03:壊れた時計は進まない(4)

「イリオス!」

 城下街の酒場の隅で一人飲んでいたところを、どやどやと入ってきた悪友の騎士達に見つかり、あっという間に囲まれた。

「何、しけた面で黄昏たそがれてんだよ」

「俺だってたまには静かに飲みたい事があんだよ、悪いか」

 そう言いながら、グラスを持つのと逆の手でもてあそんでいた懐中時計を、懐へ戻す。これを見る度に、エレナの事を思い出すのは、必然の理だ。

 彼女の自死から、七年が過ぎた。信頼していた長兄にも裏切られたイリオスは、文字通り飛び出すかのごとく故郷を去り、王都へ辿り着いて騎士団の門戸を叩き、血反吐を吐くような訓練を経て、正騎士になった。

『一緒に王都へ行って、素敵な主人公の貴方を、見届けたいわ』

 そう言ってくれた彼女は、隣にはいない。その寂しさを誤魔化す為に、彼は少年時代の純粋さが嘘のように粗野に振る舞い、給金が入れば娼館に通って女を抱いた。城仕えの女性達には「節操無し」だの「制御の利かない男」だのと忌み嫌われているが、知った事ではない。逆に娼婦達には「羽振りの良い騎士様」だの「寝物語の宮廷話が面白い」だのとやけに評判が良いが、それもどうでも良い。下世話な態度の下に隠された本音は、誰にも知られなくて構わない。いや、知られたくもない。

 ひとつ嘆息して、東方の澄んだ酒を飲み下す。アナスタシアで主に作られる果実酒とは違う、芋の香り漂う液体が喉を滑り落ちていった時。

「ところで聞いたか?」

 いつの間にかイリオスの周りに陣取って酒やら料理やらを頼んでいた僚友達の一人が、声を低めて顔を近づけてきた。

「ミンガス川の沿岸で、『陥落の花』が出回っているらしい。もうかなりの数、いかれちまった奴が出てる」

 甘い思い出と同時に、心臓を抉るような痛みを伴う名に、イリオスは眉を跳ね上げる。しかも『陥落の花』とは、これまた大層な禁忌の麻薬が持ち出されたものだ。

 しかし、友人が続けた言葉に、彼は再び口につけようとしたグラスを、中途な位置で止める羽目になった。

「近く、特務騎士隊が派遣されるらしい。お前の実家も捜索対象に入ってるぜ」

 グラスをテーブルの上に置く。イリオスは色の薄い瞳に暗い炎を宿し、友につかみかからん勢いで身を乗り出した。

「その話、詳しく聞かせろよ」


 地上の民を嘲るような三日月が空に浮かぶ夜闇の中、七年ぶりに見上げるギュスターヴ邸は、記憶していた光景より汚く見えた。実際手入れが行き渡っていないのかも知れない。門扉はがたつき、裏庭の雑草は背丈を伸ばして、壁の染みは増している。

「血縁者という事で同行を許可したが」

 イリオスより二回りは年上の特務騎士隊長が、低い声で諭すように告げる。

「君の役目はあくまで家族の説得だ。証言者の人数を得る為に、出来るだけ生かして捕らえるように」

 そう言い置くと、彼は数人の部下を指揮してばらばらと邸の周囲へと散ってゆく。特務騎士は正騎士とは異なる訓練を受けているので、あらぬ場所から邸内に侵入する事も可能だろう。

 だが、彼らに先を越される気は毛頭無かった。これは、自分自身が決着をつけなくてはならない事だ。

 この胸に滾る熱を、消す為に。

 だから彼は、正面から堂々と邸に乗り込んだ。家の鍵は今も持っている。玄関の鍵穴に差し込めば、がちゃりと綺麗にはまって扉は開いた。

 邸内は静まり返っていた。特務騎士隊がやってくる情報は、どこかから伝わっていたのだろうか。逃がしたのか、逃げたのか、使用人の姿は無い。執務室、寝室、食堂を覗いても、見知った顔は見つからない。

「……なら、あそこだよなあ」

 顎を撫でながらひとりごち、迷わず父の書斎へ向かう。

『頭の悪い者は立ち入るな』と頬を叩かれ、ろくに踏み込む事も許されなかった場所で、壁にかかった勇者と魔王の戦いの伝説を題材モチーフにした絵画を見上げる。神経質な父の書斎にある物としては不自然に傾いたそれに手をかけてずらせば、地下へと続く階段が口を開け、吹き上げてきた黴臭さが鼻をついた。

 右手で持っていたランプを左手に持ち替え、空いた右手で、腰の剣を抜き放つ。正騎士向けにあつらえられた銀の刃が、炎を照り返して赤く輝いて、物語で魔王が操る魔剣『オディウム』を彷彿とさせる。一段一段を降りるほど、怒りに燃え上がるかと思った心は、しかし逆に凪いでいった。

