第8話

冷たい。頭が冷たい。

自分の家のリビングで、目の前には見知らぬ男。

そして床には家族だった肉解が転がっている。

それで。それで自分は何をしようとしたのか。

もう酷くどうでもいい。どうでもいいのだ。

全てを一夜にして失った。

夢ではない。級友も、親友も、母も、姉も、左腕も失って。


「…もうどうでもいいや」


酷く濁ったその目にはもう何も映らなかった。

男はゆっくりと啓太に歩みより、目の前に立った。

男は啓太を見下ろす。しかし目が合う事はなかった。

激痛が走る。わき腹に深く深く奇妙な形の刀が突き刺さっていた。

何度か刺したままの刃を捻る。

啓太の表情がわずかに引き攣る。そして男は刃を勢いよく体から引き抜いた。

大量の血液があたりに飛び散る。

その場に倒れ呆然と床を眺めていた。

床は冷たく息の上がって熱を帯びていた体はみるみるうちに冷たくなっていく。

すこし目線を上げ、肉解を眺める。切り刻まれた肉解には血まみれになったエプロンや生前母が肩身離さず首からかけていた指輪が紛れていた。

姉とは部活動の朝の練習に行くため時間が合う事がなく最近は全然喋ってなかった。こんなことになるならもっと喋っていればよかった。

母の最期の姿を思い出す。玄関でいってらっしゃいと笑顔で手を振るそんな姿が。

いつだって笑っていた家族の姿。

それを奪った。この男が。あの獣達が。全部全部全部全部全部。

許せない。ふつふつと憎しみがこみ上げる。力なき体が再び熱を帯びる。

それは怒りか、憎しみか。それは啓太にも分からなかった。

プツンッと解れかかっていた糸が切れた。





「…殺す」





  ◇ ◇ ◇




ドゴォォォォッ!!!

