第16話 失意の私に……

 法律なんてものは、しょせんは専門家同士の都合のいいやり取りに過ぎない。

 市民相談を終えたあとの私の気持ちは、法律と法律に携わる者達への怒りでいっぱいであった。


 ただ、半ば分かっていたことでもあった。

 小百合には期待しすぎないように釘を刺されていたし、田所達の態度を見ても法的に何の問題もないように感じられたから。


 だけど、法律がどうであっても、私は納得がいかなかった。

 立体駐車場の影にされて暮らすことには……。


 そう言えば、田所は立体駐車場の管理はオーナーがやることになると言っていた。

 つまり、私はずっとコスモスイクスピアリと言う会社に見下ろされて暮らすことになる。

 立体駐車場が一台いくらの契約になるのか知らないし、コスモスイクスピアリがどう言う会社かも知らないが、随分とせこい商売の仕方をするではないか。


 マンションを何十戸も販売するのだから、きっと儲けはとんでもない金額になるのだろう。

 それこそ、億単位で利益が出るはずだ。

 それなのに、駐車場が減るのが嫌だなんて、私のような一般人には良く分からない感覚だ。

 隣人をいじめて何が楽しいのか、理解に苦しむ。





 市民相談を終えて、私はすぐに仕事へ行った。

 予め、半休にしてあったからだ。


 この選択は、間違ってはいなかった。

 あのとんでもない市民相談の弁護士を、仕事に紛れて忘れることが出来たから。


 もし全休にしてウチに帰ったら、私は怒りで発狂していただろう。

 普段は面倒で仕方がない伝票整理も、今日の私にとっては有り難い作業であった。





 定時で仕事を終えると、私は小百合に連絡を入れた。

 仕事場の側の、安い喫茶店に入って……。


 散々な結果であることを報告すると、

「ぷっ……」

と、電話口で笑われてしまった。


「あのね、晴美さん……。その程度のことでめげててはダメよ。相談なんだから、自分の思ったような答えが出てこなくても当たり前じゃない」

「そうは言いますけど、あまりにも酷いので……」

「専門家なんて言っても、四角い物が丸くなるわけではないのよ。だから、本当にその立体駐車場が致し方ないものなら、どうにもならないわ」

「……、……」

「だけど、これで分かったでしょう? 法律を真っ正面から看ても解決には繋がらないって」

「……、……」

「だから言ったのよ、期待し過ぎちゃダメって」

「……、……」

確かにそう言われたけど……。

 それに、小百合の言うことはごもっともだ。


 だが、ではこれから私はどうしたら良いのだろう?

 法律でダメだと言われたらどうにもならないではないか。


「木原さんとは連絡が取れた?」

「いえ……、まだです。何度か伺ってはみているのですが……」

「そう……」

「ですが、県会議員でもどうにもならないのではないのですか? 法律がダメと言っているのでは……」

「あのね……。法律って誰が作ったり変えたりしていると思う? 政治家よ。だったら、現行を変えられるのは政治家だけじゃない」

「そ、それくらいは私も分かっていますけど……。でも、そんなにすぐに法律って変えられないでしょう?」

「それはそうよ。だけど、業者にマンションを建てる許可を与えているのは役所よ。その役所にチェックを入れられるのも政治家だけなのよ」

「……、……」

「まあ、政治家が万能とは言わないわよ。でも、一応話してみる必要はある。今日、晴美さんは一人の専門家の知識では解決しないと言う事実を知ったのだから、同じことを幾つもの観点で看ることの重要性に気がつくべきだわ」

「政治家は弁護士とは違う、別の観点の専門家だと言うことですか?」

「そう言うことね。だから、しょげていてはダメよ。もっと打たれ強くならなきゃ」

「……、……」

小百合は確かに打たれ強そうだ。

 それだけでなく、予めダメージを予想してあるので、精神的な負担も少ないのだろう。


 残念ながら、私はそんなにタフには出来てはいない。

 このまま家に帰ったら、悔し紛れにお酒でも飲みそうな勢いだし……。


「ほら、晴美さん……。のんびり電話していて良いの? 早く裕太を迎えに行かないと、また保育所から文句を言われるわよ」

「あ、そうだった……」

「仕事も、子供も、トラブルも、恋愛も……。どれも複眼的に看られなかったらシングルマザーなんてやってられないわよ」

「……、……」

「しっかりなさい。じゃあ、切るわよ」

「あ、小百合さんっ!」

電話はぷつりと切れた。


 今日は、小百合からお小言を沢山頂戴した。

 だが、私は何故か、少し気持ちがすっきりしていた。

 酷い法律相談のことも、今はあまり気にはならなくなっていることに、ふと気がつく。


 小百合の言葉には、私を思い遣る気持ちが込められているからなのだろう。

 だから、私の心に響くのだ。

 もちろん経験豊かなことも、的確な判断を有していることもあるのだろうが。


 今日話した専門家の言葉には、それがない。

 彼等は単に法律に照らし合わせて話をしているだけだ。


 小百合は、木原に相談しろと何度も言っている。

 だけど、木原だって専門家だ。

 それとも、木原には私を思い遣る気持ちがあるとでも言うのだろうか?





 裕太ママ晴美の一言メモ

「打たれ強くなり、複眼的に看る。そう言われてはみたものの、私にそれを求められても……」

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