第十五章 クラカウの政変 -10-

 マゾフシェから西に向かっても、平原は何処までも続いていた。


 ヘルヴェティアのような山岳国家や、ヴィッテンベルクのような森林国家とは趣も空気も違う。


 大空の下、何処までも駆けていけそうな解放感があるが、その下で暮らしている人間は、ゴプラン部族のように閉鎖的になる場合もある。

 難しいものだ。


 トマシュがマゾフシェ公だったのかどうかはわからない。

 だが、彼が独自に国王救出の情報を掴み、ぼくに裏取りにきたのは確かだ。

 その話は、確実にマゾフシェ公に伝わっているはず。

 少なくとも、これでマゾフシェ公がすぐにヴィシラン騎士団に味方することはなくなったと思いたい。


 その日のうちにマゾフシェを出たが、特に拘束されることも尾行がかかることもなかった。

 見逃してくれるようだな。


 西に二日進むと、グニエズノに到着した。

 大司教の管理下にある宗教都市。

 ポルスカ王国におけるルウム教の牙城である。

 集った兵馬で溢れているかと思ったが、軍は隣の街ポズナンに駐留しているらしい。

 グニエズノは静謐で乱れがなかった。


 それでも、民衆は明るい表情が多く、楽観的であった。

 昨日、国王ユゼフ・ドウブル・ヴァザが、クラカウを脱出してグニエズノに戻ったのだ。

 大々的に発表されたこの情報は、すぐに王国中に広がるであろう。


 国王を救出したのは、従弟のカリツェ公であり、公はそのまま国王派に味方をすると表明している。

 明るいニュースが続き、グニエズノの民衆もじきにこの内紛が終息するものだと思い始めたのであろう。


 宿の食堂には、さほど商人の数は多くなかった。

 兵が参集しているポズナンに向かっているのかな。

 国王派の主体となるであろうプルーセン騎士団もちょっと見ておきたかったが。

 プルーセン騎士団の団長はアルフレートの叔父で、ローゼンツォレルン家なんだよね。

 この一族はやはり剣の才能があるのか、北方での武名は高いんだ。


 カトヴィッツが、ヴィシラン騎士団と雷鳴の傭兵団グジモートによって占領されたとの知らせが街中を飛び交ったのは、グニエズノに着いてから一時間後くらいだった。


 うわ、ヴァツワフ・スモラレクが突っ走ったのか。

 ヤドヴィカの制止も聞かず、莫迦なやつだ、と思う。

 これで、シロンスク公国はヤドヴィカ派の敵に回る。

 当然、モラヴィア辺境伯も同調する。

 ボーメン王国は自重するか?

 此処が動いたら、エーストライヒ公国がヤドヴィカの支援に動くだろうからな。


 戦いの流れは、やはり避けられない感じだなあ。

 カトヴィッツをヤドヴィカ派が制圧するメリットはそこまでない気はするが、もし北西に進んでカトヴィッツとブレスラウの中間にあるオペルンを押さえられると、シロンスク公は苦しくなる。

