第9節「男の気持ち」

 早朝。焔が復興部の部室を訪れると、悠未が既に来ていた。


 机の上に、ホッチキスで閉じられた紙の束が置いてある。プリントアウトされたばかりなのか、インクの匂いがする。


「脚本が書けた」

「本当に速かったな」

「寸評を頼む」

「ああ」


 焔としては既に流れに乗っている感覚があり、正直どんな話だろうと作画に気持ちを込めようという心持ちだったが、もちろんお話が面白いに越したことはない。


 しばし、悠未が作りあげた作品セカイに没入してみる。


 復興部の部室に紙をめくる音が響く。加えて、時々ブハっという焔の吹き出す音も聴こえたりする。


 結論としては、悠未が脚本を書いてきた『落ち込み妹と全裸の兄』は面白かった。疎遠になっていた妹と兄が、その関係をもう一度作り直していく……というメインのストーリーラインはあるのだが。


「基本ギャグなの、意外だ」

「ギャグじゃないと、全裸とかできないだろ」

「いいんじゃね? ちょっと台詞が分かりづらいとことかあるけど」


 特に良いと感じた箇所は、コメディな感じでキャラクター達の会話のやり取りが描かれる部分。


 計算しているのか、素が出ているのか、焔としては、普段悠未が何気なく行っている灯理や祈との「かけ合い」の雰囲気が作品に反映されている気がした。


 さらに気付いたこととしては。


(ヒロインの「妹」は、これ灯理さんだ)


 キャラクターの設定とか外見とかは違っているのだけれど、会話のシーンのちょっとした機微が灯理に似ている。


 そして、「妹」はとても大事に描写されていた。このキャラクターを通して、悠未にとって灯理が大切な存在なんだと分かってしまう。


 焔は胸が高鳴ると。


「灯理さん。震災の時にアンタに助けられたって言ってた」


 知りたいと思ってしまった。


 できれば悠未よりも灯理を理解してあげたいのになんて衝動が湧き上がる。


「アレは、勘違いなんだ」


 悠未はポツポツと語り始めた。


「灯理とは小学校が同じで、高学年の時には、朝に美術室で絵を描いてるいっこ下の女の子がいるのが気にかかってた」

「いっこ下? アレ? アンタも灯理さんも今高二だよな? 計算合わなくね?」

「ゆえあって、俺は学年を一つ留年ダブってる」

「マジで?」


 焔としては意外な事実だったが、悠未は自分が留年している事実など気にもとめてないという風に、話を続けた。


「しばらくして、話をするような仲になった。朝に、あいつが筆やパレットを洗っている水場でが多かった。俺も、あいつと話したくてわざわざ早く学校に行ったり」


 悠未は淡々と語っているが、焔としては。


(それって。もう、好きだったってことじゃん)


 悠未と灯理の過去の話は、少しずつ大きい破綻の日に向かっていく。


「そのうち小学校が卒業で、もう毎日灯理には会えなくなってしまう。そんなことを思っている頃、震災が起きた。本震当日の夕方、くらいか。連絡がついて俺の家族はとりあえず無事と分かった頃、ラジオの情報が徐々に入り始めて、ことの他大きな事態だと分かってきた。その時だ。俺は、数度だけ訪れたことがあった、灯理の家に向かって走り始めていた。


 道中。電源が入らない自販機。消えた信号。曲がった電柱。いくつかの崩れた建物の横を通り過ぎる頃には嫌な予感がしていた。案の上で、灯理の家は倒壊していた。

 幸いなことなのか、あの混乱の中、既に消防隊による救助が始まっていて、もう周囲が暗くなる頃だったか。灯理は助け出された。その時、ストレッチャーで運ばれる灯理に俺が声をかけたから。灯理はその時の記憶を何か混同してるんだと思う。左腕の他に、目も傷ついていたから、周囲の状況もあまりよく分からなかったんだろう。灯理を助けたのは俺じゃなくて、消防員のおじさんだ。本当のヒーローだ。俺はただ、見てただけだ」


 そこまで淡々と語った悠未の話を聞いて。


 その時の悠未の気持ちが、灯理の気持ちが、自分の中に入り込んでくるようで、焔は黙り込んでしまった。


 描きたかったのに、描けなくなった。


 守りたかったのに、守れなかった。


 子供の頃は、そんなこと、当たり前にできる自分になれる気でいたのに、なれなかった。


 若年にして、夢は一度破れている。


 焔も同じだ。


 この地方の沢山の同年代も、同じだ。


 ただ、そんな昔の理想が壊れてしまった後にどうするか。そこが、悠未と灯理は焔とちょっと違う。


 彼・彼女は『街アカリ』になったのだ。いかに本人が否定しようとも、それは焔にとって「ヒーロー」的な何かだった。


(やっぱり、強い人達だよ)


 焔なんて、どうすればイイのか分からないまま、混乱し、何もかもままならず、時間だけが過ぎてしまったというのに。


「灯理、よく『あえてスマイル』って言うだろ?」


 悠未がぽつねんとつぶやいた。


「ああ」

「俺も笑いとか、大事だと思ってるんだ」

「そうだな」


 作品きょこう的な「笑い」だとしても、それに救われる人、救われてきた人はいるはずだ。


 焔だってそうだ。


 今、以前よりちょっとだけ笑うことができたり、胸に温かいものを感じるようになったのは、灯理のあのフワフワとした「スマイル」が、「お守り」のように自分の心に作用しているからだと思うから。


 熱源。ともしび。アカリを、周囲に分け与えられる人達。


 『街アカリ』という存在の源流に流れている生き方のようなもの。


 一方で焔は、灯理の、そして悠未の心の深い所にある気持ちが理解できてしまうほど、ちょっと悔しくなってくる。


 二人は心のカタチがとても似ていて、その魂を行動に変えて、既に実際に沢山の人々の手助けをしてきたのだ。それに比べて。


 「五人」と、焔を人数に数えてくれたのは嬉しかったけれど。


(今の俺は、誰かを助けるどころか、自分のことでいっぱいいっぱいじゃないか)


 心の硝子はひび割れていて。行動の炎は消えかけだ。


 悠未にも灯理にも、全然並べていない。


 そんな憧れと焦燥と自罰が、自分って存在の頭頂からつま先まで木霊する。


 結果、焔の胸によぎった願いは、少年だったら誰でも抱く、ありふれた、一方でこれまでも何度も挫かれた、おそらくこれからも何度も挫かれるであろう、純真なソレだった。


 つまり。


――ああ、強く、なりたいな。

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