反拐(はんかい)・ワンシートVer.
プリンぽん
―――反拐―――
第1話
夏草の甘さと 白い手を覚えている
暖かな指先は それからとそれまでを断ち切り
電車のゆれと潮風の中 記憶は断片的で
車窓に囲われた音のない海を ただ夢中で眺めていた。
……そして、祖母の家の前で私が発見され、小さな町の小さな事件は終わった。
幼児連れまわしなどと大げさな話ではない。
大学生の男が、迷子の女児を、女児に言われるまま、祖母の家まで送り届けた。
当時、母が必要以上に騒いで、近所でちょっとした騒動になったというだけ。
私は成長した今でも、その男に対して好印象を持っている。
事実、話を聞かれた際も、彼に不利になることは言わなかったらしい。
彼の身元が警察にわかったのは会話の中の本名を私が正確に覚えていた為で、犯罪をしようと考えていたなら間抜けな話だ。記憶に残るナイーブそうな顔つきからは、同世代に成長した私にとってもそれは現実味のないことのように思える。
市内の学生寮に住む、21歳の補導歴もない、ごく普通の大学生。
結局、彼は常識のない行為を厳しく説諭されただけで終わったとのこと。
この出来事も祖母との話の種に、幼い頃、祖母の家までの経路を正確に覚えていた私への、一種の褒め言葉として今は存在する。
再び、 岩本
私は高校を卒業しても就職はしなかった。一度だけアルバイトをしたが、それも三ヶ月ほどで辞め、その後は家でぶらぶらしている。
同居している祖母は女の子は無理に働かなくて良いと言い、母の経営するスナックが繁盛していたので家計は取り立てて問題もなく、母もあえて口うるさくは言わない。
ただ、友達の少ない私は、毎日をもてあまし気味にしている。
高校で軽いイジメらしきものを受け、私は人間関係に少し怖さを感じていた。
きっかけは、…………些細な理由。
学校での意地悪のほか、ネット上のくだらない書き込みに正直、私は閉口する。
友達の指摘を受け最初それほど深刻に受け止めたわけではなかったが、個々の同級生が発信する言葉の断片を繋ぎ合わせて行く作業は、卒業した今も私の日課となっていた。
今では、それほど親しくなかった同級生の近況、現在の夢、好きな人がいるかどうかまで、その世界は広がっている。
ふと好奇心が沸く。
十数年前、広島市のアパートの近くから祖母の家までを過ごした、岩本勲なる人物が今どうしているのか。
その世界に慣れた私は、名前から ”砕け散る破片の映像を逆戻りさせ“
名前の ”意味” に、復元することを知っている。
あるときは同級生の近況を報告し合うコミュ、
ブログ、
個人のホームページ。
出会い系のたぐいなどは、えっち目的でさまざまな情報を提供してくれる。
むかし近所に住んでいて、優しくしてもらったので近況を知りたい。
そんな単純なキーワードでやすやすと他人のプライバシーが晒されていく。
それは名指しで悪口を書かれるより、怖いことなのかもしれない。
「久しぶりじゃん。今、何してるの?」
ショッピングモールを出たところで、声をかけられた。
私はこの男が苦手……だ。バイトの古株の今村は、口うるさく、仕事にも神経質なのでよく嫌味を言われた。
ただ辞めた後でも、いや辞めた後のほうが仲良くなったバイト先の仲間は私の数少ない人間関係で、今村に対してもそう邪険には出来なかった。
「不景気だしさ、なかなか仕事ないだろ? でも何もしないのはあんまりな。今さ、ぶっちゃけ人が足りてないんだよね。配送センターだからってみんな甘く考えてるんだよ。直子ちゃんはまじめに働いていたしバイト復帰するなら俺が話してやろうか」
年齢は28歳だが、頭はすでに薄くなっている。
今村の一方的なお喋りに、私は曖昧に相手をしてその場を離れた。
数日後バイト仲間とカラオケに行くことを今村が知っているのを不快にも感じたがそんなことにはもう慣れっこだ。
セックスしてあげると言えば飛び上がって喜びそうな男はみんな必死で詮索する。
母のスナックの客、
靴屋のおやじ、
学校の先生……。
そう言えば、岩本勲もそんなおっさんの一人かも知れない。段々とはっきりしていく彼の輪郭は、あのナイーブそうな印象とは裏腹に期待外れなものだった。
住んでいた学生寮、就職先。
大学の同級生がやっているHPに、偶然にも彼本人の書き込みを発見する。
結婚、離婚、仕事はリストラされ今はスーパーで働いていること。同世代の仲間がみな苦労している話。住所は大阪府松原市……
実につまらない。
やはり男は若い方がいい。近頃テレビ局の買収騒ぎで世間を賑わせているIT企業の社長にでもなっていればと、……妙に期待していた自分が馬鹿馬鹿しく思えて……
私はそれっきり調べるのをやめた。
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