裏庭の攻防

 連れて行かれた先は、嫌な雰囲気がする、校舎裏の森だった。


 森の入口には、私の腰ほどの柵があって、あからさまに入るな、と警告してあった。そして柵に沿って少し進んだあと、森に入る用だろう扉があった。


「入りなさい」


 ライコネンさんが低い声で言った。


「……嫌な予感がするんで、嫌です」


 この森には入ってはいけないと、全身で感じる。森の奥から聞こえる獣の声が、私の耳にこびりついた。


「いいから入りなさい!」


 必死に抵抗したけど、1人で大勢に勝つのは無理だった。扉の向こう側に押され、転がってしまった。

急いで立ち上がり、扉を開けようとするけど、ダメだった。柵を触ろうとするけど、見えない壁があって、突き指のときみたいな痛みを感じて、手を引っ込めた。


「そこは魔獣の森よ。あんたがここに入ったことは誰も知らない。せいぜい生き残るために頑張りなさい」


 そしてライコネンさんたちは、来た方に走っていった。結界を破ろうと、ドンドンと叩くけど壊れそうにない。どうすればいいのか、焦りで汗が滲んできた。


「扉のそばにいたら、誰か気づいてくれるかな? 困った……」


 困った?


 ――困ったことがあれば、連絡しろ


「ハルトさん!」


 そう、ハルトさんに助けを求めよう! ブレザーの内ポケットに入れていた名刺を取り出す。名刺を眺めて、どうやるか考える。


 ……ハルトさんは因子が繋げてくれる、と言っていたけど、どうやって因子を使うんだろう?


「うう、ダメだあ」


 結界を背中に滑るように、地面に座った。


「あのとき、ちゃんと使い方を聞いておけばよけったあ。かっこいい顔で言われたから、頭の中、かっこいいしかなかったんだよね」


 なんてことを言っていたら、森の奥の方から動物の唸り声が聞こえた。


「ヤバイ気がする!」


 大急ぎで立ち上がり、スカートについた土を払う。サバイバルのやり方なんて、普通に知らないから!


 ファインティングポーズで、動物を待つ。動物に足の速さで勝てるとは思っていないけど、よく知らない森を走り回るのはゴメンだった。もしかしたら友好的な子かも知れないし、きっと大丈夫だよ。


 唸り声を上げながら現れた動物は、正に獣と呼ぶにふさわしい姿をしていた。とても大きな、オスのライオンみたいな姿に、額に黒くて鋭い角がある。極めつけは大きな黒い羽だ。滅茶苦茶、怖い。


「あの、私は君を傷つけないよ。ほら」


 両手の手のひらを見せて、敵意がないことを示す。でも効果はなく、獣は眉間にシワを寄せて唸ったままだった。


 向こうも突然現れた人間に警戒しているのだろう。前足で地面を蹴っている。大きな前足で地面を蹴っているだけなのに、鋭利な爪を持っているのか、地面が抉れていく。


 動物と仲良くなるには、何かあげた方がいいって聞いたことがある私は、ブレザーのポケットを漁る。ポケットには、ハンカチと危険なキューブしか入ってなかった。


 目くらましに使える、かも?


「ええい、ごめんなさい!」


 キューブを投げると、獣の顔にぶつかって落ちた。獣は怒ったように、顔を上に向けて吠えた。遠吠えなのか、怒りの咆哮(ゲームで覚えた)なのか、私には分からなかった。


 獣が一歩踏み出し、キューブを踏み潰す。もう一歩踏み出そうとする獣に、私は目をつぶった。


「もうヤダっ! 誰か助けて!」


 頭を抱え、しゃがみ込む。


 体に当たる冷たい風も、頬を伝う熱い涙も、全部ゆっくりに感じた。


 世界から遮断されたようで、怖くて目を開ける。獣の瞳と目が合う。獣の瞳に、私に対する恐怖を見た。


 その瞬間、体中に電撃が走った。私の因子が、私を守ろうと空中を流れる。因子が行き着く先、それは危険と言われたキューブだった。何が起こるのか、一瞬で分かった。でも嫌だ、傷つけたくない。


「避けて!」


 キューブの中で蠢いていた、暴力的な風が、薄紫色の壁を喰い破り、私の警告に驚いていた獣の足を傷つけた。獣は反射的に悲鳴を上げ、後ろに飛びすざる。


「早く逃げて!」


 必死に叫んだ。でも獣は足を怪我しているせいで、動けそうにない。なら私が一昨日みたいな要領でやるんだ!


 拳を握った右腕を突き出す。


「言うことを聞いて!」


 風と私の一騎打ち、そんな感覚だった。もし因子のことをもっと知っていたら、もし私がもっとすごかったら、たくさんの考えが頭を巡る。


 でも今は、できることをやるしかない!


