4. 悲劇のヒーローは、もうやめよう

 

 橙色のキャンパスに、紫の絵の具が鮮やかに塗りたくられたような空の下、金城は一人の女性と対峙していた。

 桃色の髪に、あどけない清楚な顔。どこかで見たような気はしたが、生憎金城はこんな色気の漂う女性には会ったことがない。気のせいだろう、と思いながら金城は口を開いた。


「なんすか、」


 その問いに女性は莞爾として笑う。その微笑みは非常に艶やかなものではあったが、不安に苛まれている金城の心には響かなかった。


「きみさぁ、草地くんのこと、どう思ってる?」

「……」


 ――またか。

 金城はうんざりしたような表情を見せた。どいつもこいつも口を開けば草地草地。その話題に金城は煩わしさを感じていた。誰も本当のことを知らないのに、勝手なことばかりを言って。マスコミだって、そうだ。根掘り葉掘り、草地の周辺を嗅ぎまわっては勝手な憶測を作って——本当にこの世は身勝手な奴ばかりだ。

 そんな苛立ちを腹の奥に押し込めて言葉を返す金城。その様を見て《篠田メイ》と名乗った女性は目を細めた。まるで値踏みをされているようで、金城は居心地の悪さを感じた。


「……どうって?」

「うーん、全体的に?」

「……」

「あら、ノーコメント?」


 ただ只管に女性を睨みつける金城。それはなんとも金城らしくない顔だった。

 沈黙が続き、首を傾げる女性。しかし次の瞬間には、にんまりと笑って、じゃあこれはどうだ、とばかりに口を開いた。


犯罪者リベルの事はどう思う?」

「……なんなんですか、一体」


 どこまでも不躾なその態度に金城は眉を顰めた。だが、女性はそんな奴の険しい表情など意に介した様子も見せず、溌剌とした声で続けた。パン、と大袈裟に手を叩いて興奮したかのように口を捲し立てる。


「いや、凄いよねー! あんな凶悪な事件おこしといて、警察から逃げのびたんだから! なんていうの? 天才?」

「……馬鹿じゃねーの」


 ぼそり。小さな声で反応を示した少年に女性は小首を傾けた。


「ん?」

「さっきから、何なんだアンタ? 凄くねーよ。逃げ延びた? 勝った? ……馬鹿じゃね? あんなの唯の凶悪犯だろ? 人様に迷惑かけて、それで……」


 ――草地の立場を追い込んだ。

 

 憎々しげに眉を寄せた。

 金城とて、分かっている。その事件があったからこそ草地を助けられた。その事実に対して金城も初めは喜びと安堵を感じていた。

 だが、それも後に耳にしてしまった草地に対する評価で消し去られた。周りの勝手な憶測、そして結果的に伊奈瀬を巻き込んでしまった(宝石店での)己の余計な行動に、金城は憤懣の念を覚えたのだ。


(最低だ。俺も、皆もっ……)


 今日起きた一連の出来事が金城の脳裏を掠める。教師の宣告、女生徒たちの言葉、そしてその他の暴言の数々。金城は己を全否定されたような気がした。

 

 恐らく金城は苛立っていたのかもしれない。周囲の見解や態度、その身勝手さ、そして自分の浅はかさに。そう、金城は己に嫌悪感を抱いたのだ。そして同時に突然変わってしまった周囲の奇異の目に、自分を認めてくれないその発言の数々に、金城は不満と憎悪を抱いた。何故、誰も自分を“見てくれない”、“信じてくれない”のかと。


 確かに金城は人知れず犯罪を起こした。それは決して許されることではないし、金城自身、罪悪感を感じている。だが、何も知らない周りにその目を向けられることがどうしても許せなかったのだ。教師に至っては、成績のことを除けば自分は何一つ、問題を起こしたこともないのに、何故か疎ましそうにこちらを見た。


 金城は苛立った、己を馬鹿にした同級生に、己を邪魔者のように扱った教師に、そして身勝手にもそれに対して怒りを感じた自分自身に――。


 全てが煩わしかったのだ。自分も、周りも、そしてこの目の前の女性も。


(なんなんだよ、この人……)


