第二章 氷雪の魔狼 -1-

 講義の休み時間に帰ってきたドゥカキス先生から、今後の話を聞く。

 入学したことを証明する旅券の更新は今日行い、その他簡単な実力試験に関しては明日行うとのこと。

 試験と言ってもクラス分けとかがあるわけではない。

 そもそも初等科の人数は三十人くらいらしい。

 だから、ドゥカキス先生一人で間に合うのだろう。


 中等科になると十人くらいのクラスが五つあり、これは得意科目で選別されるらしい。

 高等科はほぼマンツーマンでの指導になるので、その個人に合った教師が選ばれるそうだ。

 だから職員室にいつも先生がいないのかな。


 とにかく旅券の更新だけ行い、学院を辞去する。

 ギルド長の正体が気になるしな。

 ドゥカキス先生も授業があるので、ぼくを特に引き留めたりしなかった。

 どうやら学長に袖にされたことは気にしてないようだ。


 学院の門から外に出ると、若干違和感がある。

 空間的に学院の中は外とは違うのではないだろうか。

 外から学院の建物とか見えないしな。

 こうして見れば、ただの菩提樹リンデンの林だ。


 冒険者ギルドまで戻ると、そろそろ昼に近かった。

 パンとチーズだけ買って腹に収めると、ギルドのスイングドアを開け中に入る。

 中にいた四、五人の男女がこちらを見るが、特に話しかけては来なかった。

 面倒がなくていいとほっとしながら受付に行く。

 昨日は三人いた受付嬢が、一人しかいなかった。


「今日は一人だけなんですか」


 軽く疑問を尋ねてみると、この時間は混まないから交代で昼食休憩を取っているらしい。

 うん、そりゃ受付嬢も人間だから当たり前だよな。


「アラナンさんですね。そちらの階段を昇って突き当たりの部屋がギルド長の部屋です。わたしは此処から離れられないので、申し訳ありませんがお一人で行っていただけますか」


 名前を名乗るとギルド長の部屋の位置を教えてもらえた。

 階段を昇り、突き当たりまで行ってノックをしようとする。


「ノックはいらないわよ、アラナン」


 いきなり足下から声がして飛び上がる。

 案の定、シピが機嫌よさそうに尻尾を振りながら顔を洗っていた。

 また、いつの間にか現れたな。

 と言うか、ノックがいらない?


「あら、まだわからない? わたしがギルド長のシピ・シャノワールよ、アラナン」


 黒猫がにゃあと鳴くと、扉が開いた。

 中から、やや呆れたような表情で、レオン・ファン・ロイスダールが顔を出す。

 黒猫はその隙間からとことこと部屋の中に入っていった。


「まあ、入れよ、アラナン。そんなところに突っ立ってないでさ」


 年長者の落ち着きを見せ、レオンさんがぼくに入室を勧めてきた。

 流石に意表を突かれ、棒立ちだったぼくは勧められるままに部屋の中に入る。

 正面のソファにちょこんと座っていた黒猫が光を放つと、そこには黒髪のスタイルのいい美女が座っていた。


「マリーの使い魔じゃなかったのか」


 頭を掻きながら尋ねると、艶然とした笑みを浮かべてこちらを見てくる。


大魔導師ウォーロックに依頼されたのよ。マリーの護衛も勿論だけれど、アラナンも導いてくれってね」

「なるほど。色々と心当たりがありますよ。巧くやられた気がします」


 聞けばシピは学院の卒業生で、高等科では大魔導師ウォーロックに直接師事したほど優秀だったらしい。

 全冒険者ギルドでも三人しかいない黄金級ゴルト冒険者の一人だと言う。

 黒猫シャ・ノワールのシピと言えば知らない冒険者はいないほどの有名人らしい。

 ま、エアル島に冒険者ギルドはなかったし、ぼくは知らなかったけれど。


 しかし、道理でシピの接近に気付かないはずだよ。

 そんなに凄腕だったのか。

 ぼくが助けなくても、シピだけで十分マリーを護れたんじゃないか? 


