第42話 本当は優しい人

 === ピ・ピ・ピー ===


 毎朝5時に目覚まし時計がなる。


 馬の世話を手伝うためにベッドから飛び起き、厩舎へと向かう。牧場に来てから、出来るだけ馬と触れ合いたいと思っていた私は、5時起きを日課としていた。


 早朝の馬の世話は、いつもトリスタン一人で行っている。トリスタンは憎らしい奴だけど、朝の餌やり後、馬たちは厩舎きゅうしゃから出され、放牧されるため、馬に癒されたい私が唯一、馬と触れ合えるのがこの早朝だった。


 トリスタンの指示で、彼が調教を入れている白い馬を毎日ブラシする。ブラシの後は、トリスタン自身がその白い馬に乗り調教をする。


 Tシャツとジーンズ・ウエスタンハット姿のトリスタンが馬と会話しながら調教をする。土埃つちぼこりが舞い上がる中、馬の呼吸とひづめの音だけが、響いている。


 馬の背に乗るトリスタンの汗がキラキラと輝いて、くっきりと私の脳裏に刻まれていく。朝日の斜光がスボットライトのように降り注がれる朝の厩舎は、時間が止まっているかのように静かなときを刻んでいく。


 私は、白い馬に乗るトリスタンを何故か夢中で写真に収める。ブラシをされピカピカに輝いている馬が、朝日の中で躍動やくどうしている。



「お前、馬を走らせたことあるか? 」


 突然の問いかけに、のぞいていたカメラのファインダーから顔を離し、答える。


「しばらく乗ってなかったけど、一応、経験はあるよ」


「じゃ、乗れよ。こいつ、そろそろ俺以外の人間にも慣れさせたいから、少し外を走らせたいんだ」


「でも、私で大丈夫かな? 」


「俺も違う馬で一緒に走るから、心配するな 」


 調教のため、二人で早朝の荒野へと馬を走らせる。白い馬は、たてがみをなびかせて走りだす。トリスタンは、芦毛グレーの馬に乗り、私の横に並んでいる。


 私たちは全速力で襲歩しゅうほする。


 気持ちいい!!


 こんな清々しい気持ちになったのは、久しぶりかもしれない。


 風が頬をくすぐり、髪が風になびいてゆく。



 しばらく走り、疲れた馬たちを休ませるため、フィシャータワーと名づけられた奇岩のほとりで休憩をする。  


「馬たち、喜んでるみたいだな」


「私も馬を走らせたのは久しぶりで、すごく気持ちよかった!! 乗馬は牧場を経営していた祖父から習ったんだ。小さい頃は、祖父の牧場で飼育されていたポニーをよく走らせてたの。祖父はトレスタンと同じように馬の調教もしてたんだよ」


「そうだったのか。都会から来た女でカレンくらい馬に乗れるのは、珍しいからな」


 あれ、今……トリスタンが私の名前を呼んだような気がしたけど、気のせいかな。




「トリスタンは、馬と会話ができるんだよね」


「会話はできないけど、馬と気持ちを通じさせることはできるかな。人間より馬はずっとピュアだからな」


「すごいな」



 突然、トリスタンが私の顔をじっと見つめる。紺碧の瞳に見つめられると……何故か緊張してフリーズしてしまう。



「じゃじゃ馬かと思ったけど、お前……意外にピュアなんだな……」


「えっ。なによ! ひどいわね! 私……馬じゃないよ」


「違うのか? ずっと馬かと思ってた 」


あははは……。


 初めて、トリスタンの笑顔を見た。いつもは憎らしい顔をしている彼の笑顔は、眩しい太陽の陽射しにキラキラと輝いて見える。


 

 

◇ ◆ ◇


 牧場の日常は、時計など必要がない程、時間がゆったりと流れている。

都会の時計とは、進む速さがまるで違うかのようだ。


 ガーデンから摘まれたフレッシュハーブでお茶を入れ、エレナとおしゃべりをする。


 エレナは、アルフレッドと、高校の頃に出会い、同じ大学に進み、卒業と同時に結婚したことを笑顔で教えてくれる。そして、いま……彼女のお腹には「新しい命が芽生えている」と……はにかみながら告白した。


「エレナ、おめでとう」


「カレン、このことは、まだ誰も知らないの。町の病院で診察してから伝えようと思ってるのよ」


「わかったよ。みんなには内緒にしておくね。私に手伝えることがあったらなんでも言ってね。絶対に無理とかしちゃダメだよ」


「ありがとう、カレン」


 女同士の小さな秘密だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る