第748話 地獄と極楽
おかえりなさい♡
今日は僕の心に残る良いお話を知る事ができましたので、あなたに伝えようと思います。どうか最後までお付き合い下さい。
それでは今日も【生きてる証しが欲しいから】始まります。
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【地獄と極楽】
あるお寺で若い修行僧が老師に「あの世には地獄と極楽があるそうですが、地獄とはどんなところなのですか」と尋ねました。
すると老師は次のように答えます。「たしかにあの世には地獄もあれば、極楽もある。しかし、両者には想像しているほどの違いがあるわけではなく、外見上はまったく同じような場所だ。ただ一つ違っているのは、そこにいる人たちの心なのだ」
老師が語るには、地獄と極楽には同じように大きな釜があり、そこには同じようにおいしそうなうどんがぐつぐつと煮えている。ところが、そのうどんを食べるのが一苦労で、長さが一メートルほどの長い箸を使うしかないのです。
地獄に住んでいる人はみな、われ先にうどんを食べようと、争って箸を釜につっ込んでうどんをつかもうとしますが、あまりに箸が長く、うまく口まで運べません。
しまいには他人がつかんだうどんを無理やり奪おうと争い、ケンカになって、うどんは飛び散り、だれ一人として目の前のうどんを口にすることはできない。
おいしそうなうどんを目の前にしながら、だれもが飢えてやせ衰えている。それが地獄の光景だというのです。
それに対して極楽では、同じ条件でもまったく違う光景が繰り広げられています。
だれもが自分の長い箸でうどんをつかむと、釜の向こう側にいる人の口へと運び、「あなたからお先にどうぞ」と食べさせてあげる。そうやってうどんを食べた人も、「ありがとう。次はあなたの番です」と、お返しにうどんを取ってあげます。
ですから極楽では全員がおだやかにうどんを食べる事ができ、満ち足りた心になれる。同じような世界に住んでいても、あたたかい思いやりの心をもてるかどうかで、そこが極楽にも地獄にもなる。それが、この話がいわんとしていることなのです。
僕はこのお話を読んで、極楽の一員になりたいと思いました。今の僕は、自分勝手で人から与えられながら、生きています。地獄にいるような争いをしている感覚です。
メンクリの十文字さんがいつも言う「魂を磨く」という言葉の意味が、少しですがわかった気がしました。僕にも心掛け次第で極楽を経験できると思っています。生きている限り、世の為人のために活動できる事を願っています。
今日も最後までありがとうございました。
お話しはここまでです。
どうか魂を磨く事ができますように……
いってらっしゃい♡
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