 突然現れて、遠慮なくズカズカと踏む込むように金城に話しかける女性。草地のことにしても、反逆者リベルのことにしても、自分の悩みにいきなり前触れもなく不作法に触れられて、金城は不快感を感じた。

 そんな奴を女性は不思議そうに見た。


「あら、もしかして反逆者リベルのこと嫌い」「うちの生徒になにか御用ですか?」


 女性が更なる追撃をかけようとした瞬間。その言葉に覆い被さるように、背後から別の声が響いた。

 突如現れた介入者に二人は振り返る。


「……なえ、セン?」


 其処にはあのビン底眼鏡姿の土宮香苗が立っていた。


「うわっ、ダッサ……」


 飾りけも無いその姿に目の前の女性が無意識に言葉を漏らす。

 だが、土宮香苗はその中傷的な呟きが聞こえなかったのか、顔色も変えず冷然と話す。


「失礼ですが、どちらさまですか? うちの生徒への取材は禁止されているはずですが?」

「えっと、」

(そういえば……この人、誰だ?)


 今更その疑問に行き着いた金城。どうやら苛立ちの方が大きすぎて、彼女に対する興味を完全に失くしていたらしい。

 やはり、マスコミなのだろうか? だが、それにしてはメモやレコードを取っている様子もなかった。奇怪に思った金城は訝しむように表情を崩した。

 そんな金城を庇うように土宮香苗は悠然と女性の前に立つ。その顔は能面のように無表情で、金城には些か恐ろしく思えたのだが、女性は反して口角を上げた。挑発するような笑みはどこか冷たく、冷淡に見える。


「すみません。どうしてもお話を聞かせていただきたかったもので……私、こういうものです」


 スッと、差し出された名刺。土宮香苗は変わらず感情のない顔でそれを眺め、僅かに顎を引いたまま、次に視線だけを彼女に向けた。厚い眼鏡のレンズ越しに見える土宮香苗の瞳は、相手をじっと観察している。無機質な視線を向けられた女性は只々、ふくみ笑いを深めるだけだった。

 どうやら本当にマスコミらしい。名刺にはテレビ局のロゴと名前が印刷されている。


「取材はちゃんと校を通してアポイントメントを取ってください。生徒にも迷惑です」

「……わかりました。すみません、次からは気をつけます」


 呆気にとられたように二人のやり取りを傍観する金城。どうやら突如現れた土宮香苗に驚いているようだった。だが、此処はまだ学校の前——校門だ。別に土宮香苗が居たとしても、それは不思議なことではない。


「行きますよ金城くん」

「えっ!? 」


 不意に名を呼ばれて素っ頓狂な声を上げてしまった。だが、土宮香苗はそれを気にした様子もなく、金城に目配せだけをすると、そのまま女性の横を通り過ぎて先へと行ってしまった。その黒い背中が遠くなってゆくのを見て、金城は我にもなく走り出した。


「あの、失礼します……! それとすみませんでした。あんなこと言って」


 熱が収まって、大分まわるようになった思考で先ほどの発言が不作法なものだったことに気づいた金城は、女性を追い越す際、頭を下げた。それを見た女性は僅かに目を剥くと、あの貼り付けたような笑みを浮かべて手を軽く振った。


「こちらこそ。ごめんね、突然」

「いえ、えと、それじゃあ」

「うん、バイバイ」


 逃げるように土宮香苗の元へと駆ける金城。相当、先程の会話を気まずく感じていたのだろう。

 その忙しない後ろ姿を見て、女性は苦笑した。


「あーあ、怪しまれちった」


 誰にも届くことなく、空気に溶けて消えた声色はどこか軽やかで、落ち込んでいるようには見えない。

 むしろ、わかっていてあんな図々しい質問をしたのではないかと思えるほどである。ペロリ。唇を舐めるその仕草は生やかではあるが、どこか子供っぽくも見えた。

 ――ピリリリ。


「おっと、」


 途端に鳴り響いた着信音。なにかを思いだしたように、女性はタイトスカートのポケットへと手を伸ばした。スルリと、サイドポケットから出てきたのは一昔前の形をした携帯端末。タッチスクリーン式のモニターに表示された緑のテレホンマークに触れて通信を開く。

