Episode18 ~打ち解ける心情~

 そうして、カイ達が学園へ帰還すると。

 教室で倒れていた生徒達が目を覚まし、休息をとっている最中だった。


 どうやら、被害に遭ったのは三年の生徒だけだったらしい。

 まだ体調が優れない生徒達を、学園直属の医務員が各々に治癒呪文ディアルを施している中──。

 

 当然の事ながら、カイ達は返ってきて早々に、スィートから事情調査を受ける羽目となった。

 最も、悪魔と名乗る不審者と対峙し、あまつさえ戦闘したなどと、言えるはずがないのだが。

 

 ──何者かのテロ行為によって、他生徒が気絶さえられ、偶然それを逃れたカイ達が誘拐された後、隙を見て逃げ出してきた。

 だが犯人は顔を隠し、魔術によって声色も変えていた為、素性は分からずじまいだった──。


 という、カイがその場ででっち上げた弁解によって、スィートは得心したらしい。

 特にそれ以上に詮索される事もなく、カイ達は解放されたのだった。

 

 かくして。

 グラーテ魔術学園の未曾有みぞうの大事件は、穏便に終息へと向かったのだが。

 何と、今回の騒動は一切世間に好評しないと、学園側は告げた。

 しかも全生徒に件の事件は、内密にしておいてくれ、と釘を刺す徹底さである。

 

 かの有名なグラーテ魔術学園が、何者かの侵入を許し、更に生徒が誘拐されてしまうという失態がおおやけになれば、学園の評価は地に落ちるだろう。


 学園の上層部はそのことを懸念し、事件を真相を学園内でもみ消す手段を選んだのだ。

 

 ……そんな、多少腑に落ちない点もあったが、何はともあれ一件落着した。

 だが、悪魔と名乗る謎の不審者への驚異が、消えたわけではない。

 白昼堂々はくちゅうどうどうテロ行為を仕掛けてくるような奴なのだ。

 

 いつ如何なる時だって、再びノアのペンダントを狙って来てもおかしくはない。

 しかし、今回の失態で悪魔側も及び腰にならざるを得ないだろう。

 今回の件を経て、学園の警備も更に強固になる。

 そんな中、何の策もなしに仕掛けてくるほど、奴らも馬鹿ではあるまい。

 

 そうして……。

 カイ達の戦いは、つかの間の安寧あんねいを迎えたのだった。

 

 

 

 夕焼けが大空にベールを覆い、グラーテの街に影を落とす。

 昼間の活況とした雰囲気から一変、穏やかな雰囲気が街を変遷へんせんしていく中。

 

 グラーテの某所にある人知れずの喫茶店──その一角に位置する座席にて。


 カイは頬杖を付き、誰かを待つように窓から大空を見上げていた。

 ふと店内を見渡す。

 古い木造建築の店内には、昼下がりという事もあってか、カイ以外の客は片手で数えられる程度しか居ない。

 

 遠巻きのカウンターに佇む店主も、渋い面持ちでグラスを吹いているばかりだった。

 何故、カイがこんな隠れた名店と思しき喫茶店に居座っているのかというと──。


 からん、からん。

 高らかなベル音が響く。やっとか、とカイは嘆息を吐きつつ、出入り口を尻目にする。

 

 肩で風を切るように店内へ入ってきたのは、カイと同年齢くらいのうら若き少女だ。

 すらりと腰まで伸びる紅の艶髪をふわさ、と掻き上げる風貌は、薔薇ばらの様な鋭利さを帯びていると共に、類を見ない秀麗さを秘めている。

 

 そして周りに愛想を振りまく微笑みに、珠玉の紫瞳。

 身を包む清楚ながらもうるわしき制服姿は、まるで絵に描かれた美少女の具現化──そう称するに等しかった。


 一瞬にして店内の視線は、その少女へ釘付けになっているのは言うまでもない。

 その視線に脇目も振らず、少女はずかずかと店内の一角へ進み行き、カイの眼前の席へ腰掛けた。

 

「待たせたわね」

 

 何の悪びれもなさそうに、口先だけの謝罪をする彼女は言うまでもなく、アンリだ。

 何で入店するだけでこんなに目立つんだ、と呆れ気味の視線をカイが向けると、アンリはそれを華麗かれいに無視して、訊いてきた。

 

「それで、今日は何でも奢ってくれるんでしょ?」

 

「ああ。アンリには世話になったし、それぐらいのお礼はしとかないとな」

 

「そう。それじゃあ早速」

 

 さっ、と。右手を持ち上げて、店主を呼ぶ。

 メニュー表を広げて、アンリは何かを指さして注文すると、店主が渋い声色で「かしこまりました」と一言残して、カウンターへと戻っていく。

 

