第4話
「イタ。カジツイタ」
大きな影が片言で呟く。
声色に変化はなく感じられたが昂揚が入り混じっているようで呼吸が激しく乱れている。
怪物はズズズズッ…とけたたましく重い音を立て体を啓太のほうへ体をゆったりと向けた。
そして教室の中央に腰を抜かして唖然としている誠。恐怖で涙を流しているのか、もしくは驚いて腰が抜けて動けないのか、彼女はその場から動かない。彼女をボーダーに教室の三分の一を占める大きさのばけもの、それと対極するかのように小さな啓太が立つ。そのひざは小さく震え、立っているので精一杯だろう。
「オマエ アオウ カ?」
「アオウ?なん…なんだよそれ」
寒さで口が強張ったか、目の前の光景に恐怖したか、それとも両方か。うまく声が出ない。必死に強張る体を奮い立たせやっとつむぎだした言葉。
「オマエ カ?ソレトモオマエカ?」
怪物は啓太と誠両者を見る。その闇に蠢く小山は二点の赤い目で覗き込むように観ている。
「か、かいぶつさんは私たちを探しにきたの?」
中央にいた誠が急に声を掛けた。啓太はあっけにとられ、言葉が出なかった、どころか体が強張って動かない。
怪物はギョロリと誠を見ると、笑った。
正確には暗闇の中開いた口の中の無数の牙が屋内に少し注す月光に反射し、ギラギラと光っていた事から笑ったと啓太は思った。
「ソウ デモオマエラドッチモ ハンノウアル ヒカリアル」
「そ、そうなんだ。困ったね」
誠は困った笑みを浮かべ返答を返す。
そんな誠を見ていることしか出来ない啓太。ひどく情けなかった。自分はこの場で立ち尽くす事しかできない。
「ねぇ、啓太くん」
「え」
いきなり誠に話かけられ我にかえる。
「この怪物さん悪い怪物さんじゃないみたいだよ?ね」
「そ、そういう問題じゃない!早くそっから離れて!」
「だ、大丈夫だよ。ね?怪物さん?」
怪物は黙っていた。
雲に隠れた月が顔をだし、わずかな月火は大きくなり、教室のベランダ側半分を照らし出す。怪物の姿が半分だけ露になる。
その形は大きな犬であるが、犬の耳の中から牛のような角が映えていた。そしてその牙は血で赤く染まっていた。怪物は沈黙の後に一言ぼそっと呟いた。
「ドッチモ コロセバ イインダ」
怪物は笑った。その笑みから漏れたのは人間の腕だった。見間違えもしない。肘から上の手。けして大きくはない手。
「誠!逃げろ!」
声が出たと同時に誠に向けて全力で駆けた。
「え」
誠が後ろを振り返る前に彼女はすでに空中を舞っていた。
それでも走る。空中を舞う彼女の元へ。しかし小学生の足では間に合わない。
無慈悲に地面に叩きつけられ転がる。ぐったりとした彼女は、無気力にその場に横たわっていた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
叫びと同時に地面が濡れる。恐怖で尿が漏れる。彼女が死んだかもしれない。次は自分だ。
怪物を見る。怪物は荒い息で、ゆったりと重い足取りで迫ってくる。
格好の獲物を前に狩りを楽しんでいる。獣らしからぬあの笑みがそれを証明していた。
それに口から漏れでたあの腕、きっと旧校舎にきていた剛達か、はたまた歌那多のものか。どちらにしろ笑えない。いずれ自分もあぁなるのか。いやだ。絶対にいやだ。
死にたくない。
そう思うと体がすでに怪物に背を向けていた。
きっと誠もあれだけ高く放りだされたのだ。きっと死んでしまった。そう自分に言い聞かせ全力で走る。教室のドアに向けて。走ってドアに手をかける。怪物はじっと啓太を見ている。恐らく逃げた啓太をゆったりと狩るつもりなのだろう。
「うぅぅ…」
うめき声。とても小さかったが確かに聞こえた。
ドアに手をかけ、誠を見る。微かに動いたような気がする。しかしそんなあいまいな判断で自らの命を危険に晒すのは馬鹿げている。
啓太はドアを開け、木の廊下を全力で駆けた。ただただ走った。全力で走った。今までにないくらい全力で。後ろも振りかえらず、ただただひたすら出口を目指して。
廊下の角を三度ほど曲がり、昇降口であろう場所を見据えた。あそこまで。あそこまででいい。光に向かって右の手を伸ばす。もう届く。ドアを目の前に動きが止まった。正確には動けなかった。
「ツカマエタ」
低い多重音声が啓太の耳に響く。
「あぁ…あぁぁぁぁぁぁぁぁ」
声にならない声を出し、抵抗する。怪物は動かない。啓太は体を揺らし抵抗する。怪物口でつまんでいる小さな腕を噛み砕いた。
バリッ…ボリボリ…
堅いものを噛み砕く音。痛烈な痛みが体中を駆け巡ったのはその後だった。
「がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!?」
左腕が肘の先からなくなっていた。痛みにその場でのたうちまわる啓太を眺めながら、怪物はぼりぼりと啓太の腕だったものをゆっくりと味わっていた。
怪物は笑っていた。
笑いながら長いしたで啓太の腕を口の中で噛み砕きながら転がして遊んでいる。
体中が痛みで液体という液体が様々な部分から流れていた。涙で歪む視界で痛みに耐えながら怪物を睨め上げる。もはや感情は恐怖ではなかった。己が腕を奪った。級友を奪った。親友を奪った。全て奪ったこいつを殺してやりたいと。
恐怖は憎悪になり、それは明確な敵意に変わった。
気がつけば啓太はその場に立っていた。
不思議な事に痛みはない。それよりも憎悪が勝っていた。
「コロサレル キ ニナッタ カ」
ケタケタと食事を終えた赤い牙をむき出しに笑う。
「あぁ、出来たよ」
啓太は静かに答えた。
「ンジャシネ」
怪物が啓太めがけて巨体を力任せに動かし飛び掛った。
「お前がな」
次の瞬間怪物の体は細切れに弾けとんだ。
もはや内部から爆発したかの如く離散した肉片はひとつひとつが重く、校舎の壁や金属のドアに無数の穴を空けた。天井からしたたる血液がべたべたして気持ち悪い。
血まみれになった体を見て我にかえる。
「え…え、えええ?え」
何が起こったかわからない。自分は怪物に殺されるところで、なぜか相手が目の前で爆散した。
それに自分はあの瞬間何か自分の意思とは関係なく喋った。いったい何をしたのか。啓太自信にも理解できなかった。
血が滴る天井を仰ぎ見て、呆然と立っていたが誠の事を思い出し我にかえる。それと同時に自分の左腕が肘より先がない事に気づき痛みが徐々に戻ってきた。左手を押さえながら啓太は彼女の元に向かう。
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