「リンカ、あとはおれに任せろ!」


 ああ、あのかっこいい声が聞こえる。


 振り向くと、ハルトさんとアンリさんがいた。


「子猫ちゃんは毎日大変そうだねー。これは一昨日より強くなってるよ、ハルトくん、頑張ってー」


 アンリさんの変わらない軟派な声が、私を少し安心させる。


「今回は、絶対に破れない結界を作りますよ」


 ハルトさんが私の拳を包み込むように、大きな手を重ねて握ってくれる。


「よく頑張ったな。あとはおれがやる」


 その言葉が嬉しくて、全身から力が抜けて、へたりこんでしまった。それでもハルトさんの手は離さなかった。


「もう悪さできねえように、徹底的に潰してやるよ」


 ハルトさんは自由な右手を、風に向かって突き出したあと、グッと握った。


「こっちに来たばっかのお前の力を、おれが御せねえわけがねえからな。ほら、見てろよ」


 ハルトさんに促されるまま、暴れる風を見る。それは抵抗するみたいに甲高い音を立てるけど、段々と潰されていき、最後には小さな球体になった。


 アンリさんが優雅な足取りで、球体の元に歩く。そして球体を拾うと、ハルトさんに投げて渡した。


「ハルトくんが箱の回収を忘れたからだよー。反省文、待ってるからね」


 アンリさんの綺麗なウインクにハルトさんは球体を胸にしまいながら、苦い顔を隠さなかった。


「わかってます。今回のこれはリンカのせいじゃなくて、おれのせいです」


「そうそう、ハルトくんはリンカちゃんの前だと気が抜けるみたいだから、気をつけてね」


「うっす」


 ちゃんとした先輩と良い後輩の会話みたいに聞こえた。私がやったことなのに、ハルトさんが悪いことをした、という会話にハルトさんの顔を情けなさに溢れた気持ちで見上げる。


「言っただろ、お前のせいじゃないって。本当に、おれのせいなんだよ」


 そしてハルトさんは私の頭をソッと撫でたあと、獣に向かって歩き出した。獣は怪我をした足を抱え、うずくまっている。


 私が作り出した魔法で誰かを傷つけたということに、吐き気がした。自分の力、魔法が怖かった。

それでも獣から目を離せずにいると、アンリさんが私の肩を優しく抱いてくれた。


「自分を怖がっちゃダメだよ、リンカちゃん。君は自分を守ろうとして、それに君の因子が答えた。ただの生存本能さ」


 いつもは軟派な声が、ほんの少しだけ優しく感じた。


「……でも、あの子を傷つけちゃいました……傷つけたくなかったのに……」


「あの魔獣は君を傷つけようとした。どっちが先に傷つけるかの問題だったよ」


 それでも、私は……


「……まあ、こんなことを言っても、君には届かないだろうなあ。あっちの価値観を持ってる子たちは厄介な子が多いんだ。そのスカートみたいにね」


 アンリさんは苦い笑みを浮かべた。届かないと知りつつ、アンリさんは私に気持ちを届けようとしてくれた。なんだか、アンリさんがとっても大人に見えた。


 ん、スカート?


 バッとスカートを押さえる。こっちの世界じゃあ、すごい恥ずかしいことらしい姿を、めっちゃキザな人に見られてしまった。


「あ、僕はあっちの世界によく行くから全然、気にならないよ。綺麗な脚をしてるなって思ったけど」


 言いたいことはたくさんあったけど、何を言えばいいか分からなくて、パクパクと口を動かすしかなかった。


 そんな私を見て、アンリさんはニコリと意味深に笑った。そして顔が私の顔に近づけてくる。えっ、えっ!?


「元気になったとこで聞くけど、ハルトくんが見てろって言った意味、わかった?」


 何をされるのかと思ったけど、耳元で囁かれた真剣な声に、私は固まった。その言葉の意味を少し考えたあと、首を横に振って小声で答える。


「ただ能力が下って言いたいのかと思いました」


 アンリさんは少し離れると、仕方なさそうに笑った。


「やっぱりハルトくんって、ぶっきらぼうだよねー。本当は優しさの塊みたいな子なんだけど」


 その声に獣の前でしゃがんでいたハルトさんが反応した。


「それって褒めてるんですか? 貶けなしてるんですか?」


 アンリさんは優しいお父さんみたいな顔で笑った。


「褒めてるんだよー。それで準備はできた?」


 準備って何の準備だろう?


「できました。リンカを連れて、こっちに来てください」


 アンリさんに肩をグイグイやられて、獣のそばに連れて行かれる。獣は大人しく、ハルトさんに頭を垂れていた。


「怪我が治ってる!」


 獣のズタボロだった足が、綺麗に治っていた。痛そうだった傷や毛についていた血、全てが元通りになっていて、怪我をしたことがなかったようになっていた。


「ああ、治してやった。おれの不始末で傷ついた訳だし、おれが治すのは当然だからな」


 ハルトさんは苦い顔で言った。本当は私が傷つけたのに、ハルトさんは自分がやったかのように罪悪感を抱いているようだった。


「私もごめんなさい。許してもらえないだろうけど、謝らせてください!」


 獣に向かって、頭を下げる。怪我がなかったことになってるようだけど、怪我をしたのは忘れてはいけない事実だった。


 獣はグルグルと唸り、今にも私に襲い掛かりそうだった。受け止めるしかない、と目をギュッとつぶった。


「おれからも謝る。ごめんな」


 ハルトさんの真摯な声に、唸り声がとまった。目を開けると、獣はハルトさんに撫でられて、目を細めている。


「後輩の失敗は、先輩の失敗だからね。許しておくれ、子猫ちゃん」


 そしてアンリさんに撫でられ始めてから、獣は喉を鳴らして喜び始めた。もしかして獣は彼じゃなくて、彼女なのか!

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