 ……程なくして。

 カイのテーブルには、顔を覆い隠さんとする程、巨大なパフェが佇んでいた。

 重量感のある生クリームの山に、ふんだんに添えられた果物。その合間を埋めるように彩られた菓子。


 高級感ただよう硝子器がらすうつわの内部には、スポンジやらクリームやらの層が積み重なっている。

 デザートにしては二人分はありそうな、想像を絶する何かがそこにあった。


 マジか……。

 余りに規格外の注文に、カイは唖然あぜんと顔を引きつらせるしかない。

 その反面、アンリは瞳を純粋無垢じゅんすいむくに輝かせながら、パフェを見上げ──嬉々としてそれを頬張った。

 

「~~~~~~ッ⁉」

 

 普段、天地がひっくり返ろうが聞けないであろう、甘い声が聞こえてくる。生クリーム越しでも、とろけきった表情が目に浮かぶようだ。

 

「美味しい……っ! 実は、ここのパフェ美味しいって噂になってたから、一度食べて見たかったのよね~」

 

 そんな事を呟きながらも、彼女の手は止まる事を知らない。

 恍惚こうこつとした表情を浮かべて、次々とパフェを頬張っていくのを生クリーム越しで眺める。

 といっても、カイには嬉しそうに揺らぐ紅髪の頭部分しか見えないのだが。

 

「……はぁ」

 

 腕がかすみ動く勢いでパフェを平らげていく、アンリを半目で見つめて。仕方がないので、カイは食事が終わるまで、頬杖を付いて待つのだった。

 

 …………。

 ……。

 

「そろそろ、本題に入っていいか?」

 

「ええ、大丈夫」

 

 どうやら、カイの只ならぬ雰囲気に何となく察していたらしい。

 先程までの蕩けきった風貌は何処へやら、優雅に手布で口元を拭い、怜悧れいりな表情を浮かべ、凛として応じるアンリ。

 

「何か話したい事があるんでしょう? これだけが今日の目的じゃないくらい分かってたわよ」

 

 ──本当かよ。心の内で呟き、カイはいぶかしむ様に肩をすくめる。

 

「ほっ、本当だから! 嘘なんかじゃないからっ! ……その目を止めなさいよッ!」

 

「はいはい、分かったって」

 

 がたん! 顔を真っ赤にして椅子を蹴り立つアンリを、なだめながら席に座らせる。

 「ぐぬぬ……ッ!」と、腑に落ちないといった様子で睨んでくる彼女を無視して──カイはふと物思う。

 

 そう。今日の目的はパフェを奢ることではない。

 それも此処に訪れた用事の一つではあるが、本題は別にある。

 それはかのノア誘拐事件の時、説明すると言ったきり、カイが音沙汰おとさたなくしてきたこと。

 即ち……生成術の件である。

 

 数年間、ノアにさえずっと秘匿ひとくし続けてきた心の内を告白するというのは、そう簡単な話ではなかった。

 事実──ここ最近は、重くのしかかる罪悪感と消極的な懸念がカイをいましめ、まともに寝付けない日々が続いていたのだ。

 

 いざ、打ち明ける決心が付いたのが昨日の夜明け……事件から約一週間も過ぎた事だ。


 そんなカイの心情を知ってか知らずか、アンリはその間、何も詮索せず、話題にも上げず、カイから話してくれるのを待っていてくれた。

 

 最も、一度生成術を見られて、大した変化を表していない時点で、もう答えは決まっているようなものだが──。


 己の口から話すことに意味がある。

 それがせめてもの誠意であり、こんな騒動に関係ないアンリを巻き込んでしまった罪滅ぼしであると、カイは信じていた。

 

「……約束通り、全てを告げよう。

 今まで誰にも言ってこなかった俺の秘密を。俺が犯した罪を……」


 それは──カイが何年も苦悩してきた非情な運命だった。

 

 外部保有者アウターに生まれてきてしまったが故に、バレれば学園追放という記念を賭して、今まで過ごしてきたこと。

 それにノアを巻き込むわけにもいかず、今まで生成術はもちろん、外部保有のことも必死に隠蔽いんぺいしてきたこと。

 

 過去に一度、ノアに明かそうとしたものの、不運の連続と自らの臆病さから、今まで明かさずじまいであること。

 そんな秘めたる本心を、カイは赤裸々に、少しづつ吐露とろしていく。

 

「……正直に言えば、怖い。

 この事を明かせば、ノアの中にある俺が崩れてしまうんじゃないか。俺の本性を知って幻滅されるかも知れない……。

 そう思うだけで、どうしようもない恐怖に襲われるんだ」

 

