第一章 黒猫を連れた少女 -4-

 狼の襲撃後、暫くして街道の右手に村が見えてきた。


 ぼくたちは左側に少し街道を外れ、馬車を止めて休息を取ることにした。

 夜間の見張りはジャンと交代かなと思っていたが、マルグリットも合わせて三交代でやると言う。

 お嬢様に見張りなんてやらせていいのかなと思ったが、そう言う経験を積む方針らしい。

 お高く止まっているよりはいいね。


 バジリアで買い物もできなかったから、夕食は保存用のビスケットをぬるいワインで流し込む。

 狼の肉?

 筋ばっかりでまずいからいらないよ。

 ジャンとマルグリットも、このぼそぼそしたビスケットを文句も言わずに食べている。

 高貴な家柄の割には我慢強いな。


「ねえ、マルグリット様も魔法学院への推薦を受けているんでしょう? 当然、アルマニャックの王様から」

「……同級生みたいだし、マリーでいいわよ」


 村から人が来ても面倒なので、火もけない。

 やや肌寒いが、まだそれほど高地には来ていないはずだ。

 ヘルヴェティア自由都市連合の南には、何千フィートと言う高さの山が連なっているらしいが、そんな山の中だと夏でも寒いそうだ。


「まあ、そうね。推薦は当然王から受けるわ」

「なのに、ロタール公が横槍を入れたの? 王家の決定に逆らうって問題にならないの?」

「ロタール公爵位って言うのはなかなか複雑でね。今はシャトノワ家がロタール公爵位を継いでいるけれど、元々は帝国領だった時期もあるの。だから、王家もあまり強くは出れないのよね。帝国からすると、あそこはロタリンギア公爵領なのよ。いまはアルマニャック王国に占領されているだけだとね」

「ロタール公が、帝国と通じているってこと?」

「前から噂は絶えないわ。国境の大貴族だし、帝国も当然目は付けるわよね。特にミールヒューゼの周辺は元々帝国のアルス伯爵領だったのをロタール公が奪い取ったのよ。お陰で南にあるモンベール伯爵領が帝国の飛び地になったから、いま最も帝国との紛争が絶えない地域ね」

「ロタール公が帝国に寝返れば、奪われた土地もお釣りが付いて返って来るってことね。それは王様も気を使うだろうね」


 正直関わり合いになりたくない話だが、下手をしたらこっちに火の粉が降りかかる羽目になる。

 しかし、ロタール公は何でそこまでマリーを嫁に迎えたがったんだろう。

 アルトワ伯は有力貴族の一員ではあるが、ロタール公が王に逆らってまで手に入れるほどの家柄ではない。


 まあ、ぼくはそこまでアルマニャック王国の上流階級に詳しくないから、ぼくの知らない何らかの事情があるのかもしれないけれど。


 しかし、ロタール公が帝国と通じていたら、バードゼックから追手が出てくる危険性もあるんじゃないかな。

 単に旅券の偽装くらいならそこまでしつこくないだろうけれど、ロタール公の手が回っていたらどうなるかわからない。


「バードゼックはブライスガウ伯爵家の所領だったっけ」

「ええ。でも、ブライスガウ伯爵家の居館はフライスベルにあるし、バードゼックには大した騎士はいないと思うけれど」

「バードゼックの領主はブライスガウ伯の次男ですね。ロタール公から連絡が行っていれば、越境して騎士が出張って来ることも十分考えられます」


 ジャンはマリーの前では丁寧な姿勢を崩さない。

 だが、こいつは結構したたかな奴だ。

 お貴族様の薄っぺらさがなく、平民出身の逞しさがある。

 油断しているとあっさりとぼくを切り捨てそうで怖い。


「警戒はしておいた方がいいでしょう。場合によっては討ち果たすことも視野に入れます。何、国境を侵して出てきていれば、幾らでも言い訳は立ちます。ブライスガウ伯爵程度ではフラテルニアに文句は言えませんよ」