「それでね、アラナン。オニール先生に聞いたと思うけれど、マリーの護衛について貴方にやってもらいたいことがあるの」

「詳しい話は聞いてないですけれど、ぼくがマリーに四六時中付いていなくてもいいようにするらしいですね」

「ええ。要するに、貴方がいなくても代わりにマリーに付いていられる存在がいればいいの。お勧めはこれね」


 シピは一階の掲示板に貼ってあった魔物の情報が書かれた紙を寄越してきた。

 手に取って内容を見る。


 魔狼ファリニシュ。

 危険度ロート

 出現場所メートヒェン山。

 吹雪とともに現れる巨大な狼。

 軽々しく山頂に近付く者に死をもたらす。


 危険度ロートって黄金級ゴルト冒険者じゃないと受けちゃいけない魔物じゃなかったっけ?

 何で昨日冒険者になったばかりのぼくにこんな依頼寄越すわけ?


「貴方ならできるってオニール先生が言っていたわ。わたしも半信半疑なんだけれど、先生が言うなら確かよ。まあ、貴方はこの辺りの地理に詳しくないでしょうから、レオンを道案内に付けてあげるわ。でも、ファリニシュを相手にするのは貴方だけって言ってあるから、よろしくね」

「ま、おれも氷雪の魔狼なんて相手にして死にたくないからな。基本自分の身を守ることしかしないぞ。だが、白銀級ズィーバーのおれでも死を覚悟する魔物を相手に、昨日冒険者になったばかりの青銅級ブローンセが何とかなるものなのかね」


 何とかなるものなのかね。

 ぼくが知りたいよ!

 何でぼくがそんな危険な魔物を相手にしなきゃならないの?

 と言うか、これ倒すんじゃなくて屈服させて従えろってことだよね?

 どんだけ難易度高くすれば気が済むんだよ!


「これくらいやれなくちゃ、わしの後継者にはなれないぞって先生言っていたわ」

「後継者既定路線なんですかね!」


 おっと思わず口に出してしまった。

 ま、シピ相手だと口に出さなくても同じなのか?


「その話聞いたら何人か怒り出しそうな人もいるかしらね。先生の直弟子は自分が後継者になるって思っている人多いのよ。わたしは冒険者ギルドのフラテルニア支部長になったから諦めたけれど」

「ぼくが言い出したんじゃないし、勘弁して下さい」

「だからよ。先生が自分からそんなこと言ったの初めてだもの」


 黄金級ゴルト冒険者になった自分でも、そんなことは言われたことがないのよ、とシピが笑った。

 何だか恐縮してしまうが、ぼくの責任ではないはずだ。

 大魔導師ウォーロックが勝手に言っていることだからな!


 とは言え、ぼくが祭司サケルドスたちに特別な育てられ方をしたのも事実だ。

 幼少の頃から、戦士コルとしての訓練も、魔術師エレメンタラーとしての訓練も、ぼくだけ他の子供とは比べ物にならない厳しさだった。

 本当、余りの厳しさに何度祭司サケルドスたちを殺してやろうと思ったか。


「わたしにはよくわからないけれど、先生はあいつはファリニシュを手懐てなづけられる、そう訓練されている、とおっしゃっていたわ。だから、大丈夫よ。後のことは、レオンと相談してちょうだい。貴方が出掛けている間は、わたしがマリーを見ているから心配しないで」


 ま、ぼくが見ているより安心できるんで、心配はしません。

 本当にあの神出鬼没ぶりはどうやっているんですかね。


 話は終わったようなので、レオンさんにうながされて外に出る。

 とりあえず魔狼との戦いに関してはぼくに任せるらしいが、そこに行くまでに雪山の装備が必要になるのでそれを揃えに行くとのこと。


 メートヒェン山は標高四千五百ヤード(約四千百メートル)を超えんとする大陸西方有数の高峰だ。

 山頂付近は夏でも雪で覆われ、魔狼のせいで常に吹雪が吹き荒れると言う。防寒具は必須のようだ。


「実際、登山の装備は大荷物になるから、魔法の背嚢ツァオバーザックがあった方がいい。おれは一つ持っているが、アラナンは持っているのか?」


 そんなに大荷物を持ったことがなかったから、買おうと思ったことがなかった。

 聞いたところでは、かなり高価らしい。

 幾らくらいなのだろうか。


「安くても金貨マルク十万枚くらいかな」


 思わず噴き出した。

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