 というのも、オペルンはシロンスク公国最大の麦の生産地だ。

 麦の収穫がはかばかしくない今年、兵糧を押さえられるのは致命的だろう。

 当然、シロンスク公の出兵は急ぎになる。

 ポズナンに集結中の国王派はどうするのか。

 ヴィシラン騎士団には、ルブリン伯の後詰めがあるはずだ。

 急がないと、シロンスク公単独の戦いだと苦しいぞ。


 学長に報告したら、ポズナンからブレスラウを見てくるように言われる。

 どんどん仕事が増えるな。

 ポズナンは、グニエズノから駈歩キャンターで二時間もあれば行けるからいいけれど……。

 ブレスラウは、また一日駆け通しになるよ。

 だんだん乗馬に慣れてきたからいいけれどさ。


 グニエズノのポラン部族は、本当に信心深い。

 公園のベンチでのんびりしていると、結構気さくに話し掛けてくる。

 だが、その挨拶が凄い。


シュチェンシ神のご加護があチ・ボジェりますように


 初めは、何て言ってるのかよくわからなかった。

 普通にこんにちは、とかじゃないんだよ。

 でも、グニエズノじゃそれが挨拶なんだ。

 宗教都市ならではなのか、それとも元々ポラン部族がこういう性格なのか。

 更に、こういう人たちでも、一度政治の話になると口角泡を飛ばして論争する。

 宿の食堂にいる商人たちも、興奮してブレスラウを直ちに支援するべきだ、とかやっている。

 帝国の商人なんかは、ギルドの権利が認められているせいか此処まで熱心ではない気がする。

 自分の金儲けのが大事なんだ。


 翌日は、ゆっくりとポズナンに向かう。

 三十マイル(約五十キロメートル)程度の道のりだ。

 街道の右側、つまり北西部には森が広がって見える。

 広大なポルスカの平原もこの辺りで終わり、北と西は帝国と同様に深い森に覆われているのだ。

 この森は海岸部まで続いている。

 プルーセン騎士団は現地の住民を征服し、この森を開拓していた。

 その軍団はもう到着しているのか?

 それとも、まだ集結に手間取っているのだろうか。


 のんびり進んだせいか、ポズナンまで三時間ほど掛かった。


 ポズナンの市街を貫くヴァルタ川は、北西の海まで続き、水運を司っている。

 古くから、交通の要衝、商業の中心としてポラン族の中核となった都市だ。

 現王家がボーメン王国との結び付きを重要視したため、南部のクラカウに首都を移したが、元々はこの街がポラン族、つまり現王家ヴァザ家の根拠地である。

 ポズナン伯自身もヴァザ家と縁戚であり、支援体制は強固であった。


 ポズナンは、グニエズノと違って喧騒に包まれていた。

 ひっきりなしに物資を積んだ馬車が行き交い、また続々と武具を身に付けた男たちが集まってきている。

 傭兵の志願者たちか。

 冒険者ギルドにも、ポズナン伯からの傭兵の募集が出ていた。

 結構応募している冒険者も多いらしく、ポズナン伯は五百ほどの傭兵を雇い入れたようだ。

 プルーセン騎士団はまだ着いておらず、此処にはポズナン伯の軍しかいなかった。

 ポズナン伯の将帥としての力量は味方ですらそれほど評価はしていないが、それゆえに彼は焦っているようであった。


 プルーセン騎士団の到着を待たず、ポズナン伯単独でブレスラウに赴こうとしているらしい。

 それはどうなんだろうか。

 確かに、軍は速度が重要だとは思うが……。

 まとまりを欠けば、各個に撃破されるだけではないだろうか。


 商人の噂によると、プルーセン騎士団は、まだマリーエンブルクを出て、やっとブロンベルクに到着したあたりのようだ。

 マリーエンブルクは、ポズナンの北東約百六十マイル(約二百六十キロメートル)の地点にあり、ブロンベルクはちょうどその中間地点だ。

 まだ、到着まで一週間やそこらはかかりそうだな。


 ヴィシラン騎士団が拙速に動いたことで、ポルスカ全体に波及効果が出ようとしている。

 初めの対決は、シロンスク公国で起きることになるのか。


 ポズナンで学長に状況の報告を入れると、ブレスラウに向かう前にカリツェに寄るように指示が出る。

 何かと思えば、ノートゥーン伯、ジリオーラ先輩、マリーをこっちに向かわせるというのだ。

 カリツェの修道院に、ダンバーさんが転移魔法陣トランジッションスクエアを設置してあるので、そこで三人と合流するようにとのことだ。

 他の三人にも、雰囲気を肌で感じろということなのか。

 まあ、アンヴァルだけじゃ食べ物の話しかしないから、同行者は欲しかったところだ。

 一人で判断するのも結構大変だったしね。

 ノートゥーン伯を頼りにさせてもらおう。

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