第20話「お寿司の歴史と時代考証」

 育ち盛りの初と江は、格安寿司を次々にお腹に放り込んでいる。一ヶ月に一回の贅沢を満喫しているようだった。

 茶々はというと、大学生の女子ともなれば、寿司の魅力に取り憑かれてお腹いっぱい食べるわけにはいかず、自重しているようである。

 自分もあまり食べなかった。昔は寿司にいくと、好きなネタをたくさん食べたのだが、姪っ子たちが美味しそうに食べていればそれで満足してしまう。これが親の気持ちなんだろうか。


「お寿司は日本の宝だよね! でも、もったいないなー。他に日本食なんかなければ毎日お寿司なのに!」


 初が無茶苦茶なことを言う。


「お寿司はいつからあるんだ? 戦国時代から?」


 秀吉や家康は腹一杯、寿司を食べられたのだろうか。


「あるわけないし」

「え、ないの……?」

「あるにはあるけど、今食べてるみたいなのは、江戸時代から」


 江にばっさり斬られてしまう。


「戦国時代のドラマで、“にぎり寿司”が出てきたら、時代考証的に間違いですね……。お寿司は、腐りやすい魚をどうやって保存するかから始まっているそうです。魚を塩とご飯と一緒に漬け込んで発酵させます。いわゆる、“れ寿司”ですね。発酵食品なので、とっても酸っぱいようです」

「あ、それ、戦国時代でも有名な事件あるよねー。明智光秀のフナ寿司! 光秀が家康を接待するとき、フナ寿司を出すんだけど、信長が『腐ってるではないか!』と怒って、接待役をクビするんだ。酸っぱいし、匂いもきついし、腐ってると思っても仕方ないのかもー。光秀は無知な信長から辱めを受けたことで、本能寺の変を起こしたとも言われてるねー」

「大事件過ぎるだろ、それ……」


 料理がマズくて怒られたから反乱とか、怖い事件である。全国の上司諸君は、無知で部下を叱ってはいけない。


「江戸時代になると、発酵させなくてもよくなるの。お酢が大量生産されて、発酵に何ヶ月もかけずとも、日持ちした寿司を作れるようになった。これが“早寿司”。すぐに作れるから、せっかちで有名な江戸っ子の間で大ヒットするわけ。今の“押し寿司”とほとんど同じだわ」

「そんでさらに早くしたのが“握り寿司”! 江戸末期の華屋与兵衛はなやよへいが発明するの!」

「華屋与兵衛? あのチェーン店の?」


 関東には「華屋与兵衛」という名の和風ファミリーレストランがあるのだ。


「あれは名前を借りただけで、つながりはないようです。ツタヤが、江戸時代に出版業をやっていた蔦屋重三郎つたやじゅうざぶろう(※1)を取ったのと同じです」


 茶々が補則しながら解説してくれる。“すし”をめでたい“寿司すし”という漢字に直したのも、この華屋与兵衛ではないかと言われているようだ。

 それにしても、本の販売やDVDレンタルをしているツタヤが人名から来ているとは知らなかった。

 ちなみに「三越みつこし」は、江戸時代の豪商・三井高利みついたかとしの呉服屋「越後屋えちごや」をそのまま引き継いだ本物である。


「ちなみに“江戸前寿司”とは、押し寿司が中心の関西に対して、江戸は握り寿司であることを言うのよ。今はどこでも握り寿司だから、江戸前は東京湾でとれた魚を指すようになってるけど。うっ……」


 急に涙目になる江。

 間違ってワサビ入りの寿司を食べてしまったようだ。お茶を一気に飲み干す。


「ここで問題でーす! 戦国時代で一番人気のあった魚はなんでしょうかっ!」


 突然始まる初のクイズコーナー。


「んー……マグロ? いや、当時の船じゃ取りに行けないか」

「ぶーっ! はずれ! マグロは当時も取れてたようだよ。クジラも普通に取ってたし。でも、腐りやすいから誰も食べない、はずれの魚だったみたい。江戸時代になって、醤油につけた漬けマグロができて、ようやく食べるようになった」

