ルーの翼 ~アラナン戦記~

島津恭介

第一章 黒猫を連れた少女 -1-

 ごとりと馬車が動いた。


 国境の面倒な手続きが終わって、アルマニャック王国からバジリア司教領へと入る。

 寝転んでいた座席から起き上がると、ぼくは狭い馬車の窓から外に視線を向けた。


 長閑のどかな青空が広がっていた。


 街道は川沿いに進んでおり、川の向こうには森が広がっている。


 それほど深い森ではない。

 陽光の下で見れば明るいピクニックでもしたくなるような森だ。

 自由都市領の森と異なり、このあたりの森は騎士団が見回っているので然程さほど危険はない。


 それにしても、国境の通過に二時間も掛かるとは思わなかった。

 王国から出る人間が、異様な厳しさで調べられていたのだ。

 ぼくのような外国人は、特に怪しまれて引き留められた。

 アルビオン王国の人間はアルマニャック王国では余り好かれていない。

 ぼくみたいな人間には迷惑なことだ。


 アルビオン王国は大陸の西にある島国で、そこから海を渡って此処まで辿り着いた。

 もっとも、此処は目的地ではない。

 ぼくの目的地はアルマニャック王国の東の自由都市フラテルニアにある魔法学院である。


 大陸で唯一の魔法を学べる学院だ。


 入学資格は魔力を持つ者だけで、大陸の各国から有望な魔法師の卵たちが集まって来る。

 一流の騎士は魔法も使うので、名だたる名門の騎士なんかもいたりする。

 ま、ぼくのような庶民には関係ない。

 ぼくの生まれたエアル島はアルビオン王家には常に警戒されている土地柄だし、出世できるとも思えない。


 本来ならアルビオン王家がぼくに学院への入学許可など出すはずがないのだが、島の祭司サケルドスたちが巧く交渉してくれたようだ。

 島の期待を背負っていると考えると胃が痛いが、送り出してくれた皆を思い起こすと頑張らねばという思いに駆られる。


 一頻ひとしきり外を眺めると、ぼくは再び寝転んだ。

 国境を越えたとはいえ、フラテルニアまではまだ掛かる。

 バジリア司教領はヴィッテンベルク帝国の南西部にあたり、これを横断すれば自由都市領に入る。

 次第に街道に人影が多くなって来たのは、バジリアの街が近付いてきたからだろう。

 馬車の中にも喧騒が届いて来る。


 バジリアはレナス川の一番上流に架けられた橋を持つ交通の要衝だ。

 大きな都市ではないが、地政学的には重要な意味を持つ。

 司教領と言うことはぼくの嫌いなルウム教会の支配下にあるということで、正直余り近付きたくはないが、こればっかりは仕方がない。

 とっとと通り過ぎるのがいいだろう。


 にゃあ。


 不意に猫の鳴き声で考え事が中断される。

 視線を上げたぼくは、馬車の同乗者と目が合った。


 黒猫を膝に抱えているのは、十四、五歳の少女だ。


 名前はシャルロット・カリエール。

 腰まである長い栗色の髪に意志の強そうな青い瞳。

 白磁のような肌はぼくのような森の中で育った野生児とは違う上品さがある。

 着ている服も豪華ではないが上質そうで、こんなお嬢様が一人で乗り合い馬車に乗っているのが不思議なくらいだ。


 彼女はぼく以上に国境で検問に引っかかっていたが、最終的に通行の許可を貰っていた。


「何か?」

 

