第八章 ベールに忍び寄る影 -9-

スズキのじゃがいもパピヨット・パール・ポム包み焼き・ド・バールトマトソースソストマでございます」


 給仕が次の料理を運んでくる。

 オリーブオイルとニンニクの香ばしい匂いが漂ってくる。

 前菜とスープでいい具合に腹の調子が整ってきたんで、そろそろお腹にたまるものが欲しいところだ。

 パンも頼もうかな。


 そう思ったとき、トラブルが嵐のように来訪してきた。


「特別室が空いてないとはどういうことですか」


 あれ、何か聞き覚えのある声が階下から流れてくる。

 この蛇のように粘着的な声の響き。

 嫌な予感がする。


「急なお客様のために、特別室はいつも開けてあるはずでしょう。今日は大事なお客様なのですよ。ええい、そこを退きなさい」


 階段を上がる音がして、乱暴に扉が開け放たれた。


 濫入してきたのは、予想通りベールの市長フロリアン・メルダースだった。

 後ろに何人かの男女が続いてくる。

 うわ、見覚えある連中ばっかりだな。

 ルンデンヴィックのエイルズベリ宮殿で学院推薦の式典が開かれたとき、前の方に座っていたやつらだ。


 極めつけは、グウィネズ大公プリンス・オブ・グウィネズと、エリオット卿サー・エリオットか!

 アルビオンのお歴々御一行様じゃないか。


「子供ばかりじゃないか。支配人、これはどういうことかね」

「は、いえ……この方たちはティアナン・オニール評議員のご予約でいらっしゃった方たちで……」

「ティアナン・オニールが何だ! ベールには、ベールのやり方がある!」


 折角のスズキシーバスが冷めていく。

 ベールで味わえるのは海で獲れた個体ではなく、川を遡上したものであろうが、それでもヘルヴェティアで魚介類は珍しい。

 何か、段々苛々してきた。

 アンヴァルなんか、今にも爆発しそうだ。


「女性の前で失礼ではないですか、市長ビュルガーマイスター。此処は食事を楽しむところで、唾を飛ばすところではありませんよ」


 席に座ったまま、凛とした口調でハンスが口を開いた。

 いきなり話し掛けられたメルダース市長は、激昂するかと思いきや目を細めてハンスを見た。


「これは、ザルツギッター家の若君。失礼を致しました。ですが、此処は国家の賓客ひんきゃくをお迎えするためにいつも空けてあるんですよ。貴方たちもいまは学院に所属する以上、ヘルヴェティアの管理下にあるはずです。場所を譲って戴けませんかね」

「冗談じゃねえぜ! こっちは先に予約を取って正当に食事をしているんだ! 国家権力による横暴には従えないな!」


 人のいいハンスが返答をする前に、カレルが割って入る。

 最近文筆活動をしているせいか、カレルの論理に知識層っぽい響きが混じっているな。


市長メイヤー、これはどういうことかね」


 尊大そうな貴族が割って入ってくる。

 こいつは確か、バーンフィールド侯爵だ。

 アシュリー・シーモア。

 兄が女王の婿になったお陰で出世した男だっけかな。

 成り上がりだが、いまのアルビオン王国では力がある。


「モウブレー家の問題を解消したいというから出向いてきたのだ。こんなところで、王太子殿下ヒズ・ロイヤルハイネスを立たせっぱなしにする気かね」


 ははあ、そういうことか。

 幾らエリオット・モウブレー本人が希望したからと言って、アルビオンとしてはヘルヴェティアへの国籍変更を容易く飲むわけにはいかない。

 それを調整しにきたわけか。


「いえ、それは……」


 流石のメルダース市長も困っているようだ。

 強引に追い出すには、ハンスやアルフレートの実家が強大すぎる。

 帝国北辺を支配するザッセン人の有力貴族だもんな。


「じゃあ、こうしたらどうです」


 ぼくが立ち上がると、一気に全員の視線がこっちに向いた。

 うお、ちょっと怖いな。

 何人かはぼくに気付いたようだ。

 エアル人ごときがって顔をしている。


「幸い、特別室は広い。もう三人くらいの席は作れるでしょう。殿下ユア・ロイヤルハイネスエリオット卿サー・エリオットと、市長メイヤーくらいは座れますよ。それで、ご一緒にいかがですか?」


