談話室の飛ばない探偵たち

青波零也

01:introduction

 ――珍しいこともあるものだ。

 談話室の扉を開け、目に入った光景に対する率直な感想はその一言であった。

 そこにいたのは、長椅子にだらしない姿勢で腰掛けている二人――ゲイル・ウインドワードとアーサー・パーシング。待機を命じられている際、この二人は特に行動を共にしていることが多い。霧航士ミストノート宿舎の外にふらりと遊びに行っていることもあれば、こうして、談話室で他愛の無い話に興じていることもある。だから、この二人が一緒にいること、それ自体は普段通りと言っていい。

 私が「珍しい」と思ったのは、二人が熱心に覗き込んでいるものについてだ。

「お前たちが真面目に新聞を読んでるなんて珍しいな。特にゲイル」

 名指しされたことが不服だったのか、ゲイルはアーサーの手の中にある新聞から、こちらに琥珀色の視線を向ける。

「何だよ、俺様が新聞読んでちゃ悪いかよ」

 言葉だけ聞けば因縁をつけるような物言いではあるが、その顔はへらへらと笑っている。自分がそういう柄ではない、ということくらいは流石に自覚していると見える。

 片手に新聞を持ち、片手で半ばまで灰になった紙巻煙草を燻らせていたアーサーも顔を上げ、こちらに向けて大げさに肩を竦めてみせる。

「まあ、オレらの場合は『真面目』っつーのとは程遠いですしね。ジーンも見ます?」

 ああ、と一つ頷いて、入り口近くに置かれていた安楽椅子を長椅子の側に引き寄せて座る。煙草を灰皿に押しつけながら、アーサーが差し出した新聞の一面には、少し離れた位置からでも十分読み取れるほどの太字でこう書かれていた。

『脳無し死体、またも発見される』

 あまりにも物騒な字面だ。しかも「またも」とあるからには、これが一度目の発見ではないということを示している――。

「これは?」

「近頃、オレらが暇してる間、首都ではなかなか面白いことが起きてる、って話ですよ」

 流石に『面白い』は失言ですかね、と付け加えながらも、アーサーは愉快そうに笑っている。

「そこにあらましは書いてありますけど、首都のあれこれに疎いジーンのために、オレの知ってる事件の経緯も説明しときましょか」

 アーサーはテーブルの上のティーカップを手に取り、語り始める。私も、その言葉に合わせて手元の新聞を読み解く姿勢に入る。

「事件の始まりは、今から一ヶ月ほど前。首都下町で一人の少女が死んでいるところが発見されたんです。これが餓死とか強盗殺人なら、まあ、下町じゃ結構ある話ですけど、一目でそうじゃないとわかるレベルの異質な『殺人』でした」

「それが――『脳無し』ってことか」

「頭くり抜かれて、脳味噌だけ持ってかれちまうんだとさ。怖ぇよなあ」

 怖い、という言葉に反し、いたって暢気な表情のゲイルが、とんとん、と己のこめかみの辺りを指で叩いてみせる。鮮やかな、僅かに赤みを帯びた金髪は、明るく煌く琥珀色の瞳と相まって、彼の陽性ぶりをよく表している。

 それに対し、アーサーはゲイルより遥かに淡く、霞むような色合いの金髪を長く伸ばし、後ろでゆるく縛っている。憂いを帯びた伏せがちの薄青の目といい、黙っていればもう少し神秘的なのに、と評したのはトレヴァーだっただろうか。実際には、この通り、黙っていることそれ自体が苦痛というタイプなのだが。

 アーサーは、ゲイルの言葉を継ぐ形で話を再開する。

「そう、少女の死体の頭部は開かれていて、脳が綺麗に取り去られていたって按配です。死体は下町の片隅に打ち捨てられているのが発見されましたが、脳の行方は依然不明だそうで」

「だが……、それなら、致命傷は何だ? 頭部への打撃か?」

 人間に限らず、原初の女神ミスティアの手で魄霧より生み出されたものは、全て肉体と魂魄から成る。肉体が存在する物質界と、魂魄が存在する魂魄界、それを繋ぐのが脳という器官だ。霧航士である私達も、脊髄を経由させ脳を翅翼艇と結びつけるという手順を踏んで、己の魂魄を翅翼艇の魄霧機関に同調させることで、初めて翅翼艇を飛ばすことができる。