「──っ⁉」

 

 思わず、アンリは悲痛に息を詰まらせた。

 テーブルに組まれたカイの両手が、小刻みに震えていたのだ。

 その顔が語る前より色を失いつつあるのは、見間違いではないだろう。

 

 ──不意に、アンリの脳裏によぎる忌々しい事件の記憶。

 あの時のカイは、とても敵わない強大な敵にも、恐れずに立ち向かった。挙句の果てには、自らの命を賭して同時打ちに持ち込もうとまでしたのだ。

 その姿は正しく、雄々しく勇ましい剣士だった。

 

 それを見て、アンリは少なからず恰好良いと思ってしまったのも事実である。

 だが、そんなカイが。

 特濃の恐怖を具現化した様な悪魔にさえ、決して屈しなかった彼が。

 目先の困難に悩み、苦しみ、竦み上がっている……。

 

 ──何とかしてあげたい。

 まるで水面に浮き出た泡の様に、突然生まれた謎の感情と共に。

 ずきり──。

 突き刺すような胸の苦しみが、アンリを襲うのだった。



「…………」

 

 カイが饒舌じょうぜつに語り続ける一方、アンリはひたすらに沈黙を突き通していた。

 まるで何かに熟考するかの様に──無言、無言、無言。

 

 それに対し、カイの一度露呈ろていしてしまった感情は、一向に止まるのを知らなかった。

 

「俺は無力で臆病者だ……!

 昔からそうだった! 粋がっておきながら、俺自身にはそれに見合った、何を成せる力なんてないじゃないかッ!」

 

 むしろ、言葉を紡ぐたびに、悲痛たる感情はひたすらに熱を増すばかりで。

 

「俺が、俺がもっと強ければ……が追放される事もなかったんだ……ノアにあんな悲しい顔をさせずに済んだんだッ!」

 

 カイが拳を、思い切りテーブルに叩きつける。

 最早、口から出るのはもう、説明でも弁明でもなく。

 ただ数年間ずっと溜め込んできた、数々の愚痴を暴露しているようにしか見えなかった。

 

 それでも、止まらない。

 カイの理性はとうに崩壊していた。

 こみ上げてくる自らに対する憤激を、更に感情のままに吐き出す。

 

「──そしてあまつさえ俺はッ! ノアと交わした約束さえも破ろうとしている……ッ‼

 想像だとしても、俺は心の中でノアを見捨てたんだッ!

 許されない事した……きっと、ノアはこんな俺を認めてはくれない……ッ!」

 

 更に、更に。

 カイが己の拳を忌々しそうに握りしめて──。

 

「思えば必死に特訓した魔術や生成術だって、全て無駄だったんだッ!

 幾ら努力しても、精神すり減らしたって、天秤が釣り合ったことなんてただの一度もなかった──ッ!

 全部、全部、全部、外部保有なんかに生まれたから──ッ‼」

 

 ──こんな拳、砕けてしまえ。

 熱くたぎる感情に突き動かされるがまま、カイが拳をテーブルに叩きつけようとした。

 瞬間。ぎゅっ、と。

 何者かが、その拳を静止させていた。

 

 他でもない、アンリだ。

 いつの間に傍らに近づいているのか……彼女がカイの身体を、優しく抱き寄せていたのだ。

 

 わけも分からず硬直するしかないカイの後頭部に、雪もあざむく白い腕が組まれる。

 そして、普段のアンリとは想像できないくらい、慈悲に満ちた優しく囁いた。

 

「全く、人騒がせなんだから……むしろ、よく今までこんな事を表に出さないで過ごしていられたものよ……」

 

 ──外部保有。

 魔術士とって、何もかもが不条理きわまりない特性。


 世界の理から見放され、魔術の法則から突き放され──それでも血眼になって這い上がろうとも、『三流』にも成り上がれない。

 

 決して努力が報われることがない世界。

 その悔しさを、苦しさを。


 そしてカイが今まで積み上げてきた末の実力が、果たしてどれほどの努力と信念の賜物たまものであったのか──。

 

 アンリには到底計り知れないし、分かろうとするのもおこがましいと思う。

 でも──それでも。

 

「……今まで辛かったんでしょう? 良いわよ。今だけは、誰にも吐き出せなかった分、全部あたしに委ねて……」

 

 ──手を差し伸べることならできる。

 ──大切な友達を、慰めることくらいならできる。

 

「……ッ、くっ……うっ、うぅ…………!」


 嗚咽が漏れる。顔を俯かせ、右手でアンリの服を強く握りしめる。

 温かい胸中で、カイは様々な感情が入り混じった涙を、ただひたすらに流すのだった……。

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