 慣れたように端末を耳元へと近づける彼女は、なにやら楽しげに見えた。


「はいはーい。こちらメイでっす!」

『……調査は終わりましたか?』


 スピーカー越しに聞こえたバリトンボイスはどこか硬い。なんとなくではあるが、男の神経質な性格が垣間見えた。


「終わりましたよー。簡単にだけど、とりあえず目処がつきそうな人は全員

『ご苦労様です。それで?』

「びみょー」

『……微妙、ですか?』

「うん」


 腰に手をついて体重を右足にかける女性――《篠田》。快活な声と反して、その顔はどこか疲れているようにも見えた。


「みーんな似たようなんばっかり」

『と、言うと?』

「なんか、鬱陶しそうにしてた人もいるし。あとは……うーん。嬉々とした感じで、なんていうか……あの《美少年》のことを知っている優越感でもあるのかな? もうペラペラと聞いてもないことを勝手に話してくる人もいてー。うざかったです」

『……まさかとは思いますが。何もしてませんよね?』

「してませんよー。ちょいちょーっと心を折っただけ」


 クルクルと胸元まで流れる髪を指に巻き付ける彼女。悪びれもなく紡がれるその言葉に、男は嘆息を漏らした。


『……あなたは、』

「まあまあ。いいじゃないですかー。こっちは忙しいってのに色んな人の戯言聞いてさぁ、かと思えばマスコミのふりしてるから煙たがれるし、さっきだって少年に怒られちったよ」


 先ほどの少年の疎ましそうな顔を思い出して、篠田は残念そうに溜息を吐いた。対する男の声はどこか訝しげだ。


『……あなたの聞き方が悪かったのではないですか?』

「えー? 違うよー。あの子の感情見たけどさぁ、なーんかイラついてて。

 《美少年》とか、あの犯人さんの話題だしたら、もうスッゴかったんだよ? ありゃ、間違いなく周りに根掘り葉掘り聞かれて、うんざりしてたんだろうねー」


 見えた《炎の色》は三つ。一つは怒りの赤、一つは疎ましさの紫と緑、そして嫌悪の黒と紺だった。


『そうですか……では、誰一人、変わった反応を出した者はいなかったんですね?』

「うん。あの《美少年》と仲がいいって言われてた少年もそんな感じじゃなかったし」

『ああ、同級生の……その少年も本当に何もなかったんですね?』


 確認をする男。篠田はその白い人差し指を顎に当てながら「うーん」と唸った。


「うん。見えた《感情の色》も周りと大差なかったし。焦りとか動揺とか、まったく無かった。なんか、犯人さんのこと嫌ってるっぽかったしね……。

 それに何も感じなかったんだよねー。なんて言うのかな……なんか、ほら。あの時みたいに興味が惹かれるっていうか……感情が見えないっていうか……

 ぞくっとする感じ!」


 抽象的な表現をする彼女に男が再度、溜息を漏らすのが聞こえた。


『……わかりました。ご苦労様です。今日はもう帰ってよろしい。報告書などは明日、提出してください』

「アイアイサー!」


 終業の言葉をもらえたのが嬉しかったのか、篠田は見えもしない男に向かって快活に敬礼をした。声は弾んでおり、女がどれだけはしゃいでいるのか、男には想像ができた。


『それではまた明日』

「はいはーい! じゃあね釘崎さん! まった、明日!」


 プツリ。別れの挨拶を済ませた瞬間に通話を切る彼女。鼻歌交じりに端末を弄って、モニターの「REMOVE MIMESIS」と描かれた文字に触れた。すると彼女の身体――服から肌にかけて鱗状の亀裂が走る。ペラペラと一枚一枚剥がれてゆく鱗が、粒子と化して霧散していった。次々へと消えていく鱗。その下から、《少女》が徐々に姿を現す。


「んー。でも、本当に——」


 凝った肩をほぐすように腕を伸ばせば、心地よい風が吹いた。

 桃色の髪が靡き、沈みかける太陽の光を反射する。さらりと、前髪の下から薄茶の瞳が覗いた。光の角度で橙色へと変化するそれはゆっくりと、同じ色をした空へと向けられる。ゆるり。淡紅の唇が三日月を描いた。