 果たして、目指す人物達はそこにいた。地下の隠し部屋で、両親と二人の兄が、身を寄せ合い、母は完全に怯えきり、父や兄達に至っては見た事も無い蒼白な顔面で、こちらを見つめていた。

「イ、イリオス」父が震える声を紡ぎ出す。「何をしに帰ってきた」

 何を。今更それを訊くのか。怒りを通り越し、むしろ滑稽で、笑い出したくさえなる。

「何って、こうですよ」

 振りかぶった剣を勢い良く下ろす。甲高い悲鳴が響き、肩口から斬り裂かれた母が、血飛沫をあげながら床に崩れ落ちる。

「立派な騎士になったでしょう?」

「何を馬鹿」

 な事を、とでも言おうとしたのだろうか。父の言葉は中途に止まり、胴体と泣き別れた首が転がる。

「見下していた相手に殺される気分はどうだ?」

「ひっ、ひいい!」

 次兄ヒックスに向き直れば、彼は腰を抜かし、その場にへたり込んだ。恐怖のあまり失禁したか、床に血ではない染みがじんわりと広がってゆく。

「どっちが恥さらしだか」

 心底からの笑顔にすら見える嘲笑を向けて、心臓を一突きに。血泡を吹いて次兄はひっくり返り、動かなくなった。

 ゆっくりと。残る長兄ランティスに向き合う。

「ま、待て、イリオス! 話し合おう!」

 顔面に恐怖の表情を貼りつけながらも、兄はぶるぶる震える手を突き出した。

「ギュスターヴ家を存続させる為だったんだ! 父上のやり方では、これ以上の収入は見込めなかった! 仕方無かったんだ! わかってくれるだろう、私を慕ってくれたお前なら!?」

 一瞬、イリオスの脳裏に色褪せた思い出がぎる。そう、無邪気にこの男に全幅の信頼を寄せ、役に立てるのを誇りだと思っていた頃があった。感傷を追いやろうと、舌打ちの後に歯噛みして目を瞑ろうとした瞬間、長兄がにたりと笑って、懐に忍ばせていた刃を抜き放ったのが見えた。

 咄嗟に身を引こうとしたが、間に合わない。一撃を食らう事を覚悟したが、直後、刃が硬い物にぶつかる音が地下室に響き、金属の輝きがイリオスの懐から零れ落ちる。古い懐中時計が床に叩きつけられて、盤面を覆う硝子が砕けた。

 それを見た途端、イリオスの心に残っていた、長兄へのわずかな情も、完全に砕け散った。無言で剣を振り上げ、刃を握ったままの兄の腕を斬り飛ばす。

「ぎゃああああああ!!」

 汚い悲鳴をあげて床を転げ回る兄を、足で踏みつけて固定し、喉元に切っ先を突きつける。

「そうやってあんたは、エレナの事も『仕方無かった』で片付けるのか」

 激情をそれとして吐き出す事は出来なかった。やけに低い、静かとも言える声色を放って、イリオスは剣を握る手に力を込め、相手の首を突いた。

 何度も、執拗に。


 黴臭さと、むせかえるような血のにおいに満ちた地下室を特務騎士隊が発見したのは、全てが終わった後だった。

「やってしまったのか」

 咎める色を含んだ声をかける隊長の方へ、赤く濡れた剣を握ったままのろのろと肩越しに振り返り、イリオスは虚ろな笑みを浮かべる。

「抵抗されましてね。『仕方無かったんですよ』」

 相手は何かを言わんと口を開きかけたが、言っても詮無いと思ったのだろう、ふっと目を逸らし、「死体の回収を」と部下に告げる。特務騎士達が脇を追い越してゆく中、イリオスはゆっくりと剣を鞘に戻し、床に落ちていた懐中時計を拾い上げた。

 小さき楯となって自分の命を守ってくれた時計の針は、衝撃で時を止めている。その位置は奇しくも、エレナの死体を見つけた時刻とほぼ同じであった。

 ふらふらと。イリオスは地下室を出てゆく。書斎を出ても、黴と血の混ざり合ったにおいは身に染みついて離れる事が無い。まるで、お前の背負った罪は消えないとでも言わんばかりに。

「……わかってんだよ」

 食いしばった歯の間から、絞り出すように声を放つ。

 この激憤をどこかにぶつけたくて仕方無かった。だが、復讐を果たしても、失われた命は還らない。壊れてしまった時計は、二度と針を進めない。

 過去に囚われ、全てを壊してしまった人間は、何も取り戻せない。

「それでも、俺は」

 その後は言葉にならず、ぽたり、と壊れた懐中時計に滴が落ちる。

 目蓋をきつく閉じて。

 まなうらに、愛した少女の笑顔を幻視しながら、幼い子供のように、彼は嗚咽する。

 窓の外の三日月は、そんな彼を嘲るかのように、青白い光を放っていた。

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