第21話
「久しぶりだな」
「ええ、そうですね」
最初、キャバクラにでも行こうと誘ったが、マシンガンに断られた。
結局、弁慶でいつものように飲むことになる。
「磯ちゃんのこと、ウーロンに喋っちゃってすいません」
「おいおい、まだ気にしてるのか? 別にかまわんよ。彼女にはなんでも話してる。仲間だろ? あれから戸髙ともここに飲みに来てるんだぜ。だから心配ない。まあ、ネットは本人が今それどころじゃないから」
「なんか大変そうですね」
心配そうな彼の横顔は、それまでの自分の小さなこだわりを後悔させる。
離婚の話し合いは、話し合いにならないそうで、単純に別居の状態が続いているらしい。
「部屋を二つ借りるのは大変だ。俺なら即、破産だな」
風邪が残っているのか、腹の具合が少しゆるい。仕方なくいきなり熱燗から入る。初摘みのワカメをつまむと、ビールじゃなくて良かったと思う。
「今日なぁ、貝が
いつもよりメニューが少ないのを、大将がすまなさそうに言う。
「ワカメめっちゃ美味いです。こんなん食べたことないです。」
「ほやったら、良かった。あ、ホヤやったらええのがあるで。ワカメと一緒に届いたのが」
「駄洒落かいな。癖があるから食べられるかな。一回挑戦してみるか」
「ホヤだったら大丈夫です。親戚が夏場よく送ってくれますから」
「じゃ、ホヤにして貰って、それだけじゃ飯のおかずにならんから地鶏も焼いてよ」
「はいよ」
「すいません」
「いいよ。飯食いながら酒飲めるから偉い。俺はどうも酒だけ飲むから体に悪い」
「農業の説明会どうでした?」
「はっきり言って場違いだったな。営業でもあればいいんだが、この景気じゃ」
「そうですか。おっ、このホヤいけますね。夏が旬のはずなのに、さすがはこの店ですね」
「はは、生意気な。あ~この前の話。資格取るっての、賛成だな。俺みたいになってからじゃ遅い。普通の仕事だって、それこそ農業だって若いほうがいいしな」
「僕は農業には向いてないですね。ああぁ、なにかメリットある資格が取れればな。でも、その前に今の仕事やめたい」
「我慢、我慢」
勲は、ホヤがどうにも苦手なので、地鶏に手を伸ばしながら繰り返し言った。
テレビに映る若い女優が微笑む。
「お湯加減いかがですか」
「ああ丁度いいよ」
二十歳だと言う女は、顔も可愛く、スタイルも比較的よかった。
当たり! ……つまらない男のつまらないラッキー。
写真指名だから当然なのだが、それでも実際出てくるとハズレの方が多い。
飛田新地などの顔見せのある花街は、戸高を含め知り合いが大阪に来れば必ず連れては行くが、どうも自分達が上がる気にならないので、木枠戸の中をせいぜい冷やかすだけ。
昔はソープだったと言うその古いビルは、離婚した頃はちょくちょく来たが、ここ最近はまったくのご無沙汰だった。
マシンガンを連れて行こうとしたが、彼は頑なに拒んで、そのまま家に帰ろうとして、……何故か足が向いた。
「お金、貯めてるんやで」
どこでどうなったのか、女は聞きもしないことをぺらぺらと喋る。
今はこんな仕事をしているが、こんなものは続かないから、きちんと金を貯めて、独立して食べ物屋をする、と言う内容なのだが、サービス中も延々とそれが続く。
前の客に説教か、嫌なことでも言われたのかもしれない。
自分のことは棚にあげて、こういう店で働く女に説教する男は多い。
わが身を振り返れば、ウーロンを口説くマルチャンを笑ってはいられない。
五十過ぎで自分で居酒屋を経営までしている男がネットで25歳の女を口説く……ほうが健全かもしれない。
勲はネットで出会うとかまったくその気はなかったが、目の前にいる女はウーロンより若い。……あくまで自己申告ではあるが……
倫理観など、角度を変えればそんなものだ。
話はまだ続きいい加減うんざりしそうだが、サービスに手抜かりがないので黙っている。
男は馬鹿だ。
「お客さんみたいに、ちゃんとした仕事している人にはわからないでしょうけど、私らは将来きちんと考えないとあかんのよ。女がちやほやされるのは、若いうちだけ」
ベッドに座りながら煙草を吹かす勲の肩に、長い髪を束ねながら女は言った。
エレベーターから送り出されるとき、抱き付かれキスをされるのは苦手だが、店のマニュアルなので仕方がない。断れば女のほうが困るだろう。
箱から吐き出され、さっきの言葉がこだまする。
なにが、人間の琴線に触れるかはわからない。
「辞表?」
パートだから口頭で良いだろうとも考えたが、結局、面倒くさいので文字にした。何かが心の琴線に触れたその足で、ネットカフェに飛び込み、簡単な
「ええ、親が少し体の具合が悪くなったもので、土地がそのまま放置されるのはちょっと……もともと農業を継ぐつもりではいたのですが」
「ううーん。でも急に困るな。ご兄弟とか、親戚とか……なんとかならないの?」
「兄は仕事が忙しいですし、人任せにするには土地が広すぎるので」
一発、殴ってやろうかと思ったが、最終的には少しの見栄を張り気持ちを誤魔化すことにした。田舎には農地どころか、持ち家もない。
蓄積されたストレスは、やはり勲の中で
仕事さえなければ、この薄ら寒い顔に怯えることもない。
少しだけ、まとまった金は残っている。
それを使い切った後、その後、どうなるかを考えるのはやめた。
思考を止めたら、そこに何も無い空間があることに気付く。
ぽっかりと開いた穴に、何かを、何を埋めれば良いのか。
自分と言う人間の構成要素を、その成分を、振り返らずにはいられない。
アパートの二つ手前の駅で降りた。……少し歩いてみる。
都会暮らしは、自分の行動範囲以外はまったくの未知であることに改めて気づく。
アパートの周辺、職場、鶴橋、弁慶のある商店街、梅田、妻と暮らした場所、精々そんなものだろうか。
結局、大阪に自分の根はない。
電車の窓から何度も眺めた寿司屋に入った。
実際に入ってみなければ、こんな作りだったかと驚くこともできない。ぺらぺらの入り口とは違い、中は結構しっかりしていて、外観からずっと不思議だったが内部は隣奥の雑貨屋とつながり、やはり外壁の色を変えてあるだけだった。
外に突き出た横に長い木の
謎は……解けた。
寿司は目的ではなかったが、最初から切り揃えられた切り身を握ったその寿司は、意外にも美味しい。
田舎にでも帰ってみようと、勲は思った。
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