 その脳を奪われるということは、肉体と魂魄とが切り離されること、つまりは存在の死に他ならない。肉体と魂魄、仮に片方が生きていたとしても、片方の死に影響され、ほとんどの場合は即座に完全な死に至る。それが一般的な認識だ。

 ただ――、それにしても、だ。

「脳を奪うには、頭蓋を開き、脳を摘出するという手間がかかる。つまり、それ以前に殺しておくか、そうでなくとも動きを奪う必要があると思うが」

「さすがジーン、わかってらっしゃる。この時の死因は銃撃。胸をばーんと一撃だそうで」

「下町の、なんでもない少女が銃殺されたって? 全く理由が見えないな」

「それを言ってしまったら、脳味噌持って行く理由なんてもっと無いですよ」

 アーサーの言葉はもっともだ。何もかもが理解できない事件だが、前提からして狂っている、ということだけはよくわかった。

 溜息を一つ落とし、改めて手元の新聞に視線を落とす。

「……その事件以来、同様の事件がこの数ヶ月以内に立て続けに二件起こっている。そして、今回で四件目、というわけか」

「そういうことです、つまりは、」

「連続! 猟奇! 殺人事件!」

「あのなあ……、高らかに言うものじゃないだろう、ゲイル」

 子供ならともかく、二十代も後半に差し掛かっている我々が大声で言うべき内容ではない。だが、我々の中でも特に「少年のまま大人になってしまった」節の強いゲイルは、目をきらきらさせながら言う。

「でも、何か、探偵小説とかに出てきそうなフレーズじゃね? 脳無し死体もそうだけどさ、何か現実味なさ過ぎてわくわくすると思わねーか?」

「お前の主張も、まあ、わからなくはないけどな」

 戦場に身を置き、「殺人」という、女神ミスティアが禁じた罪科を重ね続ける我々霧航士ではあるが、別に私は――おそらくこの場にいる二人も、好きで人を殺しているわけではない。霧航士である以上は、命令に従い敵を墜とすこと、それが与えられた役割である、というだけだ。

 だから、興味が無いといえば嘘になる。この新聞の一面を飾る「殺人」には、殺人を生業とする我々にも全く理解できない論理が存在している。不謹慎にもほどがあるとは思うが、ゲイルの言うとおり「現実味がない」ために、単純にここではない遠い世界の、それこそ探偵小説の世界の出来事のように思われるのだ。

 それにしても……。

「ゲイル、お前は探偵小説を読んだことがあるのか?」

「や、オズが読み捨ててたのをざっと見たくらいかな。正直俺様の好みじゃなかった」

「でしょうね。ゲイルに推理の楽しさがわかるとは思えないですよ」

「だって、捜査とか謎解きとか、やってることがまどろっこしいじゃん……。悪い奴が出てきてドーン! 正義の味方が出てきて悪い奴をズバーッ! めでたし! みたいな方がわかりやすいじゃん?」

「そういうところですよ、ゲイル」

 断っておくが、ゲイルは、決して頭の働きが悪いわけではない。アーサー曰く「頭の悪い奴を採れるほど、霧航士に枠はないです」。私もその通りだと思っている。

 霧航士を名乗るには、翅翼艇を自在に操る技術と、翅翼艇の持つ能力と戦場の状況を正しく判断する頭脳、そして何より希有な才能とされる「翅翼艇との同調能力」が必要となる。一人だけ例外がいるものの、我々はそれら全ての条件を満たした上で初めて翅翼艇に乗ることを許されている。

 つまり、ゲイルは「霧航士として」頭を働かせる分には我々の中でも特にずば抜けた能力を誇る。瞬発的な状況判断力に関しては、それこそ我々の中でも頭脳を担うオズにも勝るはずだ。

 が、それ以外の、当人の興味対象にならない事項に関しては思考能力が皆無に近い、というのがゲイル・ウインドワードという我らが「切り込み隊長」にして「撃墜王エース」の特性なのだった。

