ると、彼女はふるふると首を振った。
「とんでもない。小生はさようなことをされたことはありません」
「──それは、先輩が今までアラナン先輩に近付こうとしなかったからですよう」
イザベルの意見に抗うように、アリステーアがテーブルに突っ伏したまま言った。
「アラナン先輩に熱を上げた女の子は、大抵あのお二人に呼び出しを受けるんですよ。行っても、別に何かされるわけじゃないんです。逆に、黙ったまま、二人にじーっと見つめられるんですよ。あの無言の圧力に耐えられる子はいませんでしたわ」
「アリステーアも耐えられなかったのかい?」
「あら、耐えられなければ、カンプフェンでアラナン先輩の班に入れてほしいとお願いになんか行きませんわ」
カレルは口笛を吹くと、ぼくの背中を叩いた。
「聞いたかよ。こののっぽの姉ちゃん、大した度胸じゃないか。面白くなってきたんじゃねえの?」
「他人事だと思って、面白がるなよ、カレル」
「いいじゃねえか。アリステーアだっけ? ちょっと可愛い後輩って感じじゃねえが、それくらいじゃないと、あの二人には太刀打ちできないからな。気が強いのなんのって」
「全く、カレルもそういうところは直した方がいいぞ。アラナン君も、困っているじゃないか」
「けちくさいこと言うなよ、ハンス。お前も友人として、アラナンにはいい娘と幸せになってもらいたいだろう? 候補が一人増えたんなら、喜ばしいことじゃないか」
ハンスは両手を広げ、肩をすくめた。
それは、喜ばしい結果にならないだろうと断言しているように、ぼくには思えた。
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