 それはそうだろうな。

 フラテルニアの魔法学院は、それだけの力を持っている。

 大陸で唯一の魔法の教育機関なのだ。

 学長以下強力な魔法師が何人も揃っているし、ヘルヴェティアの各都市に配備されている。

 ヘルヴェティア自由都市連合の政治的な中枢は連合評議会のあるベールだが、一番人口が多く、力を持っているのは魔法学院のあるフラテルニアだ。


 初めの見張りに立ちながら、いまの状況をもう一度見つめ直す。

 ぼくは完全に巻き込まれただけだが、バジリアで旅券を読み込まれてしまっている。

 帝国の都市に行けばマリーの行方を探す兵士に捕まって尋問を受ける危険性すらある。

 マリーと別れても、危険性が去るとは思えない。


 忌々しいが、マリーと一緒にいた方が生き延びる確率は高そうだ。


 交代の時間になり、ジャンと見張りを代わる。

 ジャンは起こそうと近付いただけで目を開いた。

 気配だけで目を覚ます訓練を積んでいるとか、騎士と言うより猟兵りょうへいのような印象だ。


「異常はないよ」

「わかった。後は任せろ」


 ジャンは二十代後半だろうか。

 身のこなしも軽く、鍛え上げているのがわかる。

 森の中で育ったぼくでもジャンの目を誤魔化すのが難しい気がするくらいだ。

 マリーの護衛としてはこれ以上ない人材なんだろう。


 横になって目を閉じる。

 やはり、ぼくとジャンは馬車の外だ。

 夜は寒いから、外套にくるまって寒さを凌ぐ。

 火を焚ければまだましなんだが。


 エアル島の森で鍛え上げたぼくは、どんな状況でも瞬時に眠ることができるし、乱れた気配を感じれば目を覚ますことができる。

 でも、その日は朝まで事件は起きなかったようだ。

 明け方、まだ暗いうちにマリーがぼくとジャンを起こす。

 農民の朝は早い。

 村人に見咎みとがめられる前にとっとと出よう。


 残りのビスケットをワインで流し込んで出発する。


 払暁ふつぎょう、東の山間やまあいから次第に明るくなっていくのがわかる。

 まだ高原と言うほど標高は高くはないが、ヘルヴェティアは基本的に山の国だ。


 フラテルニアの南には大陸西部最高峰のベルナー山脈が広がる。

 ヘルヴェティアの北東から南西部にかけて斜めに貫くベルナー山脈は、ヘルヴェティアと南のメディオラ公国とを隔てる国境にもなっている。

 天険てんけんにも守られたヘルヴェティアは、他国の侵攻を決して許さないのだ。


 ルウム人やアングル人に追いやられてエアル島に押し込められたぼくたちエアル人から見たらうらやましい強さだ。


 レナス川を左手に見ながら街道を進む。

 レナス川の向こうは帝国のブライスガウ伯爵領だ。

 もうじき対岸にバードゼックの街が見えてくるだろう。

 この辺りの地理はアルビオン王国を出るときに特別に地図を見せてもらっている。

 軍事機密だということで持ち出しはできなかったが、その場で覚えて家で大体の模写は行った。


「バードゼックです」


 ジャンが固い声を発した。

 左手の窓から外を見ると、レナス川の対岸に街並みが見えてくる。

 レナス川には、かつて架かっていたのか橋の残骸らしきものが残っていた。

 そして、此岸しがんに船が泊まっている。


「ヘルヴェティアが自由都市連合になって以来、バードゼックの橋は落とされました。でも、奴らは船で渡河してきたようですね」


 こちらを発見したか、船の側に駐留していた小部隊が動き出した。

 騎兵が一騎と、十五人くらいの兵士が街道を塞いでくる。

 先頭の騎士の掲げる盾を見たジャンが、面倒そうに舌打ちした。


「ツェーリンゲン家の紋章です。ブライスガウ伯の次男ユルゲン・コンラート・フォン・ツェーリンゲンに間違いないでしょう」

「バードゼックの領主自ら出てくるの?」


 信じたくはなかったが、ジャンはぼくより帝国の貴族には詳しいはずだ。

 そのジャンが言うのなら、間違いはないのだろう。


 ユルゲン・コンラートの完全武装を見ると、厄介な相手が出てきたとしか思えない。

 長大な騎士槍ランス、金属で補強された逆五角形の騎士盾ナイトシールド、高価そうな板金鎧プレートメイル、巨大な軍馬ウォーホース、完全な騎士ナイトだ。


 あれ一騎で十数人の兵を蹴散らせるだろう。

 板金鎧プレートメイルには、ジャンの剣でもダメージを与えられるかわからない。


 従士スクワイアが二人ほど控えているが、武装はしていない。

 荷物持ちだろう。

 兵士は槍兵が五人、盾兵が五人、弓兵が五人とバランスがいい。

 幾らジャンとマリーが強くても、普通に考えてこれは勝ち目がないんじゃないか?

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