「へー。クジラを取るとかすごいな。想像できない」

長宗我部元親ちょうそかべもとちかが信長にクジラを贈ったのが記録に残ってるよー。んで、正解はカツオ! カツオ節は“勝つ男の武士”とも書けることから縁起物だったんだ。信長も生のカツオを取り寄せて振る舞ったみたい。江戸時代には今にも続く、初ガツオの風習できたんだ」


 そう言って、初はマグロの寿司を食べる。回転寿司に来たらマグロをたくさん食べなきゃ損、と思うタイプらしい。


「歴史についていろいろ知らないと、ドラマとか作るのは大変そうだな……。時代考証って言うんだっけ?」

「戦国時代は、今から400年以上前ですからね。今あるものが、当時もあるとは限りません。食べ物が戦国時代にいろいろ入ってきたという話をしましたが、江戸時代から始まったものがとても多いんです。たとえば桜。ソメイヨシノは幕末に生まれました。江戸の染井村で生まれた突然変異で、桜の名所である奈良の吉野山をイメージして、命名されました。葉より先に花が咲くのが特徴で、明治以降、またたく間に広まり、今ではソメイヨシノ=桜になっています」

「そうなんだ。確かに葉っぱより先に花が咲く植物ってないよな」


 葉と花が一緒についている桜は、あまり美しくないように感じる。花だけが咲くソメイヨシノは特別綺麗なのだろう。


尾崎行雄おざきゆきお(※2)がワシントンD.C.に桜を送ったけど、あれもソメイヨシノだったよねー」

「アメリカに桜か。それいつの時代?」

「大正時代。ポトマックリバーに咲く桜はよくニュースに出るよー」


 言われてみれば、桜とともにアメリカ人が大勢映っているのを見たことがあるかもしれない。


「時代劇では考慮することもあるみたいですが、馬と同じで当時のものをそろえるのは難しいから、やらないようです。明治以降に入ってきた植物、ヒメジョオン、ハルジオンは頑張って引っこ抜くみたいですけど。あとはジェスチャーも気をつけないとダメですね。バイバイって手を振るのは西洋から入ってきたみたいです。よく、日本のシッシッシって追い払う仕草が、外国人には“おいで”に見えるって言いますね。外国に“おいで”は手を上に向け、内側に振ります」


 時代劇の撮影とは大変そうである。

 今の時代、デジタル処理で電線を消したりするのだろうか。


「逆に戦国時代だからあったものもあるし。たとえば、ナンバ歩き。明治以前、日本人はみんな、右足と右手を同時に、左足と左足を同時に前に出して歩いていたの」

「え、ウソだろ……? そんなの歩けるわけ……」

「ホントだし。あと、お歯黒も偉い人ね。戦国時代は、貴族だけでなく、ある程度身分のある人はしてたみたい。江戸時代になると、結婚した女性だけになるけど」

「お歯黒はぐろかぁ……。今の感覚だとあれが化粧には見えないんだよな……」

「うん。幕末にやってきた外国人からはかなり不評だったみたい。結婚した女性をわざと不気味にして、他の男を遠ざけてるんじゃないかって。そういう理由で、時代考証といっても、ナンバ歩きとお歯黒は再現しないことになってるの。言葉遣いも当時のでしゃべっても聞いてる人が分からないから、やらないし」

「だよなあ……」


 どこまで当時の文化に近づけるか、時代考証という作業はとても大変そうである。きっと視聴者から「あれはあの時代にはまだない」とかお叱りを受けるのだろう。




※1 蔦屋重三郎、通称「蔦重」。東洲斎写楽とうしゅうさいしゃらく曲亭馬琴きょくていばきん十返舎一九じっぺんしゃいっくらのスポンサーとして有名。

※2 尾崎行雄は「議会政治の父」と呼ばれた高名な政治家。桜のお礼にハナミズキを受け取っている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る