 視線を感じたのかシャルロットが睫毛まつげまたたかせながら尋ねてくる。

 同じ馬車に乗りながら、滅多に話したことはない。

 彼女はアルマニャック王国のサリ人で、アルマニャック語以外は使わない。

 無論他の言語も覚えているのだろうが、口にするのはアルマニャック語だけだ。


 ぼくはエアル語とアルビオン語は読み書きできるが、アルマニャック語は細かい会話は苦手だ。


 元々エアル語とアルマニャック語は同系統なので話せなくはないが、大陸で洗練されて変化したアルマニャック語と、島国で原語に近いエアル語では細かいところでだいぶ違う。

 アルマニャック人はエアル語を聞くと田舎者を見るような目で見て来るのはこのためだ。

 シャルロットがそんな目で見て来るわけではないが、ぼくが気後れしてなかなか話せない。


「そろそろ……バジリアですね」


 面白くもない返答だと我ながら呆れるが、緊張して何を話していいかわからない。

 シャルロットは優雅に小首を傾げると、視線を馬車の外に移した。

 それから再び視線を戻すと、真面目な顔になって忠告をしてきた。


「アラナン、貴方はアルビオン人だったかしら。聖公会の方なら、大人しくしていた方がいいわよ。バジリア司教ハインリヒ・コルネリウス・カッシーラーは、敬虔なルウム教の信徒なの。敬虔過ぎて、ルウム教徒以外にはちょっと厳しい噂を聞くわ」


 アルビオン聖公会アングリカンは、元々ルウム教と同じ宗派であったが、先代の国王の時代にアルビオン王国のルウム教会が独立して起こした組織だ。

 当然、ルウム教会とは仲が悪い。とは言え、ぼくはそのアルビオン教徒ですらない。


 楢の木ロブル教徒だ。


 聖公会アングリカンですら目くじらをたてるバジリア司教に樫の木ロブル教徒なんてばれた日には、火炙りにされてもおかしくはない。

 精々目立たないようにしておこう。


「あ、有り難う。気を付けます」


 アルマニャック語では流暢りゅうちょうに喋れないし、時々つっかえる。

 だから、短くならざるを得ない。

 だが、シャルロットは気にした様子はなかった。

 黒猫の頭を撫でながら、まぶたを閉じている。


 ごとごとと音を立てて進んでいた馬車が、ゆっくりと止まった。

 御者の話し声が聞こえるところを見ると、バジリアに到着したのだろう。

 待っていると、馬車の扉が開けられ、男が一人覗き込んできた。

 胸甲が鈍い色に輝く。

 城門の兵士だろう。


「旅券を見せろ」


 バジリア司教領はヴィッテンベルク帝国にあるが、兵士はアルマニャック語を使っていた。

 実際この辺りはアルマニャック語の方が使用頻度が高い。

 シャルロットも当然と言う顔をしている。


 ぼくは難癖を付けられる前に旅券を出した。

 アルビオン王国が発行する旅券は、金冠の獅子の紋章が刻まれた薄い金属片だ。

 兵士はその金属片を手にした長方形の箱のような魔道具の中に前面の薄い穴から差し込んだ。


 ピッと甲高い音がして、上面の水晶に文字が現れた。

 兵士はそれを見ると、軽く頷いた。


「アラナン・ドゥリスコル、十六歳、男、アルビオン王国所属。職業は学生──目的地はフラテルニアか。魔法学院に向かっているのか?」

「は、はい! 今年のアルビオンからの入学者はぼくだけです」


 エアル人のぼくがアルビオン王国の推薦が受けられた理由の一つが、これだ。

 王国としても推薦者がいないと言うのは面子が保てないのだろう。

 何人も推薦者がいたなら、エアル人を学院に送り込んだりはしない。

 だが、今年のアルビオンに、魔術の素養のある者はいなかった。

 王国は聖公会アングリカンの強硬な反対を押し切って、ぼくを学院に押し込んだのである。


「聖公会の信者を街に入れる訳にもいかんと言いたいが、学院の生徒ならうるさいことも言えまい。明日には出ていけよ」

「勿論です、隊長」


 下っ端の兵士だとは思っていたが、見逃してくれそうなのでお世辞を言った。

 男は口許を僅かににやけさせると、通行税に銀貨ターレル一枚を徴収すると告げてきた。


 旅券には、予め所持金の大半を情報化して入れてある。

 水晶に表示される一ターレルの表示を見て、承認と書かれた部分に親指を当てた。


 ぼくの魔力を感知して、軽快なピッと言う音とともに処理が終了したという画面に変わる。

 これくらいの処理なら、一般人の保有する魔力量でもきちんと感知してくれるので、魔術師だけの特典というわけでもない。


 兵士は次にシャルロットから旅券を受け取った。

 青い盾を掲げる二人の天使の紋章は、アルマニャック王国の紋章だ。

 シャルロットからその金属片を受け取った兵士は、 ちょっといぶかしげな表情を見せた。

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