 ぼくにしては、最大限譲歩したつもりだ。

 メルダース市長と食事なんて御免だが、仲立ちの彼がいなかればどうしようもあるまい。

 後は当事者だけでいいだろ。

 バーンフィールド侯とか邪魔なだけだ。


「ふ、ふざけるな! エアルの山猿風情が大層な口を聞きおって! このバーンフィールドを無視するつもりか!」


 いやあ、後ろで折角の食事を楽しみにしていた令嬢たちには心痛むけれど、あんたは別だ。

 だって、いられると話進まなそうだもん。


「よい、バーンフィールド侯。悪いが、彼女たちを連れて宿に戻っておれ。わたしは──」


 初めて、ルウェリン・グリフィズが口を開いた。

 彼の母親は、確か旧グウィネズ王国の王家の家系だったか。

 それならば、彼にもセルトの血が伝えられていることになる。

 融和が進むのは喜ばしいことなのか、それとも悲しむべきことなのか。


「ノートゥーン伯爵を破ったこのドゥリスコルにも興味がある。座らせてもらおうか、市長メイヤー?」


 グウィネズ大公プリンス・オブ・グウィネズは、お連れの者に退室を命じ、メルダース市長に席を用意するように促した。

 なかなか度量が大きいな、この男。

 流石にあの化物のような女王の息子なだけはある。


 バーンフィールド侯爵たちは、靴音を高くして出ていった。

 ああ、アルビオンに余計な敵を作った気がするな。

 でも、ぼくたちが出ていかなきゃならない理由はない。

 部屋の利用状況を確認しなかったメルダース市長が悪いんだ。


 急いで新しい席が用意され、カンパーニュと前菜も運ばれてくる。

 王太子はその馥郁ふくいくたる香りをたのしむと、魚料理を食べ始めたぼくらに興味深そうな視線を向けた。


「ザッセン人の貴族とサリ人の貴族。チェス人、ラティルス人、北方の佳人とエアルの旧き神官。これは何の集まりかね」

「──ただの学院の友人ですよ。今日はハンスの残念会です」

「ザッセン辺境伯のご子息だったか。惜しい試合であったな。だが、あの武勇に優れたメディオラ公をあそこまで追い詰めたのだ。将来いい武人になるであろう」


 グウィネズ大公プリンス・オブ・グウィネズは、三十過ぎの壮年の男性だ。

 趣味人なのか、アングル人にしてはアルマニャック王国の流行に近い服装をしている。

 結構格好いい。


 そのせいか、みんな緊張して話さないものだから、何かぼくが返事しなきゃいけなくなっている。

 いや、元々王太子が使っているのはアルビオン語だし、アルビオン国民であるぼくが返答するのは当然なんだけれどね。


「しかし、こうして多くの国々の若者と交流を図れる。それは学院の大きな財産だな、ノートゥーン伯アール・オブ・ノートゥーン

「さようでございますね、グウィネズ大公プリンス・オブ・グウィネズ


 エリオット・モウブレーの父親が、ノートゥーン公爵だ。

 だが、高位貴族は大抵他にも爵位を持っている。

 ノートゥーン公爵の場合はノートゥーン伯爵とアランデル子爵だ。

 アルビオンでは貴族の長男は父親に付随称号がある場合、その爵位で呼ばれる。

 だから、エリオット卿サー・エリオットは元々ノートゥーン伯、ノートゥーン卿ロード・ノートゥーンと呼ばれていた。


 アルビオン王国を抜け、父親との縁を切ったために、ノートゥーン伯ではなく、騎士階級であることを示すサーに呼称が変更されたのだ。

 伯爵であるときは貴族階級であるロードであったのに、騎士階級であることを強調されるのは本当なら嫌であったのかもしれない。


「だが、交流はもう十分楽しんだであろう。我が儘はやめて、アルビオンに帰ってこい。アルビオンには、まだ卿を受け入れる余地は残っているぞ」

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