女性自治区・男性自治区
吾妻栄子
一、ローズツリーの息子
“診察はまだ順番待ち? 分かった”
ターミナル駅直結のデパートの窓から見える空はどんよりとした灰色だ。
予報では午後から雨になると言っていた。
“大丈夫だよ、適当に時間潰すから”
ラインではそう答えたものの、何となくくたびれて近くのベンチに腰を下ろす。
そうすると、窓の端っこにピンク色にライトアップされたリボンタワーが見えた。
あそこが今、彼女がいる女性自治区だ。
彼女の母もあの自治区のマンションで一人暮らししている。
反対側に目を移すと、そちらには紫に輝く巨大なローズツリーが立っていた。
あちらは男性自治区。
僕の故郷で、養父二人の家があるところだ。
このターミナル駅はちょうど二つの自治区の中間に位置している。
女性自治区でも男性自治区でもない、通称「一般区」のど真ん中。
周囲を歩くのは男女半々。
男女のカップルも少なくない。
男性は身なりにあまり構わず、ベンチにも脚を開いて座る、特に女性に対してはぞんざいな口調で話す人が多い。
一方、女性は肌の露出を抑えた服を着ている割に、顔はきっちり化粧して、特に男性に対してはちょっと甘えた高い声で話す人が目立つ。
それが「一般区」の人たちの平均した特徴だ。
彼らに伝えると、特に男性からは「全ての一般区民がそうではない」と執拗に食い下がられるけれど、「一般区」では男性があらゆる面で女性より優先され、横暴に振舞うことが黙認されている。
例えば、一般区内の電車に乗ると、妊婦が乗り込んでも知らん顔で脚を開いて座り続ける男が本当に多いし、ベビーカー連れの母親には白い目を向ける人も少なくない。
パートナーの彼女によれば、女性自治区内では妊婦が乗り込んだ瞬間、ナチュラルに周りが席を立ち、ベビーカーは周りで囲んで守るのが普通だという。
女性自治区ではそもそも夫からのDV逃れに母子家庭が住み着いたり、あるいはビアンカップルが精子バンクを利用してどちらかの子供を得たりして妊婦や赤ちゃん連れが珍しくないからだ(ちなみに、住民の子であれば、義務教育終了年齢までは女性自治区に男性が居住する権利は特例として認められている)。
僕の育った男性自治区では妊婦を見かけることはまずなかったが、住民が赤ちゃんやベビーカー連れで電車に乗れば、やっぱり皆が微笑んで見守るのが普通だった。
男性自治区では住民のゲイカップルが養子を迎えたり代理母出産でどちらかの子を儲けたりして子育てする光景が当たり前に見られる(こちらも、住民の子であれば、義務教育終了年齢まで男性自治区に女性が居住する権利は特例として認められている)。
何よりも、僕がそうして育てられた一人だ。
――お前が三ヶ月の頃、一般区の海浜公園に連れてったら、男子トイレにオムツ交換ベッドがなくてあの時は本当に困ったよ。女子トイレにしかオムツ交換ベッドは無いんだと。
養父のレスリーは苦笑いしながらよく語ったものだ。
――『イクメン』なんて言ったところで、一般区の男は女に面倒なことやらせるのばっかりだから。
――大体、まともに育児しない父親の方が多いからちょっとやっただけでも『イクメン』なんて持ち上げるんだろう。
もう一人の養父のヒロも冷めた声でしばしばぼやいた。
――たまに仕事で一般区に行ってもあそこのコンビニは赤ちゃんのオムツはろくに揃えてないくせに、女子高生の盗撮だの人妻の調教だのいうエロ本は平気で置いとくんだから、あんなところで子育てなんかとても出来ない。
システムエンジニアとして一般区の企業にもしばしば出向くヒロに対して、普段は語学教師をして男性自治区から出ないレスリーは寂しく首を横に振った。
――あの時も、せっかく綺麗な海を見ながら三人で散歩していたのに、『ホモ』ってヒソヒソ言う声が聞こえたりしたよ。
女性自治区は「レズ街(がい)」、男性自治区は「ホモ街(がい)」と一般区ではよく嘲られる。
これらは一般区のテレビ局でも放送禁止の差別用語だけれど、一般区の、特にご年配の人は当たり前に使う。
――同性愛の人間に配慮なんかめんどくさい、近くにいて欲しくないと騒いでいたような人たちに限って、いざ私たちが自治区を作って移り住んだらそれすら思い上がりだと叩くんだ。
これは二人の養父たちのどちらにも共通する見解だ。
――あの人たちにとっての『平等』や『健全』というのは、私たちが普段は自分のセクシュアリティを隠していて何かで同性愛と判った時に、『気持ち悪い』と好きなだけバカに出来る社会なんだよ。
窓の外でポツポツと雨が降り始めた。
巨大なピンクリボンも紫のバラも滲み出す。
――俺、やっぱり女の子が好きなんだ。
十五歳の誕生日を迎えた頃、死にたいような気持ちで両親に告白した。
男性自治区で、二人のお父さんに育てられて、自分も男なのに、好きになるのは女の子だということが何かとてつもない裏切りに思えた。
実際、男性自治区には女性を性器呼びしたり「女なんか馬鹿で性悪だ」と吹聴したりする住民も少なくなかった。
一般区で女性と付き合うストレートはもちろん、バイセクシャルで女性と付き合った経験のある住民も「どっちつかずのスパイ」のように敵視される空気もなくはなかったのだ。
――いいんだよ、僕たちと同じじゃなくて。
レスリーは穏やかに微笑んでいたが、その目には光るものが宿っていた。
――その方がもっと色んな場所で幸せに暮らせるさ。
肩を叩くヒロの手は温かかった。
――一般区で暮らせるなら、それに越したことは無いんだから。
高校入学と同時に僕が一般区で暮らし出してもう十年近くになるが、養父たちは変わらず男性自治区住宅街の赤レンガ造りの家で仲良く暮らしている。
自分にとって両親とはあの二人だ。
生まれてすぐに僕を養子に出した遺伝子上の両親には、何の思い入れもない。
窓ガラス越しに見える紫のバラは溶けて本来の形を失った蝋燭かガラスのようだ。
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