「どこに居るんだろうね……犯人さん」


 思い浮かべるのは、画像でしか見たことない《男》の姿。

 まだ見ぬ男に、篠田は思いを馳せた――。




◆  ◆


「あ、あの……」

「……」


 ——日が暮れる中、金城はなぜか一人、土宮香苗の後ろをついて歩いていた。賑やかな街中の歩道は夏休みということもあり、遊びに耽る子供も、寄り添う男女の姿も、さすがに疎らだ。

 その中で黒いスーツを着た女性の後を追う少年の姿はまるで、親鳥についてゆくヒヨコのようで、すれ違いざまに何人かの通行人が彼らを盗み見た。それが微妙に恥ずかしく、金城は首をすくめた。

 土宮香苗に声をかけようにも、口から出るのは意味をなさないものばかりで、先頭にいる彼女が気付く様子はない。金城は所在無げに目を泳がした。学校から駅までへの道は徒歩15分。この時間帯、駅に居る人は少なく、段々と人気がなくなっていくのが金城には分かった。


(このまま、なえセンと一緒かよ……)


 憂鬱だ。ただでさえ、(教師でなくとも)教育実習生ということもあって気不味いというのに、金城は以前自分が彼女に対して吐いた暴言を思い出して、更に顔を顰めた。


(……おれ、“クズ”とか言ったような)


 思わず溜息を漏らしそうになった時だった。歩道の横、ずらりと並ぶ商店の中に一店、自分の家と同じ本屋が目に入った。

 ショーウインドウには本が何冊も飾られており、参考書も紛れるように飾り棚に立てられていた。


(……これ、)


 紙媒体の書物。真っ白な表紙に緑色のタイトル。「行政学」と綴られたそれは機関士を目指す者たちのための参考書だろう。知らず、胸がジクリと鈍く痛んだ。

 金城の頭の中は色んな感情でグチャグチャに散らかっていた。それは周囲に対する反感の思いだったり、自分に対する不甲斐なさだったり、諦めの感情だったりと、様々だ。


(……俺には、無理か)


 数日前の教師の言葉が記憶の中で蘇る。どこまでも絶望的な己の高望みを顧みて、金城は静かに瞼を震わせた。


「……」


 ボー、とその参考書を見つめる。ショーウィンドウに映る顔は白く、生気をまるで感じられなかった。

 どれくらいそうしていただろうか。店の前に立って参考書を凝望すること数分、或いは数秒。表情の乏しい少年の背後でカツリと、靴音がした。


「ねえ、いつまで其処に居るつもり?」


 透き通るような声が人の少ない歩道で響きわたる。

 ゆらり。驚いた様子もなく、金城は振り向いた。


「……この前からずっと、そんな顔しているけど。あなた、真面目に勉強する気あるの?」

「……」


 口煩い土宮香苗。そのお決まりの台詞に金城は煩わしそうに顔を歪めた。


「……ありますよ」

「……そう、それで行政高校を受験するのかしら?」


 ピクリ。金城の指が僅かに反応を示した。またか、金城はそう思った。本当に今日は皆が皆、しつこいほどによくその話を話題にする。草地の件も然りだ。別にいいだろう、自分がどこを受験しようと、どうなろうと。どうでもいいくせに野次馬根性で口を出さないでほしい。


「……何? あんたも俺が受からないとでも思っているわけ?」


 鼻で笑う金城。自暴自棄になっているようにも見えるその様を土宮香苗は平然と眺めた。


「そうね、今の貴方では無理そうだわ」

「っ……」


 予想はできてもその言葉はやはり痛かったのか、金城は不覚にも顔を俯かせた。


「所詮あなたも草地くんと同類。この国では生きていけない弾け者。

 ……ねえ、あなた《ブラッド》でしょ?」

「……っ、」


 金城は歯を食いしばった。再度目の前に突きつけられた現実。草地への評価、自分に対するまさかのブラッド発言。淡々と並べられる言葉は刃のように鋭く、金城の胸に深く突き刺さった。


「最悪ね。あなたみたいな人種が傍にいるなんて……恐ろしいわ」

「……せぇ」


 思いがけず、囁くような声が金城の唇から零れ落ちた。だが、土宮香苗は気付いていないのか、言葉を重ね続ける。


「なんとなく、そんな気はしていたのよね。今迄なんどもあんな暴言を吐いて……」

「——っっうるせぇよ!」


 冷酷に、蔑むかのように吐かれた言葉に金城の堪忍袋の緒はとうとう切れた。今まで抑え込んでいた感情が爆発した。不満も、苛立ちも、どうしようもない感情を留めていたダムが決壊したのだ。怒号は次から次へと喉から飛び出し、周囲の視線を集めた。だが、金城がそれに気づく気配はない。


「てめぇに何が分かるんだよ! 俺の、俺らの何が分かる!? 