 ともあれ、何が「そういうところ」なのかがわからずに首を傾げるゲイルを無視して、こほんと咳払いをしたアーサーが、横に逸れた話を戻しにかかる。

「とにかく、現在首都ではこんな事件が起きてますよ、ってことです。オーケイ?」

 オーケイ、と返してもう一度紙面に視線を落とす。

 どうやら、殺害方法は毎回異なっているらしい。昨日発生した事件は刺殺であるらしい。ただ、唯一これらの事件に共通しているのが死体からことごとく脳が取り去られているということ――。

 新聞の上に踊る、扇情的な文字列を見つめていると、事件の不可解さへの興味とは別に、何とも苦い思いがこみ上げてくる。

「……我々が、戦火の拡大をくい止めようと躍起になっている間に、時計台の足下でこのような事件が起こっていると思うと、どうにも、やりきれない気分になるな」

 つい漏れてしまった感想に、アーサーは下がり気味の眉を顰めてみせた。

「いやー、ジーンはやっぱり真面目ですねえ。これ、楽しんでるオレらが悪いみたいな気分になるじゃねっすか」

「人の目に触れない範囲で楽しむのは個人の自由だが、悪趣味だとは思うぞ」

「そりゃ十分にわかってますって。でも、近頃はこの程度しか娯楽がねーってのも事実でしてね?」

 アーサーは大げさに両手を振り、ゲイルも投げ出した足をばたつかせる。

「最近はラジオも女王様ばんざーい、だとか時計台のお偉方の小難しい話だとか、なんかろくな番組やってなくてさ。ついこの間、お気に入りの音楽番組も潰されちまった。俺様の毎日の楽しみがさー、嫌んなっちゃうぜ」

「……そうか」

 そう、二人の「不謹慎さ」をそう強くたしなめられないのも、社会の動きに疎い私ですら、この息の詰まるような空気を肌で感じてしまっているからに他ならない。

 私が生まれる前から続いている帝国との戦争は、言葉通りの泥沼に陥っている。女王国が技術の粋を集めた高機動兵器、翅翼艇を開発し、これによって戦争が終結に近づいたか、と思えばそうではなかった。それと同時期に、帝国もまた翅翼艇に対抗しうる汎用人型兵器『戦乙女』を戦線に投入し始めたのだ。結果として、皮肉にも二国間の緊張と混迷は更に深まったといっていい。

 当然ながら、戦争が激化すればするほど我が国の疲弊も進む。実際に戦火が及んでいないこの首都でも感じる息苦しさ。私は、女王に命を捧げるのと引き替えに自由を許されている、時計台でも「特権階級」たる霧航士だ。だから、一般的な女王国民の実感にはほど遠いかもしれない。それでも――ゆっくりと、しかし確実に、この長き戦争がこの国を、民を、蝕んでいるのはわかる。

 その一つが、それこそアーサーやゲイルの言う「娯楽」への締め付けだといえるだろうし、今まさに首都で起こっている奇怪な事件だともいえるのかも、しれない。

「ジーン? また、何か真面目なこと考えてません?」

 不意に、アーサーが、顔をのぞき込んできた。瞬く淡い青色が、堂々巡りに陥りかけていた私の意識を現実へと引き戻してくれる。アーサーはいつでも、人のことをよく見ている。それは、人並み外れた能力を持つ反面、自分自身のことすら上手く制御できない連中が多い我々霧航士の中では、希有な才能だと思っている。

 私は澱む一方の思考を一旦よそに追いやり、ポケットに残っていた煙草に火をつける。

「真面目なことを考えてたら悪いか?」

「悪かねーですけど。でも、疲れないんですか、それ」

「別に、強いて真面目なことを考えようとして、そうしているわけでもないしな。それに」

「それに?」

「思考することで疲弊していくのは私じゃなくてオズの方だろ」

「はは、そりゃそうですね」

「あいつ、何故かいつもどうでもいいとこでドツボにはまって、一人で深刻な顔してるもんなー」

 アーサーとゲイルはここにはいない同期が、とてもどうでもいい内容で思い悩む姿をありありと想像できたに違いない。ひとしきり笑ってみせてから、ゲイルが唐突に言う。

「まあ、そんなわけで、ジーンも付き合ってくれよ!」

「何にだ?」

 付き合う、と言っても全く話が見えてこない。ゲイルの話が要領を得ないのはいつものことだが、それにしても、と首をひねっていると、アーサーが新しい煙草をシガレットケースから取り出しながら、にやりと笑う。

「犯人当てゲーム、ですよ」

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