痛みに負けるな

古新野 ま~ち

第1話

掃除婦の泣き声を聞いてトイレに駆けつけると、ナイフをかまえた男が涎を飛ばさんほどに叫んでいた。金がたくさんほしいようだ。


お金なんていまないですよ、と滅法哀れみを誘う声で小母さんが言うものだから、動画を撮影してTwitterにあげた。「駅で事件の匂い」とコメントをつけておく。

いきり立った声で、僕に抗議する男の顔がスマホに入ってきた。現実より鮮明な表情の変化であった。


目尻に皺が寄っていて、そこがしきりに震えているものだから、レンズを男の目に向けた。右目の皺が収縮するところに黒子があり、まるで消失点のような役割を果たしている。目の上にも刻まれた皺の親玉のように眉毛があり、手入れの行き届いていないためか長さがまちまちである。その割りには5厘がりのような短い髪であり、近くに散髪をしたこの矛盾をとくために以下のような仮説を立てた。


1 理容院に行ったが、シェービングを固辞し、ゆえに眉の手入れもしてもらえなかった。(シェービングをすると、眉の手入れもしてもらえることが多い)

2 美容院に行った。

3 自分で髪を刈った。


と、ここまで考えて、最も妥当だと思われる可能性を思い付いた。

4 QBハウスに行き、1080円で限界まで短くした。


すると、男は散髪をしたために金がなくなったためにこのような愚行をしたのだろうか。1080円のために女性に暴行。危険な賭けにでたようだ。


ここで僕が、小父さん髪切った? といえばタモリ氏のような小粋で軽妙かつエスプリの効いたトークができるのかもしれないが、いかんせん彼の出演している番組はあまり観たことがない。そのうえ、代表作である『笑っていいとも』がやっていた時間は、僕は給食を食べていた。


男の眉については、この辺りで考えるのをやめた。僕は、その次に唾を飛ばそうとしているかのごとく癇癪を撒き散らすその口に注目をした。


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