 何もしてねーのに! いつの間にか疑われて! 勝手に決めつけられて! 蔑みのような目を向けられる俺たちの何が分かるんだよ!?」


 それは金城が長らく抱え込んでいた心の叫びだった。何故、決めつける。何故、信じてくれない。何故、そんな目で自分を見る?

 険しい表情を見せる金城に、土宮香苗は能面を被ったような無表情で淡々と口を開いた。


「分かるわけないでしょ。そんな屑みたいな気持ち分かりたくもないわ」

「っ……」


 ギリ。かち合った上下の歯が擦れあう。怒りと屈辱で金城の顔はさらに歪んだ。だが次の瞬間、金城は目を見開く。


「何も見ようともしないで、現実から必死に目を背けて、都合の悪いことに対しては耳を塞いで、そんな《負け犬》の気持ちなんて分かりたくもないわ」


 次々へと紡がれる鋭利な言葉は、金城の頭に衝撃を与えるには十分な威力を伴っていた。

 唖然と口を開く金城、だが土宮香苗は構わず奴の心に追い打ちをかける。


「……っ、 」

「“わかる?” “何もしてない?” ええ、そうね。あなたは実際に何もしていない。

 そこで蹲って、ただ誰かが助けてくれるのを待つだけ」


 それは今の金城を差す、正に的確な言葉だった。そう、金城は――勉強に必死に取り組むことも、高校の受験対策について調べることも、奴は何一つしていなかったのだ。自ら動こうとせず、教師に追いすがり、餌を貰う鯉のようにただ口を開けて待っていた。

 それに今更になって気づいた金城は、頭を鈍器で殴られたような気がした。


「悲劇のヒーローでも演じているつもり? 残念、たとえそうだとしても貴方が綴っているその物語は、ド三流よ」


 《悲劇のヒーロー》。なるほど、確かに的を射た言葉だ。

 誰も己を認めてくれない、信じてくれない、それを悲観しつづけるばかりで、金城は周囲と話すこともしなかった。浸っていたのだ、その“悲劇”とやらに。草地に対する誤解――宝石店での余計な犯行に関してもそうだ。奴は己を責めるばかりで、何がいけなかったのか、同じことを繰り返さないためにどうすれば良いのか、省みることさえもしなかった。その様は正に《三流》だった。


「貴方は所詮凡人。才も財も何もない唯の子供」


 今度は鉄砲玉で胸を撃たれた気がした。既に自覚していたことをドンドン指摘されて金城は、苦痛の表情を隠すように再び俯く。


「顔を逸らすということは図星ね」

「……」

「悪いことは言わないわ。さっさと受験なんてあきらめなさい。貴方に行政高校へ行くことなんて出来やしないのだから」

「っ……」


 「悪いことは言わない」と、そう発言したものの既に言ってしまっている土宮香苗。彼女はまるで弾切れを知らない機関銃のように、重い言葉を連射しつづけた。


(……うるせぇよ)


 未だに顔を足元に向ける金城。気のせいか、頬は段々と赤くなっている。自尊心を傷つけられ、辱めを受けた金城は沸々と何かが腹の奥から湧きだすのが分かった。ショックから未だに立ち直っていないはずの脳に、最後の一弾が刳り貫かれる。


「ここは現実よ。貴方みたいな凡人が幾ら頑張っても、到底——届かない場所がある」


 ぷつり。自分の中で何かが切れた音がした。


「——せぇな」

「……何かしら? 聞こえないわ。喋るならハッキリと喋りなさい、クズ」

「っっうっせぇんだよ!!」


 二度目の怒号が街中に轟いた。街灯が歩道を照らす中、いつの間にか駅前には人が集まっており、皆が皆、突然聞こえた罵声に振り向いた。だが、またしても金城はそれに気づくことなく、ビシリと失礼にも土宮香苗へと指を差しながら吼えた。


「クズクズクズって……テメーにだけは言われたくねぇよ!」

「……」

「ああ、そうだよ! お前のいう通りだよ! 俺は所詮凡人だ! 才能も、知性も、運動神経も何もねぇよ! 