衝撃音。家屋から土煙が上がっていた。

誠を抱えたままリーアはその音のほうへ走った。

何かあったのだ。嫌な予感が脳裏をよぎる。


「啓太様!」


高らかに叫び、煙のほうに駆け寄る。

突然煙の中から手が伸びる。その手はリーアの首に掛かる。


「ぐッ…!?」


咄嗟のことでなすすべなく、腕に捕まる。リーアの腕から抱えていた誠が落ちる。

煙を払うように男の姿が現れる。片腕でリーアも持ち上げたまま、地面に崩れ落ちた誠の頭に足を乗せる。

すごい衝撃で吹き飛ばされたようだが見る限り外傷はないようだった。


「グギッ…はなっ…せぇッ!!」


リーアの蹴りが男の頭目掛けて放たれる。しかしその蹴りはあっさりともう片方の腕に阻まれる。

しかしリーアの攻撃は終らない。何度も何度も蹴りを放つ。しかし全て軌道を読まれ呆気なく阻まれる。


「く…そ」


息が持たない。男は全く怯まずリーアの体を持ち上げていた。

リーアの意識が酸欠で曖昧になってきたときそれは現れた。

突如空からの衝撃が男の周囲一帯を襲う。地面が割れ、男の体に無数の傷を作る。

リーアの首から手が離れ、地に落ちる。

咳き込みながら不足していた酸素を取り込み、衝撃があった方向に目を向ける。

男が飛ばされてきた家屋には大きな穴が開いていた。その中から姿を現したのは啓太であった。


「啓太様…」


しかしその姿は啓太であって啓太ではなかった。

ひどく虚ろな瞳は紅い灯が宿り、獣に奪われた左腕は新たな形状の真っ赤な腕が生えていた。


「まさか…血液中に流れる魔力をッ…!?」


男が啓太目掛けて飛び出す。男の腕にはいつの間にか120cm程の剣が握られていた。


「まさか…魔法武器!?」


勢いよく一刀が啓太目掛けて降り注ぐ。啓太は動かない。その一刀を異形の手で掴む。

にやりと、男の顔に笑みが浮かんだ。瞬間幾千の刃が飛び出す。

瞬間男は刀から手を離し退く。鮮血。啓太の体を無数の刃が通過し、尚刺さり続ける。

そのまま刃は増殖し、啓太を貫いたまま結晶と化し、膨らんだ刃の山は収束する。


「啓太様!」


啓太に向かって駆けるも、横からわき腹に蹴りが入り、そのまま吹っ飛び、民家の石壁にぶつかり、石壁もろともその場に崩れ落ちた。

男はリーアの髪を掴み、拾い上げる。そのままうな垂れるリーアを引きずり結晶化した啓太の前に放る。

そして腹部を思い切り蹴り上げた。


「ヴッ!?」


体中の空気が一気に体から抜ける。

リーアが動けなくなったのを確認し、男はにやりと笑う。


「…まさか本当に亜王に会えるとはね。こりゃ光栄だ」


男は満面の笑みを浮かべ、啓太を見上げ、問いかけるように呟く。


「しかも選定の巫女も一緒とは。まぁなんともあっけないものだね」


そして一息つくと、力なく横たわる誠のほうに歩みを進め、こちらも髪を掴み引きずってくる。


「一応関係者だし、殺すけど文句ないよね?」


笑いながら返答もない方へ問いかける。

啓太はもちろんのことリーアももはや答えられる状況ではない。

沈黙を肯定と受け取ったのか数回男は首をふり頷くそぶりをする。

そして腰に手をやり、短剣を取り出し、笑いながら一言。


「んじゃ殺すね」


なんのためらいもなく、短剣は誠目掛けて振り下ろされた。その一瞬だった。

空中に血しぶきが舞い上がる。その光景にその場に這い蹲るリーアもあっけにとられる。

結果からいうとそれは誠からでた出血ではなかった。短剣は誠にそもそも到達しなかったのだ。

宙を舞う鮮血。そしてその少し上に舞うは腕。鮮血は宙をぐるぐると廻る腕から流れるものであった。


「うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああ」


けたたましい悲鳴があたりにこだまする。

男が左腕を失いもがき苦しんでいる。

そしてその腕を吹き飛ばしたのは先程刃の山に貫かれた啓太から伸びた異形だった。

失った左腕が幾重にも触種のように伸び男の腕を誠に刃が到達する寸でで吹き飛ばしたのだ。

体中に刺さる刃に構わず結晶を異形の手で壊し、男の下にゆっくりと歩みをすすめる。

左肩を抱え男が啓太に背を向ける。しかし啓太もそれを逃さない。異形の手は一度収束し、啓太はまるでボールでも放るかのようなフォームをする。そして腕が放られる。腕は3本に分裂し、先端は鋭利な刃物のような形状に伸び、男目掛けて突き刺さる。足と太もも、わき腹三箇所を貫く。


「うが…ッ!?」


間抜けな声と共に男が倒れる。


「ま…まてッ!ぼ…僕がアクティウス帝国第三王子と知っての狼藉か?い、今なら許してやる」


啓太は答えない。ただただ男を見下ろしていた。先程の寡黙な男の面影はもはやなく、今はただただ啓太の姿を見て脅えて肩を震わせている。


「ひっ…違う。俺は頼まれただけだ…炎帝めの奴!この剣があれば大丈夫だといっていたではないか!」


男はぶつぶつ一人で呟いていた。


「お前欲しいものはあるか…?なんでもやる、やる!だ、だから…」


「あるよ」


ぼそりと啓太が呟いた。


「ならばそれをやる!なんでもやる。だから僕を」


「助けてって?」


狼狽する男に被せるように冷たい眼差しで見下ろし淡々と言葉を紡ぐ。


「そ…そうだ。僕はほんとに頼まれただけなんだよ。仕方なくこんな事をやったんだよ!」


「あなたは…仕方なくで…人を殺すの、ですか?」


その返しに男は何度も口を噤んだり、開いたりしたがやがて眉間にしわを寄せ、叫んだ。


「あぁそうだよ!君には悪い事をした。でも仕方なかったんだよ!あの女が抵抗するから仕方なかったんだよ!そうだよあの女がいけないんだ!僕のいう事を聞かないから!」


酷く混乱した様子で男は怒鳴り散らす。啓太は黙って男をみつめたままただただ男の話を聞いていた。

全て吐き出して楽になったのか心無しか男の顔は清々しい表情を浮かべていた。


「う、腕の事は不問にしてやる。だから僕をつれてゲートに…」


「まだ僕が欲しいものを貰ってないよ」


男に被せるように一言呟く。


「なんだ?金か?土地か?女か?おぬし幼子にしては欲張りだな…よい!あちらにいったら全部くれてやろう。地位も名誉も好きなだけくれてやろうぞ!」


男は高らかに笑いながらいった。


「いや今いったどれとも違うよ」


淡々と言葉を返す。


「ではなんだ?」


男はきょとんとした表情で答えた。

啓太は答えない。沈黙が走る。



「お前の命だ」


「啓太様駄目っ!!!」

リーアの凛々しい真っ直ぐな声があたりに響く。

しかしリーアの叫び虚しく啓太の目の前にいた男は次の答えを聞くことすらならぬまま、啓太の目の前で爆散した。

真っ赤な華が咲き乱れ、一瞬で霧状になり風に消える。


「血中の魔力を暴発させた…」


あれが亜王の力なのか。命を生かすも殺すも出来る。魔力の存在しないこの世界ですら、血中に存在するわずかな魔力を増幅させ、己が力の糧に変えてしまう。正直恐ろしかった。


「…リーア」


啓太が呟く。


「…どうしよう」


真っ赤に染まった顔はリーアのほうを向く。


「僕人殺しになっちゃった」


その顔は歪な笑顔を形どっていた。

泣きたくてもなけないそんな顔を浮かべていた。

思わず啓太に駆け寄り、抱きしめる。

おもいきり、これ以上にない程力いっぱい抱きしめた。

先程まで出ていた太陽はこの凄惨な現実から目を背けるかのように厚い雲の中に隠れてしまった。

雨がぽつぽつと降ってきた。次第に雨の勢いは増し、激しく振り注いだ。




まるで啓太の代わりに涙を流すかのようなそんな空模様であった。

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