 けど、高校に行けるかどうかはやってみなきゃ分かんねーだろ!?」


 才能、知性、運動能力——それらが自分に無いことは金城自身、よく自覚していた。そして行政高校が自分にとっては雲の上のような場所であることも既に理解していた。だからこそ金城は落ち込んだ。担任にあのような言葉を向けられて絶望した。やはり無理なのかと諦めかけた。だが、結局は諦められなかった。

 あれだけ周りに無理だと言われても尚、金城は行政高校へと言う気持ちを完全には手放せなかった。引き戻せない《夢》を抱いてしまったからだ。この世界を変えたい。自分のような存在を他者に認めてほしい。


(そうだ、俺は)


 自分や草地、ブラッドたちを認めてくれる、国が欲しい。アメリカでもない、ベトナムでもない、この日本という母国に、己の存在を認めて欲しいのだ。

 それは金城が何よりも欲している——渇望している未来だった。


「俺はっ、機関士になる! 機関士になって、この国を変える!」


 ――否定なんてさせない。諦めてなんかやらない。

 もう逃げない。立ち止まらない。歩むことをやめない。後悔だけはしたくないから。この窮屈な国を変えたいから、


「俺は、行政高校に行く。自分の力で、あそこへ絶対に行くんだ」


 上げられた面差しはどこか泣きそうに見えた。目は微かに潤み、口は何かを耐えるようにきつく引き結ばれている。その姿は意固地になっている幼い子供にも見えた。

 だけど、そこには確かに強い光で灯された双眸があった。

 ゆらゆらと輝く琥珀色の眼を前に、土宮香苗は目を細める。


「……そう。貴方にはその自信があるのね」

「あるよ。あんたが言うようにどれだけ無様に見えても、格好悪くても、俺はなにがなんでも、縋り付いてでも、受かってやる」


 芯のある声。腹の底から唸るように吐き出された少年の言葉を耳にして、土宮香苗は呆れたような視線を寄越した。

 次に背を向けて、駅へと歩きだす。


(……無視か)


 その不躾な態度に金城は多少の怒りを感じたが、不思議と以前のような濁った感情は湧かなかった。なんと言えばいいのだろうか。確かに学校や周囲の人間に対する苛立ちは未だにあるのだが、そこに後ろ暗さはなく、ただ「認めさせてやる」というような闘志が代わりに存在していた。

 心に巣食っていた蟠りが霧散したような気がした。


 どこかすっきりした気持ちで、金城はふっと息を吐いた。

 さて、自分も家へ帰ろう。そう思って足を踏み出した。瞬間、


 ――ねえ、あの子大丈夫かな?

 ――なんか、あの先生っぽい人にすごい酷いこと言われてたよね。可哀想に……。


「……あ、」


 自分を見つめる周囲の目に気付いた。誰も彼もが、あからさまにというわけではないが、ちらりちらりと視線をこちらへ寄越していた。中には同情の目もあって、金城は思わず肩を縮こまらせてしまう。どうやら、先ほどの口論を聞かれてしまったらしい。

 聞こえてくる囁きからして、『ブラッド』の辺りは聞かれていないのだろうが、あのみっともない姿を見られたと思うと、金城は居た堪れなさを感じた。

 とにかく帰ろう。今すぐ帰ろう。急ぐように金城は足を踏み出した。すると、不意に声をかけられる。


「——明日、10時に学校へ来なさい」

「……へ?」


 唐突な声に顔を上げれば、5メートルほど先に、帰ったと思っていた黒い背中が見えた。


「負け犬の貴方でも、成績を伸ばすことはできるでしょ」

「……は?」


 それだけの言葉を残して去る土宮香苗。金城は呆気に取られたような顔をした。


(……え、ええ?)






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